みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

12年12日

2023年03月23日 14時46分00秒 | みう・震災とボランティア

12年と12日経った。


昔の投稿などを見ると、最初の数年よりも少し後の方が緊張してる感じ。忘れちゃったらどうしようって自分への不安が裏返って、なんだか攻撃的になってたりもする。

けど、10年過ぎるあたりからそういう不安はなくなった感じ。

「忘れない」って言葉にイライラしてる時期とかもあったけど、今は力を抜いて「忘れない」って言葉を普通に受け止められるようになった気がする。


3.11を思い出すと、一緒に色々思い出す。

人によってその数字は色々だと思うけど、そういう人、結構いるんじゃないかな?

全部の日付や数字を覚えてるわけじゃないけど、その日が近くなったりすると、そのほかの地域のことや、地震以外の災害・人災も併せて思い出す。それで勘弁してもらえたらと思う。


これからも時々思い出すし、時々行動していきたい。

東北大好き。




12年目の3.11

2023年03月14日 00時44分00秒 | みう・震災とボランティア
12年目の3.11は竜王スキーパークへ行ってきた。
この日にレジャーをぶつけることに罪悪感を感じなくなったのはいつ頃からだろう?
でも、すっかり忘れてしまうことはなくて、ゲレンデで黙祷して、来シーズンは東北のゲレンデにも行きたいな、なんて思って、WBCの先発・佐々木朗希の投球に痺れ、こうして好きな人と一緒に過ごせることの幸せを噛み締める1日だった。
怒ったり泣いたりもするけど、「普通」の毎日が愛おしい。未来を楽しみにできることが嬉しい。

10年10日

2021年03月21日 14時46分00秒 | みう・震災とボランティア
10年と10日が過ぎた。

10年前の一週間後、自分はサイパンに旅行に行ってた。
前々から予約していたものとはいえ、盛大にモヤモヤして、
ブログとかmixiにもそのモヤモヤを豪快に垂れ流してて、
「行ってこい」「息抜きだよ」「日本にいないだけで節電になるから」
等々、背中を押してもらって行ってきた。
今振り返っても、あの時のみんなの言葉と、その背後にある思いは沁みる。

サイパンでは新婚旅行のカップルに遭遇。
二人が今も幸せならいいなって本気で思う。

2013年からは北北東に進路を取るツーリングを開催(ごく個人的に)
半分は定点観測ツーリングって感じ。
ただ、5年やってみて、その意義が自分の中で弥増す感じと、それ故に疲れる感じがあり、
同時に意義を見失う感覚もあって、ちょっとバランスを失い休んでた。
が、再開したいと思った2020年の夏はコロナで自粛。
10年を目前に「また今度」の危うさを突きつけられる1年だった。

そして10年が経った。
この10年、家族が増えた人、減った人、天変地異に見舞われた人、とんでもない幸運が降ってきた人、その全部の人、色々いると思う。
そういう変化って、きっと震災とかに対する考え方・感じ方にも変化を及ぼすんだろうな。
自分自身は特に変化はないけど。

んで、そこから10日経って、テレビはずいぶん静かになって、それを忸怩たる思いで眺める人もいれば、ちょっとほっとしてる人もいると思う。
自分自身は特に変化はないけど。

10年と10日経ったけど、自分は結局なんの答えも結論も見つけられてない。
ただ、10年以上前から思う「世界中の旅人が、世界中どこへでも行けるようなピースフルな世界になってくれ」って思いは変わらない。
なので、日本の中に人為的禁足地があるって事実には未だイライラする。
これも変わらないことだな。

あ、変わったことあった!
「忘れない」ってめっちゃあちこちで聞いてきたけど、ず~っと違和感感じてて、その違和感の正体が分かった気がする。
「いや、忘れね~よ」「てか、忘れらんないよ」って感じ。
10年を経て、やっと堂々と確信持って言える。

結論とか論旨なく書き始めるとダメだね。
もっといい事っぽいこと書きたかったな。
とりま振り返りの写真でも載せとこう。
特別な毎日のために
























9年9日

2020年03月20日 23時29分00秒 | みう・震災とボランティア

半年前、水没する北陸新幹線のニュース映像を見て

「行けるのか?」と心配していた従妹の結婚式に参列すべく、

線路がどこまでも続いていることのありがたみを噛みしめながら金沢へ。

 

国内旅行だけど、荷物多めなのでスーツケースを選択。

コロコロと淀みなく転がるタイヤが心地よく、

翻って、東北自動車道の波打つような路面を走る高速バスの揺れを思い出す。

道路が平らなのは良いね。

 

金沢を歩くのは何気に初めて。

周囲の景色が地図と一致してるって嬉しい。

9年前、海沿いの街を訪れた時、カーナビは「駅前」を示していたけど、

駅舎もコンビニも信号も道路さえもなかった。

目に入るものの中で原形を保っていたのは高台の病院だけ。

 

そういうわけで初めての21世紀美術館や兼六園も無事に訪問。

文化や芸術は有事には真っ先に切り捨てられるのは致し方ないのかもしれないけど、

エンタメやアートの力ってやっぱすごい。

お腹は膨れないけれど、生きる活力がわいてくるし、

人間らしさの象徴だなって思う。

 

なんてことをだらだら書いて、

それを読んれくれる人も、スルーする人も、とりあえずみんな生きてる。ありがたや。

 

美味い酒飲んで、

バカ話して笑って、

温かい風呂で汗を流して、

ふかふかの布団で寝る。

9年9日目に再確認する幸せの数々。

 

帰る家があるし、道路も線路もつながっているから、まだまだ遊びに行くよ!










