青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

掲示板 四、

2009年08月14日 | 人生設計

掲示板への投稿記事  その四、 

「自他一体」は、「中道」に基づいたものとならなければならない。
の「中道」に基づくと言うことを、もうちょっと進めてみると、次のようになってくる。


我々は、「人権」と言って「基本的人権」を持っているという。さらには「表現の自由」などの「自由権」を持っている、と言う。「職業選択の自由、教育の自由、信仰の自由」などとくる。<o:p></o:p>



そして「権利の行使」は、何かと言うと「人権、人権」と持ち出すようになりる。



ここでは「自他一体」についての「中道」に絡ませて、「男女同権」を取り上げながら、話を進める。


戦後「女性は強くなった」と言われる。いわゆる「権利意識」が強くなった訳である。



だが、この場合の「権利」と言うものは、「取り違え、履き違えた権利意識」と言うもので、このために今日の混乱した世相を生み出す一因なっていると言わざるを得ない。



それは何故かと言うと、「私には権利がある」と言うのは、相対するものがあってこそ言えるもので、孤独なもの、一人ぽっちのものには言えるものではないからだ。



となると「権利がある」と言うことは、「他の権利」を認めた上での発言がなければ整合性を持たなくなる。であるから、この「権利がある」と言うようなものには、なんらの正当性がなくなる。



こうした事によって、「男女同権」を見る場合、「男性が女性の人権を認める」と言うことが、男性の「権利」なのであり、女性もまた「男性の権利を認める」事が、女性の「権利」と言うことに成ってくる。



更にこれを進めると、男性が「女性のもつ権利を活かしてあげる」ということが「権利」と言うことになり、女性が「男性の持つ権利をよりよく活かしてあげる」ということが、女性の持つ「権利」と言うことになる。「自分が権利を持っている」と言うことを誇示するのではなく、お互いが、相対するものの持つ「権利」を、引きだって活かして育ててやる」と言うようなものを「権利として持つ」ものが、「権利意識」として持つものでなければならない。



殊に女性が「女権」を振り回すのは、良くない。今日の新語のように、「草食系男子」が増える原因になる。何故こんな「なよなよとしてやさしく、頼りない青年男子」が増えているのかと言うと、女性が権利意識に「女権」を持ち、社会進出などをしていくことにより、女性に与えられている「母性本能」機能が薄れていったことにある。即ち「男性の持つ権利をよりよく活かしてあげる」というような女性の持つ母性本能が薄れ、「評価、数値、比較」でしか見なくなってしまっているからである。




このことは「自他一体」からも外れ、「中道」にも到れない故に、誤った「権利意識」ばかりが先行していることに原因がある。
「相手の権利を活かしてやる」というと、それは傲慢だが、「あげる」というよりも、「させていただく」というところに、{自他一体}と「中道」の心がある。

コメント
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