住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

我が子の自殺を、止めさせるために…

2012年07月14日 | 日記


 《いじめ》は、言うまでもなく何も《学校》ばかりで起こるものではない。
それは、20歳を過ぎた成人が《会社》に勤めても起こりうるものであるし、橋の下で休んでいる《ホームレス》の人にも、ある日突然暴力沙汰として降りかかってくる事もあるし、場合によっては《家庭》の内でも起こることである。 少し話を広げればそれは、利害の相反する《国家》間でも垣間見られることである。

 だからとは言わないが、本当は自分で解決策を見出さないと、解決したことにはならない。
 だが年端も行かず社会的経験も無いに等しい『こども達』に、それを望むのは無理ということであろう。

 
 いじめが社会全体に蔓延するのは、社会が精神的な安定感を失い大人も子供も、常にストレス充満の状態が続くためであろうと思われる。 ハツカネズミを有る一定以上の生育密度で飼育した場合、『共食い』を始めると学んだのは大分昔のことであるが、現在の地球上に存在する人間の密度が、有る一定の危険密度を超えたからとは言えないだろうか。 もしそういうことなら、今回の大津の中学校で起きたような事は、今後も、増えると見て間違いないのであろう。

 大津市の皇子山中学校は滋賀県に有る訳だが、東北では想像出来ない『同和問題』が絡んでいそうである。 もちろん、表立ってその言葉を伝えるマスコミは無いが・・・・。  『口先番町』も、日本国籍以外の人物から『献金』を受けたと騒がれたことがあったが、滋賀県では比較的南北朝鮮人の勢力が強く、日本人の『メンタリティー』とはかけ離れた、人々が多く住んでいる町のようである。 実際数日前に書いたイジメ内容は、筆者には信じられない・・・。

 その傾向は、自殺者を出したクラス担任の『森山進』先生は、保健体育、ハングル、韓国学習、韓国修学旅行の担当と云うことだそうであるが、(出典元: http://ameblo.jp/onigasima-kaminarisinno/entry-11301330381.html )
なぜ、《国際交流》と云う授業で、ハングル語と日韓交流の歴史だけを学ばなければならないのかは、この東北のド田舎では想像が出来ない。 
日本では、昨今のフジテレビ番組内容の韓流化への抗議デモが有った事で、ネットから情報を得ている人たちはその胡散臭さは、良くご存知であろうが、記者クラブを中心とした大手マスコミは、その話題には触れようとしないのである。


 せっかく、《いじめ防止》の方法を探して、当ブログにたどり着いた方に申し訳ないので、その方法を先に言わせていただけば、それは《学校を、休ませること》それ以外は無い。 前にも書いたが、最も確実に子供の命を守れるのは、この方法以外にはありません。

 後先考えないで、引きこもりになっても良い、ず―――っと学校を休んでも良い、それでも、親が何時までも生きている訳でもない、少なくても子供はいつかは自立せざるを得ないのである。 サルやクマでさえ生きていけるのに、人間が生きられない事は無いのである。


 同じような意見を、ブログで述べている人が居た。 もちろん、文章は筆者より数段しっかりしているが、当人は『中学2年から学校には行ってない(ような?)』と書いてあった。 引用文以外でも、ナルホドナルホドと、うなづける箇所が有ったのだが、ぜひ原文をお読みください。

  ***  以下引用  下記URL より ***
    http://www.kaynotes.com/archives/6395220.html  
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 それでも、ささやかな解決法を言うならこうだ。
学校に行くべきでない状況になれば、自主的に家に閉じこもれ。
学校に行かなくて良いのではない。行ってはならないのだ。
それについて、誰にも説明する必要はない。

一番良い態度は、
「特に理由はない。学校には行かない」だ。
これで通用しないなら、本当はおかしなことなのだが、世間はおかしいのだ。
ならば、もし理由を聞かれたら、
「コード094を適用した」
とだけ言い、後は余計なことを言うな。

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 死ぬくらいなら、引きこもれば良い。
それがいつまででも良いのだ。
学校に行かなければ、知性や人間性が進歩しないなどと思うなら大誤解だ。逆に、学校に行った場合よりずっと良くなるはずだ。
学校に行くと、バカでろくでなしになると思えば、まあ、間違いないだろう。
私は、中学2年以来、授業を聞いたことはないが、それで困ったことは一度もない。
今は、一流大学を出ていても、基本的な算数が出来ない者がいくらでもいる。
それでも大丈夫なのだが、学校に行かなければ、精神的な逸脱を起こす要因が無くなり、望むなら、学問の本当の基礎を身に付けることが出来るだろう。
熱心に勉強すれば、間違えて一流大卒ばかりの会社にでも入ったら、周りがみんな馬鹿に見えてしまうほどだろう。学校とは、その程度のものだ。
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   ***  以上引用  終  ***


 親としての心構えも、子供の思いつめた我侭を聞く《度量》が有って、初めて《親として合格》と云うことになるのだろう。
世間体を気にして、子供の心を踏みにじる事ほど、親として情けないことは無い!!!!
子育ての、20年間なんていう時間は、振り返れば一瞬の瞬きに過ぎない。