青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

導者、無きが為に

2012年03月17日 | 人生設計

英国国営放送BBCも注目する日本の「引きこもり」問題を年々深刻にさせる“曖昧な社会”という病巣(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

生命あるものは、その生きていく過程で、様々な試練に遭遇する。
この様々な試練になるのは、いつも「自分にとって好ましい」ことには、成らないことにある。
それ故に、こうした「好ましくない」状況に出会った時、この事にどう対処すべきかを自分で対応していかなければならない。

一昔前なら、こういう「好ましくない」状態になった時、これに対して助言をしてくれるものがいた。「導師」とも「導者」ともいわれる人たちである。一般的にいえば、人生経験豊かな「老人」の事である。しかしそれが、核家族化していって「二世帯、三世帯」といった家族構成が壊滅していったために、身近に相談できるものがいなくなっている。

それだけでなく、世の中は「利益優先社会」になっていて、この身近で相談したいとも思える者は、相対的に自分のことしか考えないときている。この「自分のことしか考えない」ものが集団を作り、それが「村意識」的になって、目先や上の事にしか見ないでいる。
このために、「自分にとって好ましくない」状態に陥った者たちは、見捨てられていく。
そしてこの状態から脱出できないまま、「引きこもり」になってしまう。

こういう「引きこもり」の人たちを導くのは、今も言ったように「導師、導者」である。それはまた、「正しい宗教化」でもある。
しかしこうした人たちは、余り出しゃばらない。
そのために、引きこもりの人たちがこうした「導師、導者」に出会う機会を増やしていく必要がある。
だか引きこもりの人たちにとっては、この「導師、導者」の導きは、耳に痛いものでもあり、中々胸に響かない。
何故なら、世のマスコミメディアが、そんなことに関わらないように誘惑しているからである。
「引きこもり」から解放されるには、こうしたマスコミメディアが延々と喚き立てることに捉われないことでもある。

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