精神疾患は、概ね「不安、恐怖感」から発症するようだ。これに疲労、疲れが係わる。
いわゆる「過労」である。
こうしたことがストレスとなって、精神を啄ばんでいく。
この「不安、恐怖感、過労」を取り除くのが精神療法なのだが、それとは別に「運動療法」もある。
今日現在精神疾患が増加しているというので、この予防の方法としてらしく、中高の教科に「武道、ダンス」を必須科目として取り入れられて、まもなく実施されるという記事が今日の新聞に出ていた。
だが「体育、スポーツ、芸術、音楽」などに励んでいるものでも、「暴行、飲酒、無免許運転、いたずら、性的問題」等を起こすものが多々いる。
これ等は、内積しているエネルギーを「体育、スポーツ、芸術、音楽」などに励んで発散させようという目論見が、そもそも間違っていることを裏付けている。
精神疾患や「暴行、飲酒、無免許運転、いたずら、性的問題」等を削減し無くしていくためには、何よりも「精神の安定」が必要になる。「精神の安定」という事は、「精神の安らぎ」でもある。
この「精神の安定、安らぎ」は、エネルギーの発散によっては出来ない。何故なら、エネルギーの発散によって行って得るものは、「価値」だからである。
この「価値」を得るために、困難に打ち勝ってきてはいるが、しかし分別を生じさせている。「差別」である。
「差別」が生ずると、どうしても「不安、恐怖感、ストレス」が溜まり、それが過労になってきて精神疾患を誘発する。
これが高じて「暴行、飲酒、無免許運転、いたずら、性的問題」等を行う事ともなり、一方では自殺の道へと進ませて行ってしまう。
こうした事を防ぎ、また精神疾患者を救済するにはどうしたら良いかというと、「精神の安定、安らぎ」の場を設けることである。
それは中高生に対して言うならば、必須科目として「座禅」を取り入れることが必要になる。
社会人に対しても、せっかくの週休二日制の一日の一時間ほどを、強制的に「座禅」をさせるようにしてやる必要がある。
しかしテレビではどのチャンネルでも、相変わらず切った張ったや、「愚痴、恨み事、仕返し」などが嫌になるほど見せ付けているから、効果が無いかもしれない。