「南無阿弥陀仏」とは、お念仏である。
お念仏とはいっても、たかが念仏ではなく、されど念仏でもない。
一般に念仏を唱えるのは、お仏壇の前でとかお墓の前、あるいはお寺へお説教聞きに行ったりして本尊の前て唱えることと思いがちだが、それではお念仏の「南無阿弥陀仏」にはならない。
真のお念仏「南無阿弥陀仏」とは、蓮如上人のお文章にもあるように「寝ても覚めても称名念仏すべきものなり」というような、寸時もなき唱える念仏をいう。
朝起きたら念仏し「おはようございます、今日も一日励みます」というように、食事を戴く時も「私のために植物の命をいただきます」と姿勢正しく行儀よく戴くのがお念仏になる。
仕事とか育児とか勉学も、こういう役割を与えて戴いたことに感謝してお念仏を唱えながら努めていくことが「南無阿弥陀仏」になる。
しかしこれが、中々難しい。
いろいろと雑念が浮かび、妄念が浮かび、何かと愚痴や不平不満が出てきてしまう。
そうした時に、すぐに「これはいけない」と気付いて「南無阿弥陀仏」のお念仏の道に立ち戻らなければならない。
我々は身すぼらしいもの。だから「欲得」の誘いに引っ掛かり、そのために「一切皆苦」の迷妄の世界をはこびらせる。
どんなに気を配っても「煩悩」溢れる我々は、常に横道にぶれないかに気を付けて、「南無阿弥陀仏」のお念仏のもとに、正しい道をたどっていくべきである。
ちなみにお念仏の「南無阿弥陀仏」を唱えていくと、無心になって行ける。