青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

どうじゃ、どうじゃ

2009年08月11日 | 短歌に政治や社会
地震で崩れる?大量の本に埋まり女性死亡(読売新聞) - goo ニュース

ここ最近、梅雨前線に伴う豪雨に、台風による豪雨、そして今度の地震と、災害が続いている。
まるで人間共が「豊かに、楽して、楽しむ」のをあざ笑い、それに加えて「核実験、各地域での戦闘で用いられる砲弾や爆薬、景気拡大、経済発展に伴って発生する廃棄物による汚染や、大気や環境汚染に傷つけられた自然環境は、その結果の様を、我々人間共の前に「どうじゃ、どうじゃ」と突け付けてきた。

それは「これでもか、これでもか」という風に突け付けてきて。
さて「どうする、人間たち」
思い改めるか、それともまだ「豊かに、楽して、楽しむ」のを求めて笑い楽しみ合っていて、、核実験や戦闘を続けていくか。

いずけにせよ、今までの人間が自然に対した行いの結果の結果を、自然は次から次ぎへと、「どうじゃ、どうじゃ」と出してくる。
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より複雑に

2009年08月11日 | 短歌に政治や社会
民主マニフェスト5か所修正…要望や反発受け(読売新聞) - goo ニュース

「修正に修正」と言い、首相も「修正すべきは修正する」と言うが、そうすると仕組みが「より複雑」になる。
かえって判り辛くなる。
私なども「後期高齢者保険料」や「介護保険料」の仕組みがより判り辛くなっていて、通知が来たけれどどうしようもない。

なんだか勝手なことをされて、「職権汚職」されて、保険料持っていかれてしまうみたいだ。

「阿呆」にも判る、仕組みにしてもらわなければならない。
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栄華の果てに

2009年08月11日 | 短歌に政治や社会
首相と鳩山代表、「原爆の日」に核兵器や安保めぐり発言(朝日新聞) - goo ニュース

いくら「核のない世界」と言ったって、通常兵器がこのままでは何にもならない。
それだけでなく、新たな兵器開発や、航空機、ミサイル、艦艇、戦車、潜水艦などの開発を進めているのでは、元の木阿弥になる。

大体が「栄華を求めている」ことにある。
そして「領土、領海、領空」を制定して、自分たちだけのものの「栄華の維持」をもくろんでいる。

ところが自然環境は、こうした人間が制定した「領土、領海、領空」には無関心だ。それにより、人間が栄華のために輩出した廃棄物が、「領土、領海、領空」を侵し各方面に放棄されている。太平洋の一角に、プラスチックごみのたまり場ができているそうだが、こういうことに対しては膨大な軍事費は何の役にも立たず、またこういう状態を見捨てて、「宇宙開発」に精を出している。

足元が腐ってきているのに、「栄華」をまだ求めている。
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掲示板 二、

2009年08月11日 | 人生設計
掲示板への投稿記事  その二

先に「針の穴に糸を通す」ということを述べたが、誰も反応せず無関心だが、このことは重要な意味を持っている。
針の穴にといっても、針の穴より太い糸は通すことはできない。かといって、簡単だから細い糸なら良いだろうというのも間違っている。
なぜなら、針は縫い物をするためにある。縫い物の材料によって針が選ばれ、穴の大きさも異なり、糸が決まる。
畳に使うのに、畳針に、通しやすいからといって布用の糸を使えばよいものではない。第一、布縫うときに畳張りで縫ったりすると、穴が目立ってしまう。
これは「自分の都合」を押し付け、押し通せないと言うことだ。
「材料、針、針の穴、糸」は、それぞれに「性格、性質、特質」などの面で「絶対的価値」を持っている。そして「材料、針、針の穴、糸」は、「相対的、対称」関係にある。
この「相対的対称関係」を持つとき、「絶対的価値」は、そのままでは「絶対的価値」を発揮できない。「相対的対称関係」を持つときは、「放棄、放心」しなければならなくなる。「放棄、放心」すると言っても、完全な「放棄、放心」ではなくて、自ずからが持っている「絶対的価値」を「応用、活用」することにより、「絶対的価値」が目を覚ます。
しかし目を覚ますといっても、「自分都合」の押し付けであってはならなく、「放棄、放心」して相対するものに「合わせる、和合する、融合する」ことによりできる。

この世に存在するものは全て、有りのままに「絶対的価値」を持って、「そこむに存在している。花は花なりに、石は石なりに、水は水なりに、木々は木々なりに、動物は動物なりに、人間は人間なりに存在しているが、しかしこの人間だけが「精神、放心」を持つことにより、「相対対称」との関係に対して「放棄、放心」が必要になり、「相対対象」との和合の道を探っていかなければならない。

そして「自他一体」を深めていく。
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