青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

捕らぬ狸の・・・・・

2011年12月08日 | 短歌に政治や社会

国「地方の試算は過大」主張へ 消費増税配分巡り対立(朝日新聞) - goo ニュース

まだだよ・・・・。
誰も「消費税増税」に賛同していると言っていない。
それぞれが、それぞれに「捕らぬ狸の皮算用」していてる。

こういうのが「政治」なら、御用じゃないね。

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短歌 337.

2011年12月08日 | 短歌に政治や社会

★ 戦の日 欲に快楽に 明け暮れる
    再び襲う 悲劇の前夜    2011/12/8

太平洋戦争の開始日、そして真珠湾攻撃の日から70年。
しかしこの戦争で300万人もの犠牲者を出して敗戦しながら、ちょっと豊かになったのをいいことに「欲に快楽に」明け暮れる今日の姿。
だがこれは、再度の悲劇となる、前夜になる。

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信仰の大船

2011年12月08日 | 宗教観

我々人間が「知恵を持った」ということは、その「知恵」によって「物事」を解明した事にはならない。むしろその「知恵」によって、「物事」に枠づけてしまい、真の事実を知ろうとはしなくなってしまっている。
「真の事実」は、広大であり万象性を持つ。故に一つの枠に、はめ込んで解明した事が、「真実の事実」とはならなくなる。

我々が心の安らぎ、精神の安らぎのために信仰を持とうとする事実も、自分の持つ知恵の枠内で、それを誰かに「求める」ものではない。言ってみれば、それは信仰を捕らえようとしているものである。
それに対して真実の信仰とは、「こちらが信仰に捕らえられる」ことを言う。
これは、「神仏」から捕らえられるように、自分自身が捕らえられるように自分が持つ知恵を投げ捨てて「身を投げ出す、正す」必要がある。
即ちこちらが「何もない」ままならば、信仰の心は我々の胸に沁みとおるように入ってくる。
それは我々が信仰を求めようと網を張っても、その信仰を捕えられる網でなければならない。
この信仰を捕える網になるには、自分自身がそれに適した網になる必要がある。
という事は、こちらが信仰の網に、捕らえられてしまわなければならないこととなる。
相対するものと対立しているような、「我と彼」とであってはならず、我は「貧しく、無知で、無欲」になる事によってのみ、信仰を得られる。
信仰とは故に、「願いや祈り」で「得てやろう、ものにしてやろう」と思っても得られずに、こちらが「受け入れる」体制になれた時に得られることとなる。

「受け入れる」体制となれば、今の現実の事象に対して、「素直なまま」に受け入れられるだろう。
「今の現象」に対する「文句、不平不満、愚痴、喜怒哀楽」も無くなる。無くなれば、どんな喜怒哀楽を感じるものでも、素直に受け入れられて「ありがたい」と戴く他はなくなる。
「素直に受け入れ、有り難い」と戴く時、我々は神仏の網に捕らえられ、信仰の大船の上に引き上げられる。

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