高校生はねられ死亡 運転手を酒気帯び運転容疑で逮捕 熊本
民主主義には「自由と平等」が重んじられ、憲法でも重視されている。
しかしこの自由には、越えてはならない範囲がある。
いうなれば「節度」というものを弁える中にこそ、「自由としての自由」がある。
現在は、酒類などの販売は、望むがままに手に入るように提供されている。
それを我が国の戦時にあった「米穀通帳」のようなものを活用復活させて、種類などの販売や提供は「一人当たりどれだけまで」と制限すべきである。
こうしたことはその他にも、政府は「カジノ施設」作りに手を染めようとしているが、このカジノ施設での「遊行費上限」を控えるものが必要になる。
これはITカードなどで、すぐに実用化できるだろう。
「自由」というものも、野放しの「自由」ではなく、管理された「自由」としていかなければならない。
尤もそれは、自分自身が行うべきものなのだが、政府関係者からしてそれができなくなっている。
公僕としての務め goo.gl/yrmmGA
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年5月10日 - 07:03
登下校の見守り goo.gl/7N4L8i
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負け犬の遠吠え goo.gl/uccYxf
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