私は、キリスト教徒ではない。だから、聖書についても、詳しくはない。
その私が、今日こんな聖書の言葉に出会った。
「もし汝、人を許さずば、師も汝の罪を許さないであろう」
この言葉の意味は、すぐに理解できるだろう。
「苦しみを与えた」ものを許さずに報復したりするならば、師や神は、「このための罪を許さない」ということである。
一方私なりに諒解すると、今回の「東日本大震災」と、それに伴う「原発事故」や放射能汚染などに対して、この労苦を我々人間の罪として許さず、重ねて原発再開などして罪の見返りをしないならば、「師は汝の罪を許さず」ということになってくる。
この事を、聖書には次のように記されている。
「なんびとも、二人の主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは一方を重んじ、他方を疎んじるからである。汝は神と富とに兼ね仕えることはできない」
この「神と富とに兼ね仕えることはできない」とい言葉は、大きなほど思い。
「安心社会、平和な世界、和やかな家庭」などは、「富」を求めるほどに崩壊していく。
むしろ「窮乏」に耐えていくことほど、「安心社会、平和な世界、和やかな家庭」などが築かれ易いといえる。
他方「富」ばかり求めていくとどうなるかというと、「取り合い、不平不満、愚痴、争い」が絶えなくなり、世の中は火炎地獄と化す。
小沢氏側が異議「4億円の説明必要ない」(読売新聞) - goo ニュース
こういうような発言は、「法治制度」への、挑戦行為だ。
我々一般市民は、確定申告の時には、「収入と支出」とを明確に記述しなければならない。
それなのにこの人の場合は、「そんな必要がない」という。
それも、法制度に秀でたであろう弁護士資格を持つものが言う。
こんな具合では、「法治国家」がガタガタになってしまう。
「国民のため、国家のため」などとうまいことを言っているが、小沢一郎の腹の中は、こんなもんで「法治制度」に挑戦を挑んでいる。