青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

変な論理

2010年01月24日 | 短歌に政治や社会
小沢氏聴取 民主、大混乱も 「強気と不安」交錯(産経新聞) - goo ニュース

政府や政治家、そして議員などは、こういうことになると変な論理を持ち出す。
「個人の問題だから」といって、幹事長辞職とか議員辞職の必要はない、と言う。これは先の、自民党時代でもそうだった。

しかし彼等は、選挙によって選ばれた選良であり、公僕である。
今回の事件も、そもそもは「政治資金団体」と言うことの土地購入疑惑にある。これは個人の問題ではなく、選挙民を巻き込み、国民を巻き込んで公の犯罪めいたものになっている。
それを「個人の問題」として片付けようとしているのは、この事件の事情聴取者が、「検察に取り調べされるのは民主主義違反」とか、「検察と戦う」とか、あるいは「天皇陛下にはプライバシーはない」などと幼稚なことを言うようなものだけはある。
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横着さ

2010年01月24日 | 短歌に政治や社会
小沢氏会見、疑惑関与を全否定 「幹事長職を全う」(朝日新聞) - goo ニュース

「説明責任」を果たしたつもりらしいが、こちらとしてはちっとも合点がいかない。

「資金管理団体」の土地購入資金という事に、家族名義の預金を解約して充てたという。
そういう事に「家族名義」の預金を解約するという「横着」さ。
家族は納得の上なのか、また家族の将来を、夫として親として思いやっているのか。

なんだかそこには、「脱税」の臭いさえする。
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豊かさの恐ろしさ

2010年01月24日 | 人生設計
「豊かさ」を求め願い、あこがれるのは、生物の中でも人間だけが持つ本性であり本能のようだ。
この求め願いあこがれる「豊かさ」は、「楽しさ、楽(快適、便利)」でもあり、この「豊かさ」を追い求めることが人間の一つの生き甲斐にもなっている。
だがこの生き甲斐ともなっている「豊かさ」には、恐るべき底なし沼のような、あるいは虎口のような牙をむいた大口が我々の行く末に大きく空けられて待っている。
いや、それはもう現実化してしまっている。

「豊かさ」や「楽しさ、楽(快適、便利)」は、一つ手に入れても、それで我々は満足することはない。その「次を、次を」と求める。それは貪欲なもので、満足することを知らない。
すると、どうなるか。

「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」になると人間は、そういう「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」事ばかりしたがるようになる。
反面、面倒なことや汚れるような事、労力を伴うことはしたがらない。
したがらないどころか、人がしてくれるのが当然なことのように、それは金だけ出せばしてもらえるものと思っている。
現実にゲーム機やスポーツとか歌謡コンサートとかの観戦には夢中になっていても、料理をするとか洗濯をするとか、掃除をするとか子育てや子供の勉強を見てやるといった事、「後始末や整理整頓」には、我関せずにしている。

今日の世の中、モノをたくさん生産し、人集めし、交流をよくしたりして「景気拡大、経済成長」をさせようとしているが、それは何のことはない。「なまくら」な人間生産体制作りをすることに他ならない。
こう言う事が、ノーベル賞や文化勲章とか、何のかんのとメダルなど受賞する人たちにも判っていないで誇らしがっている。

今こうして「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」を謳歌するものは、それでいいかもしれない。しかしそのつけは子孫が背負う。
今の我々は、そういう辛いツケを子孫に背負わせるために「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」に生きようとしている。

この性根を、叩き直してしまわなければ、子孫が哀れで可哀そうだ。
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