2009年ウィンブルドン決勝 ロジャー・フェデラー 対 アンディー・ロディック その2

2011年04月26日 | テニス
前回(→こちら)の続き。
 
 2009年ウィンブルドン決勝ロジャーフェデラーアンディーロディックで争われることになった。
 
 これまで、大きな舞台でフェデラーに苦杯をなめさせられまくってきたロディックは、ここを最大の復讐戦と考えて、なんと決勝までの6試合すべてを
 
 
 「フェデラー相手の練習台」
 
 
 と想定してプレーしてきた。
 
 もちろんこれはリスキーな選択であり、ある意味スポーツマンらしくない戦い方であり、また厳密には一部の記者が批判したように、
 
 
 「アンディーはいつものように、真正面からぶつかっていくべきだった」
 
 
 その通りなのかもしれない。
 
 だが、ロディックもコーチのステファンキも、そんなことは百も承知だったのだろう。
 
 決して「プレーヤー」としてみたら普遍的なベストではないが、
 
 
 「この大会の決勝戦でフェデラーに勝つ」
 
 
 ことだけに特化すれば、一発勝負に勝つにはひとつの戦略である。
 
 まさになりふりかまわぬ1点買いで、ロディック陣営は勝負に出た。
 
 極端な話、彼らはアンディーのテニス人生を、この大会の最終日1日、そこにのみ全額賭けることにしたのだ。
 
 そうして、むかえた決勝戦、ロディックは思惑通りすばらしいテニスを披露した。
 
 得意のビッグサーブを駆使してファーストセットを取り、セカンドセットもサービスを安定させてタイブレークに突入。
 
 そこでも、ロディックは先にミニブレークでリードを取る。
 
 ここまでは完璧だった。
 
 ところが、セットポイントで、簡単なボレーをミスしてしまう。そこから、圧倒的優位にもかかわらず、セットカウント1-1タイに戻されてしまうのだ。
 
 なんだか嫌な予感がした。思い出したのは1998年ウィンブルドン決勝
 
 そこで王者ピートサンプラス相手にゴーランイバニセビッチが、ファーストセットを取りながらセカンドセットタイブレークでなにげないバックハンドを、なんともつまらないミスでネットにかけてから、逆転されてしまったことがあったのだ。
 
 ゴーランもまた、ナンバーワンだったサンプラスのにはばまれ、ウィンブルドンのタイトルを取れない苦しい日々が続いていた。
 
 それと流れが、似ているように思えたのだ。
 
 だが、フェデラーに勝つという執念から生まれ変わったロディックは、ここからが違った。
 
 第3セットタイブレークの接戦の末、フェデラーの手に落ちるも、乱れそうになる気持ちを抑え、しっかりしたテニスでリカバー。
 
 得意のサービスゲームをしっかりキープして、第4セットを奪い返す。
 
 もし、これまでのロディックなら、あっさりとそのまま第4セットを取られて、試合は終わっていたことだろう。
 
 それを押し戻したのは、明らかに過去の戦いとちがっていた。すばらしい精神力だ。勝負は最終セットにまで持ちこまれた。
 
 このとき、私ははじめて確信した。
 
 今日のアンディーは強い。きっと、フェデラーにだって勝つと。
 
 運命の最終セットは、両者サービスキープが続くマラソンマッチとなった。
 
 決勝戦のファイナルセットともなれば、まさに手に汗握るという展開が待っているかと思われたが、両者とも、あまりにテンポよくサービスをキープするので、意外とそんな感じはしなかった。
 
