2009年ウィンブルドン決勝は壮絶な戦いだった。
勝ち残った二人は、ロジャー・フェデラーとアンディー・ロディック。
かたや、「芝の王者」の名をほしいままにするチャンピオン。それに相対するのは、元世界ナンバーワンで、グランドスラム優勝経験もあるアメリカの星。
普通なら、これ以上ない好勝負が期待できそうなカードである。
だが、そんなことをいいながらも、おそらく多くのテニスファンには、この試合は開始前から、ほぼ結果が見えていた。
口が悪く、露悪的な言い方を好む方なら、はっきりと言い切っていたことだろう。
こんなのやらなくても、わかんじゃん、と。
そうなってしまう原因は、だれあろうアンディー・ロディックにあった。
アンディーは90年代のテニス界を席巻したピート・サンプラスやアンドレ・アガシなどが全盛期の輝きをなくし「アメリカの危機」といわれたなか台頭してきた選手。
2003年、地元USオープンに優勝し、世界ランキング1位にも輝いた。
「ニューボールズ、プリーズ」と名づけられた若手プッシュのキャンペーンで、レイトン・ヒューイットとともに頭一つ抜け出したのが彼だった。
ビッグタイトルも手に入れ、ついにロディック時代到来かと思いきや、そこに立ちはだかる男が出現する。
そう、ロジャー・フェデラーだ。
絶対的な強さを持つ者と、世代がかぶるというのはアスリートの悲劇のひとつだが、ロディックは、大きな舞台でフェデラーに何度も痛い目に合わされている。
ウィンブルドン決勝で2回、USオープン決勝、その他大きな大会の準決勝、決勝というところで、ことごとくロジャーに苦杯をなめさせられていたのだ。
とまあ、これだけなら、よくある成績のかたよりであるともいえる。
かのイワン・レンドルも、1984年のフレンチ・オープンでグランドスラムに初優勝するまでは、決勝に出るたびに負ける「チキン野郎」と言われたもの。
「天才」と呼ばれたマラト・サフィンは技巧派のファブリス・サントロになぜか勝てず、女王シュテフィ・グラフも小兵アマンダ・コッツァーにはいつもてこずった。
勝負の世界には、そういった偏りというのはあるものだ。
だが、この二人の場合は、やや勝手が違った。大前提として、この二人の共通点に「世界ナンバーワン」というのがある。
しかして、その対戦成績はウィンブルドン開幕前でフェデラーから見て18勝2敗。ロディックからしたら2勝18敗。
2勝18敗。
これは明らかにおかしい。ロディックは曲がりなりにも世界1位になった男。いかにフェデラーが圧倒的な強さを誇るととはいえ、ありえない数字である。
これはもう、苦手とかそういう問題ではない。ちょっと異常な、信じられないスコアだ。
これを見れば、私のみならず多くのファンが「やらなくてもわかる」と決めつけたのも、理解していただけるだろう。
徹底的に痛めつけられ、アンディーとファンにとって、世界の注目が集まる舞台でのフェデラー戦というのは、それはつらい時間になるはずだった。
だが、こと2009年のウィンブルドンに関しては、やや勝手が違ったらしい。
大会の様子を見ていると、そんな簡単に結論づけていいのだろうかと、少しばかり首をかしげることになる。
「あれ、なんか、今年は違くね?」と。
なんというのか、ロディックのテニスが、これまでと明らかに変わっていたのだ。
ロディックといえば、そのテニスはビッグサーブと豪快なフォアハンドが売り物のパワースタイル。
野球でいえば「三振かホームラン」のような、やや大味なところがあった。それが、ロディックの長所でもあり、魅力でもあり、弱点でもあったのだ。
ところが、このときのロディックは違っていた。1回戦から、とにかく丁寧に、丁寧に、ミスをしないように慎重にプレーしていた。
大会に備えて名コーチ、ラリー・ステファンキにどうしてもと頭を下げ教えを請うた。増えてしまった体重を落とし、辛抱することを覚え、問題点の数々を指摘され、それを修正した。
「コーチになる条件は、すべて僕の言うことにしたがうこと」
というステファンキのいうことを、アンディーはすべて素直に聞いたという。また、ガールフレンドであるブルックリンのはげましも、彼をふるい立たせた。
それはすべて、もちろんのこと「これ以上、フェデラーに負けられない」という強い想いからだろう。
ロディックは、その通りのプレーをした。決勝までの道のり、格下の相手に攻めていけるところを、あえてバックのスライスでゆるく打ち返すということをやっていた。
攻撃的な選手であるロディックが、あたかも様子を見るように守備的なショットを放つ。
これは、言い方は悪いが、
「決勝戦のために、ディフェンシブなプレーを実戦でためしていた」
ということであろう。
はっきりいって、格下相手にプレースタイルの変更の実験をしていた。それは、対戦相手からすると、
「なめられている」
と感じたかもしれないし、実際
「どんな相手で、どんな試合でも全力で戦う」
という建前的な理想とは、かけはなれたテニスだったかもしれない。
だが、ロディックはそんな外野の声など、どうでもよかったのであろう。あるのは、ただひたすらに
「ウィンブルドンの決勝で、フェデラーに勝つ」
これしか考えていなかったはずなのだ。
ロディックは、そのまま決勝まで勝ち上がるが、そこまでの6試合、彼はコートの向こうの相手が全員フェデラーに見えていたにちがいない。
おそらくは彼にとっては、もしこの大会で優勝できず、どこかで消えてしまうのだとしたら、それの舞台が決勝であろうと実験に失敗しての一回戦負けであろうと、同程度の価値しかないと考えていたのだろう。
(続く【→こちら】)