青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

こっちの事より政局

2012年03月04日 | 短歌に政治や社会

「耐える日々、続いている」 被災各地で追悼行事(朝日新聞) - goo ニュース

そっちの事は、お構いなし。
こっちの方には、忙しそうに立ちまわっている。

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-120304X149.html

 

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20120304-567-OYT1T00469.html

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2012030306350.html

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/K2012030304130.html

ボランティアが欲しい所なのに、そんな事はそっちのけ。

ボランティアの人たちは、資金が無くて止めていかなければならないというのに、復興支援集金なんかで義援金集めはしても、現場に足を出さないようでは、端にも棒にもからん。
政治家も閣僚も、官僚」なども、「復興支援は国の資金で」などとばかり言っていて、自分たちの懐に入る給料や歳費で当てようとはしない。
といった具合で、政争に明け暮れている。
という事で、邪魔になるものが多いから、退散して行ってもらいたいものだ。

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妙好人

2012年03月04日 | 人生設計

妙好人

 

浄土真宗の信徒、門徒の中には、「妙好人」と言われた人たちが多くいられる。

「妙好人」とは、簡単に言うと「世のしがらみ」に縛られないで、悠々自適に生きて行く人たちのことである。この悠々自適に生きて行くとしても、自分勝手に生きるのではなく、浄土真宗の祖「親鸞聖人」の教えに従って生きられている。

その生き方は、一般の我々からすると特異な生き方と言えるかもしれない。

 

皆さんも知っていられると思うが、とんちで有名な「一休さん」、一休禅師も奇抜な方であった。

ある時のこと、ある人が掛け軸用にと一休禅師に「お目出度い一筆を書いてほしい」と言われたのに対して、「親死、子死、孫死」と書きあげられた。これには頼んだ人は「縁起が悪い」と言って、それを掛け軸しなかったという。
しかしこういうように忌み嫌うけれども、それが逆で反対であったら、目も覆いたくなるような結末になる。
「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」のが道理である。それが逆で反対に「孫が死に、子が死」にしていって、親たる者が最後に死ぬとあっては、これ程の不幸はあるまい。


それが今日の社会でもある。
高度医療の発達によって親は生き延びて行くのに、可愛い孫が交通事故で亡くなる。子も亡くなる。あるいは事件に遭遇したりする。

そして年老いた親だけが残される。

これはまた、親が子を虐待して亡きものにするとか、子供を車の中に放置しておいてパチンコに昂ずる親というように、幼いものを早く亡き者にしようとしているのが、今日の社会現象になっている。

一休禅師や妙好人は、そうではない。
「他の者をいたわり、思いやり」しながら、今ここに生きて行き、生かされている自分というものを、どのように生きていかなければならないかを、いつも自分に問うていられる。

そこに単に生きて行くだけのものではない、人間としての生き方に通ずる宗教性がある。

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国連統治領

2012年03月04日 | 短歌に政治や社会

日本政府、中国の尖閣命名に「強く抗議」(読売新聞) - goo ニュース

こういう「境界領土」など「領有権」でもめるなら、この周辺一帯を「国連統治領」に認定してしまえばよい。

そういう事をしていくのが、「引き分け」的な国際関係になる。

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