私たちが人生を送る上で、誰しもが、全てのものが必ずといってよいほど、「苦しみ、悲しみ、困難」に出会います。いわゆる「四苦八苦」です。この「四苦八苦」を、避けて通ることはできません。
避けられないなら、逆らい、対抗すればよいかというと、そうしていても付きまといます。元の「木阿弥」になってしまいます。
ではどうしたらいいかといいますと、こうした「四苦八苦」を一般に感じるのは、普通は人生の途上において感ずるものですが、生まれながらに障害者のように人生の出発点から背負っていられる人たちには、避けられもせず逆らいも対抗もできません。こうした人たちにできることは、「四苦八苦を受け入れる」ことしかありません。
これは「運命として受け入れる」とも、いえます。
しかし「諦めて受け入れる」のではなしに、「自助努力」をしながらの「受け入れ」であり、積極的に人生と向かい合う態度が大切です。
これはサリドマイド児として生まれた方のように両手が無い状態で生まれたなら、足を手の代わりに使う。耳が聴こえないなら、手話を習うというように、できる限りの「自助努力」をすべきことが大切です。
今日、孤独な人たちが増えていますね。お年寄りばかりでなく、結婚できない若者たち、それに「老老介護」でヨタヨタになっている老夫婦。
こうした現代社会の構図は、「源泉への恩返し」という記事の中で述べたように、「源泉への恩返し」をしてこなかったことによるものといわなければなりません。こうした「源泉への恩返し」をするように、子供や家族を導き、引っ張り、それを保ってこなかったからといえます。「幸せ」ばかり、「豊かに、楽しく、楽」になることばかりになろうとしていた、その付けが回ってきたわけです。もちょっと付け加えますと、物事の「後始末、整理整頓」を疎かにしてきたからでもあります。
今日こうなった以上は、この「四苦八苦」を、避けるとか逆らうというようなことはせずに、素直に受け入れるより他はありません。そしてそのままに、「自助努力」だけはしていく。人や他を、恨んではなりません。恨めば恨むほど、「四苦八苦」が増すだけです。
「これが運命なのだ」と、受け入れられることを、お勧めします。
不妊症の方が、人工妊娠で子宝に恵まれても、その子が真っ当な子として育つという保障はありません。ぐれたり人に傷を負わせたりするようになったりすると、何のために苦労して人工妊娠して生んだのか判らず、その時になって「止めておけばよかった」と思っても手遅れになります。不妊症なら、不妊症と素直に諦めて受け入れるのも、安心になります。
欲張ったり、誤魔化したりするのは、いけないことですね。