全校調査予定の日に自殺 大津・いじめ実態把握目的(朝日新聞) - goo ニュース
よく「初め良ければ、終わり良し」という。
これは「初め悪ければ、終わりも悪い」ということである。
これは世の中の摂理である。
教育現場の「いじめ」にして、元々「新教育基本法」とか、「新学習要領」なんかを制定したことにある。このために「英語、ダンス、武道必須」ということとなり、さらに「学習能力の低下」から、教科書が分厚くなる。こうしたことのために、教師も子供たちも忙しくなり、追い立てられるようになってストレスばかりが溜まるようになる。
これが政治家や官僚の手前勝手で行われているし、何か起こると現場の責任にしてしまっている。
今問題化が深刻になっている米軍のオスプレイ搬入配備にしても、300万人ともいわれる太平洋戦争での犠牲者に、空襲や原爆投下で焦土となった中で、2度と再びこうした過ちを繰り返すまいとして制定した「日本国憲法」の「戦争放棄」条項をいいように解釈して、再軍備したことにあり、それも「日米安全保障条約」を結んだり、それをまた拡大解釈して「集団的自衛権行使」などとして海外派兵までしている。
このために「原子力空母の寄港、原子力潜水艦の寄港」から今回の「オスプレイ配備」となってしまっている。そして国内の米軍無き血は、この先将来にわたって返還されなくなる。
初めという最初を、正しい舵取りにしていかないことには、「豊かになり、楽しめ、楽(快適、便利)」さに溺れていこうとすればするほど、二進も三進もいかなくなる。
これはこの「豊かになり、楽しめ、楽(快適、便利)」になり維持していくために、原発を稼働させたことによって、その付けを払わなければならなくなっていることでも知れる。
停止した原発を再稼働させても、使用済み核燃料の始末先も整わないのでは、先が知れる。
初めの初めが、何よりも大切なことという、摂理を認識しなければならない。