母は、嬉しいに付け、悲しいに付け歌を心のよりどころに生きてきた。
10人姉妹の末っ子に生まれ、世間が自分を中心に回るように育った母にとって、貧困というものは初めての体験だったのだろう。 父は、経済的に貧しい事を決して恥ずかしいと思う人ではなかった。 そもそも、太平洋戦争さえ無かったら父と母は夫婦になることがなかったのだろう。
私たち4人の子供が成長するまで、その生活を母の目から見たら凄惨そのものだったのだろう。 彼女にとって結婚後の生活というのは全て、試練であったのだろうと思わざるを得ない。 当時、まさに我が家はザルのような家庭経済であった。 私は、二人の手元にカネが有るのを見たことが無い。 そんな中で、4人とも高校を卒業させてもらった事に感謝しなければいけないのだろう。 母はただの一回も、自分の人生に感謝した事がないのではないだろうか。 比べれば父は、充分、自分の人生に感謝して逝った。
私は幼い頃、良くラジオに聞き耳を欹てていた母を、小さな声でメロディーを口ずさんでいた母を目にした。 万事の慰みをラジオの中の歌に求めたのであろう。 血は争えないもので、私も取り返しの付かない失敗をしたとき、 言葉で表せないほど嬉しい事があったとき、気が付けば何がしかのメロディーを口ずさんでいる。
津波で取り返しが付かないほどの悲しみを抱えている方、放射能で生まれ在所を離れなければ成らない方々、たまにはカラオケでも歌って、涙も思いっきり流して、気持ちを切り替えるきっかけを作って欲しい。 そんな気がする。
『上を向いて歩こう』でも『365歩のマーチ』でも『荒城の月』でも、口ずさめばまた新たな気持ちが湧き上がってくる。 人夫々で、そんな気持ちになれるわけもない人も居るだろう。 しかし、現実には災害は起こってしまったのである。 我々は、その事実から目をそむけず、前に進む以外道は無い。
唇に歌を・・・ 私の場合最も多いハミングは『百万本のバラ』かもしれない。
著作権があるのだろう。別に削除されても構わない。 下記URLより
http://moromiya.blog.so-net.ne.jp/2011-02-21
小さな家とキャンバス ほかにはなにもない
貧しい絵描きが女優に戀をした 大好きなあの人に
バラの花をあげたい ある日町中のバラを買いました
百萬本のバラの花を あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を 真っ赤なバラで埋めつくして
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百萬本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラで埋めつくして ♪~