こんばんにゃ
先日、田辺聖子さん(ジョゼと虎と魚たちの作者さん)の「愛してよろしいですか?」って本を読みました。
その中に「どさくさにまぎれてって好きだ」というような言葉があって、なんか「分かるな~」
と思った。
時には
キチンと構えて・・・的なものが欲しくもなるけど、
時には
自然に、どちらからともなく、いつの間にか・・・的なのもステキだと思う。
でも、年を重ねるごとに、自分の周りからは「ドサクサ」って減ってきてる気がする。
紛れられるほどドサクサしてないというか、
ドサクサの気配みたいなものを嗅ぎ分けるのが早くなってきているというか。
で、
照れくさかったり、ズルな気がして、嗅ぎ分けたら早々にドサクサから距離を置いてしまう。
これってどーゆーこと?って考えたけど、
多分、
自分は、
大人になるほど、
自分をだますのが下手になってるんだと思う。
自分にどんどん自覚的になって、
気づかないフリとか出来なくなって、
恥ずかしくなったり、照れくさくなったり、
それを言語化してしまったり。
自分で自分を誤魔化せない。
こんな大人のためにこそ、アルコールは存在しているのかもしれないにゃあ
先日、田辺聖子さん(ジョゼと虎と魚たちの作者さん)の「愛してよろしいですか?」って本を読みました。
その中に「どさくさにまぎれてって好きだ」というような言葉があって、なんか「分かるな~」
と思った。
時には
キチンと構えて・・・的なものが欲しくもなるけど、
時には
自然に、どちらからともなく、いつの間にか・・・的なのもステキだと思う。
でも、年を重ねるごとに、自分の周りからは「ドサクサ」って減ってきてる気がする。
紛れられるほどドサクサしてないというか、
ドサクサの気配みたいなものを嗅ぎ分けるのが早くなってきているというか。
で、
照れくさかったり、ズルな気がして、嗅ぎ分けたら早々にドサクサから距離を置いてしまう。
これってどーゆーこと?って考えたけど、
多分、
自分は、
大人になるほど、
自分をだますのが下手になってるんだと思う。
自分にどんどん自覚的になって、
気づかないフリとか出来なくなって、
恥ずかしくなったり、照れくさくなったり、
それを言語化してしまったり。
自分で自分を誤魔化せない。
こんな大人のためにこそ、アルコールは存在しているのかもしれないにゃあ