 元々フェデラーはリズムよくプレーする選手だが、ロディックもサーブが好調で、ますます乗ってきた様子だ。
 
 なんだか中盤戦に逆戻りしたかのような不思議な展開で、特に波風もなく延々とゲーム数は積み重なっていったが、決着は思わぬところで着くこととなる。
 
 このまま永遠にキープが続くと思われた第30ゲームに、落とし穴が待ていた。
 
 ほんのちょっとしたスキをついて、フェデラーがロディックのサービスを破ることに成功。
 
 あれ、と思う間もない、急転直下の決着となった。16-14というロングマッチの末に、ロディックは敗れた。
 
 この試合で、彼がサービスゲームを落としたのは、このファイナルセットの最後のゲームだけである。
 
 内容的には、ロディックが勝っていても全然おかしくなかった。それくらいに、彼のプレーぶりは安定していた。
 
 だからこそ、あっさりと終わってしまった最終ゲームで、ロディックは呆然としていた。
 
 あれだけの素晴らしいテニスをしながら、なぜ自分が敗者なのか。そのことが納得いかないようだ。
 
 こうして、ロディックはまたも敗れ、フェデラーがウィンブルドン通算6回目優勝を飾る。
 
 ウィンブルドン決勝といえば、この前年2008年ラファエルナダルとフェデラーの戦いが、それまで伝説だった1980年決勝ボルグ対マッケンロー戦を越えた、史上最高の名勝負といわれている。
 
 もちろんそのことに意義をはさむつもりはないが、私はこの2009年の決勝の方が印象に残っている。
 
 それはやはり、ナダルのチャレンジはどこか健全というか、脇目もふらずにかけあがろうとする「」の戦いだったのに対し、ロディックの方は屈託鬱屈屈辱のようなものをともなった「」の戦いだったからかもしれない。
 
 栄光から引きずり落とされて、泥まみれなり、しかしなお中島らもさん言うところの「砂をつかんで立ち上が」ってき、それでも勝てなかった。
 
 その悲壮感こそが、この決勝戦のあとにも色濃く残っていた。アンディーには勝たせてあげたかったと、みんなが思ったに違いない。あんな重い空気のトロフィーセレモニーはそうはなかった。
 
 言い古された言葉だが、勝負というのはどこまでも非情であるといわざるを得ない結末だであった。
 
 
 
 ■決勝戦の映像は【→こちら
 
 
 
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2009年ウィンブルドン決勝 ロジャー・フェデラー 対 アンディーロディック

