青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

今更・・・・・・

2011年12月16日 | 短歌に政治や社会

鳩山元首相、原発国有化論をネイチャーに発表(読売新聞) - goo ニュース

また、しゃしゃり出てきた。

そんなら、在任期間中にそうしないで、何をしていたのやら・・・・

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言霊

2011年12月16日 | 宗教観

我々は常に「よい行いと、良い言葉」の行為をしていかなければならない。
しかしこの「よい行為と、良い言葉」を行為と示すには、「そうしよう」という「思い」がないことには行われない。

この胸の「思い」は、どのように構成されるかというと「言葉」によって構成されている。

言葉が無ければ、思いとはならない。言葉が無いなら、単に動植物的な生き方しかできなくなる。

「哲学」では、「もの」と「精神」は一つのところから発生しているか、あるいは別々なのかという論争が続いている。「一元論と二元論」である。
しかしこうした「一元論と二元論」は、そもそもが可笑しいといわなければならない。それは何故かというと、「もの」という物質は、単なる「無機質な」ものではない。「質量」を持っているし、永久に形状を保持していられないというところに無常性があり、この「無常性」を働かせるところに、何らかの意思が働いとみなされる。
この「何らかに働く意思」は、それがそのまま「精神」に昇華していく性質を持っている。
となると、「ものと精神」は、一元的でもあるし二元的でもあるといえる。一体でありながら別の存在ともいえることともなるが、相手が無ければこちらもあるとは言えない。

さて信仰や宗教に触れる時、初めにも述べたように「よい行い、良い言葉」の行為をしていく必要がある。この内の「よい行為」は、「人格」を形成することといえる。

人格とは「意思、知性、感情」を有することを示唆する。

そしてもう一方の良い言葉はを連想させる。

一般として我々が生きていくという結果としては、ここでいう人格となり、「意思、知性、感情」として整えられる。
整えられたものを「論功行賞碑、メダル、地位」として得ている。
しかしこの整えられたものだからといって、そのまま居られることはない。
こうした「無常性」ある人格を、「言葉」による「道、真理、命」を求め続けるという、信仰と宗教が必要とされることになる。
「論功行賞碑、メダル、地位」は有形性のものであり、有形性があるが故に破壊され易く、一方の「言葉」は無形性のものでありながらも、持続的に維持していく時「恒久」になる。何故なら「有形性」のものは無常であるが、「無形性的言葉」は「思い」としてあり、それを「言霊」という。

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