2011年04月25日 | テニス

 2009年ウィンブルドン決勝は壮絶な戦いだった。

 勝ち残った二人は、ロジャーフェデラーアンディーロディック

 かたや、「芝の王者」の名をほしいままにするチャンピオン。それに相対するのは、元世界ナンバーワンで、グランドスラム優勝経験もあるアメリカの星

 普通なら、これ以上ない好勝負が期待できそうなカードである。

 だが、そんなことをいいながらも、おそらく多くのテニスファンには、この試合は開始前から、ほぼ結果が見えていた。

 口が悪く、露悪的な言い方を好む方なら、はっきりと言い切っていたことだろう。

 こんなのやらなくてもわかんじゃん、と。

 そうなってしまう原因は、だれあろうアンディー・ロディックにあった。

 アンディーは90年代のテニス界を席巻したピートサンプラスアンドレアガシなどが全盛期の輝きをなくし「アメリカの危機」といわれたなか台頭してきた選手。

 2003年、地元USオープンに優勝し、世界ランキング1位にも輝いた。

 「ニューボールズプリーズ」と名づけられた若手プッシュのキャンペーンで、レイトンヒューイットとともに頭一つ抜け出したのが彼だった。

 ビッグタイトルも手に入れ、ついにロディック時代到来かと思いきや、そこに立ちはだかる男が出現する。

 そう、ロジャーフェデラーだ。

 絶対的な強さを持つ者と、世代がかぶるというのはアスリートの悲劇のひとつだが、ロディックは、大きな舞台でフェデラーに何度も痛い目に合わされている。

 ウィンブルドン決勝2回USオープン決勝、その他大きな大会の準決勝、決勝というところで、ことごとくロジャーに苦杯をなめさせられていたのだ。

 とまあ、これだけなら、よくある成績のかたよりであるともいえる。

 かのイワンレンドルも、1984年フレンチオープンでグランドスラムに初優勝するまでは、決勝に出るたびに負ける「チキン野郎」と言われたもの。

 「天才」と呼ばれたマラトサフィンは技巧派のファブリスサントロになぜか勝てず、女王シュテフィグラフも小兵アマンダコッツァーにはいつもてこずった。

 勝負の世界には、そういった偏りというのはあるものだ。

 だが、この二人の場合は、やや勝手が違った。大前提として、この二人の共通点に「世界ナンバーワン」というのがある。

 しかして、その対戦成績はウィンブルドン開幕前でフェデラーから見て18勝2敗。ロディックからしたら2勝18敗。

 2勝18敗

 これは明らかにおかしい。ロディックは曲がりなりにも世界1位になった男。いかにフェデラーが圧倒的な強さを誇るととはいえ、ありえない数字である。

 これはもう、苦手とかそういう問題ではない。ちょっと異常な、信じられないスコアだ。

 これを見れば、私のみならず多くのファンが「やらなくてもわかる」と決めつけたのも、理解していただけるだろう。

 徹底的に痛めつけられ、アンディーとファンにとって、世界の注目が集まる舞台でのフェデラー戦というのは、それはつらい時間になるはずだった。

 だが、こと2009年のウィンブルドンに関しては、やや勝手が違ったらしい。

 大会の様子を見ていると、そんな簡単に結論づけていいのだろうかと、少しばかり首をかしげることになる。

 「あれ、なんか、今年は違くね?」と。

 なんというのか、ロディックのテニスが、これまでと明らかに変わっていたのだ。

 ロディックといえば、そのテニスはビッグサーブと豪快なフォアハンドが売り物のパワースタイル。

 野球でいえば「三振かホームラン」のような、やや大味なところがあった。それが、ロディックの長所でもあり、魅力でもあり、弱点でもあったのだ。

 ところが、このときのロディックは違っていた。1回戦から、とにかく丁寧に、丁寧に、ミスをしないように慎重にプレーしていた。

 大会に備えて名コーチ、ラリー・ステファンキにどうしてもと頭を下げ教えを請うた。増えてしまった体重を落とし、辛抱することを覚え、問題点の数々を指摘され、それを修正した。



 「コーチになる条件は、すべて僕の言うことにしたがうこと」



 というステファンキのいうことを、アンディーはすべて素直に聞いたという。また、ガールフレンドであるブルックリンのはげましも、彼をふるい立たせた。

 それはすべて、もちろんのこと「これ以上、フェデラーに負けられない」という強い想いからだろう。

 ロディックは、その通りのプレーをした。決勝までの道のり、格下の相手に攻めていけるところを、あえてバックのスライスでゆるく打ち返すということをやっていた。

 攻撃的な選手であるロディックが、あたかも様子を見るように守備的なショットを放つ。

 これは、言い方は悪いが、

 

 「決勝戦のために、ディフェンシブなプレーを実戦でためしていた

 

 ということであろう。

 はっきりいって、格下相手にプレースタイルの変更の実験をしていた。それは、対戦相手からすると、



 「なめられている」



 と感じたかもしれないし、実際

 「どんな相手で、どんな試合でも全力で戦う」

 という建前的な理想とは、かけはなれたテニスだったかもしれない。

 だが、ロディックはそんな外野の声など、どうでもよかったのであろう。あるのは、ただひたすらに



 「ウィンブルドンの決勝で、フェデラーに勝つ」



 これしか考えていなかったはずなのだ。

 ロディックは、そのまま決勝まで勝ち上がるが、そこまでの6試合、彼はコートの向こうの相手が全員フェデラーに見えていたにちがいない。

 おそらくは彼にとっては、もしこの大会で優勝できず、どこかで消えてしまうのだとしたら、それの舞台が決勝であろうと実験に失敗しての一回戦負けであろうと、同程度の価値しかないと考えていたのだろう。


 (続く【→こちら】)

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