ボランティア活動に対する自分の中の危険思想

2019年11月05日 13時15分00秒 | みう・震災とボランティア
ボランティアというのは、やりたい人がやりたくてやる事である。
そういう意味では(誤解を恐れずに言えば)趣味とかレジャーとかと変わらないとも言えると思う。

行く人が偉いわけでも立派なわけでもない。
みんな行きたいから行ってるだけで、結局は自分のために行ってるだけだ。

行かない人がダメなわけでも悪いわけでもない。
子育てとか、介護とか、平日くたくたになるほど働いてて休みは休まないとやってられないとか、みんな色々事情はある。
てか、事情の有無なんてどうでもいい。
事情がなかったら参加しなきゃいけないわけじゃない。

そのタイミングで、もっともやりたいことがボランティアだったって人が行けばいい。
そのタイミングで、もっともやりたいことがボランティアじゃなかったって人は行かなくていい。
ボランティアを「旅行」「飲み会」「スーパー銭湯」などに置き換えても成り立つと思う。
趣味や価値観に優劣はつけられないはず。

ただそれだけのことなのに、どこかで誰かを責める気持ちが生まれてきそうになる。
自分がすごく偉そうな人間になってしまいそう。
自分が怖いよう・・・


もちろん、ボランティア活動にたくさんの人が参加してくれるなら、こんなに嬉しいことはないけどね。

8年8日

2019年03月19日 14時46分16秒 | みう・震災とボランティア
8年と8日。
あっという間とも感じるけど、ずいぶん経ったなとも感じる。

8年経てば8年分過去になる中で、この8年間言われ続けてきた「風化させない」について考えてみる。

「風化させない」という言葉を、最低100回は見聞きしたこの8年。
もはや定型文になりつつあると感じる。
でも、「風化させない」という言葉は念仏ではないので、ただ唱えてもご利益はない。

何のために風化させたくないのか、今一度再確認。
それは、とりもなおさず
①教訓とし、未来に備える
②復興を被災地に丸投げしないで、出来る範囲で寄り添っていこう
ってことなんだと思う。

んで、
①に関しては、その悲劇性を心に刻むってことは、どうしても避けられない気がする。
②に関しては、やっぱりレジャーとかがパッと思いつく手ごろな手段かな〜って思う。
けど、この両立が案外難しいのかも。
気持ちのバランス的に。

ちょっと嫌な言い方かもだけど、あのカタストロフィを消費しきってしまった人たちにとって、もうそこから得られるカタルシスはない。
だから現地に足を運んだとき、あるいは、行こうとするだけで感じる重たい気持ちを処理できなくて、ドンヨリしっぱなしになる。

「遊びに行く」って言葉に、まだ違和感を覚えてる人もいると思うし。


この辺は、報道とかの責任も大きいのかな〜って思う。
使いまわされる悲劇系感動ポルノの賞味期限には限界があるのに、毎年代わり映えのしない報道。

悲劇を忘れないことと、「被災地」というイメージの払拭って対極。
すごく難しいのは分かる。
どうやっても誰かには批判される。
でも、
忘れちゃいけない過去、知るべき今、なりたい未来。
そこ踏まえて「風化させない」をやっていきたい。
9年目、10年目、ニコニコしてたいしね。


7年7日

2018年03月18日 02時52分57秒 | みう・震災とボランティア


こんばんにゃ

逃れられない人もいるのに「疲れた」とか言っていいのか分からないけど、シンプルな事実として、7年と7日、疲れたなって感じてる自分もいます。
すみません。

自分のように日常を取り戻している人間は、いつでも忘れられるけど、思い出すと、忘れてたってことや、楽しく暮らしているってことに胸が痛んだりします。
そして、みんな他人には「そんな必要ないよ」って声かけられるけど、自分自身には難しいんだと思います。

この罪悪感やイラ立ちを解決するもっとも確実な方法は復興完了、それだと思う。

もちろん、どんだけ時間が経っても、生活が整っても、心の傷とか、そういうのは解決できる人もいれば、時間のかかる人もいるけど、そこは少し置いといて・・・
いわゆる「復興完了」が必要かなと。


こっち目線で、何をもって「復興完了」かって考えたら多分、
東北に出かけるときに「支援」という思いがよぎらなくなったら、かな。

でも、「仮設」じゃ無くなったら客足が遠のいた商店街の話とか聞くと、そこにも難しい問題が潜んでる気もするけど・・・。


今までも、これからも
「楽しいから行きます」
「好きだから来ました」
って言ってきたし、言うんだけど、
それってやっぱ純度100%の言葉じゃない。

けど、自分もみんなも、正直者になれる日を夢見つつ、もうしばらくは嘘つき続けていくんだと思います。


今年の夏は「北北東に進路をとれ」を一回休みにしたけど、楽しいし好きだから、また遊びに行きたいにゃあ

北北東に進路をとる意味

2017年07月11日 18時06分32秒 | みう・震災とボランティア






こんばんにゃ

「北北東に進路をとれ」
このキャンプツーリング企画(一人だけど)も、今年で5回目を迎えます。

行くたびに、現地の人、キャンパー、ライダーetc.とのステキな出会いに恵まれ、土地の美味しいものを分けてもらったり、貴重なお話を聞かせてもらったり、かけがえのない経験をさせてもらってると思うし、
出会う人たちからは「復興ツー」みたいに思われがちですが、こっちが助けてもらうことばっかです。

また見たい景色があったり、
また食べたい美味があったり、
また走りたい道があったり、
新たな出会いを期待したり、
忘れちゃいそうな自分が怖かったりで、
半ば定点観測のようなツーリングを続けているわけですが、
「そんなことに意味あるのかな」
って、迷いが生じている自分がいます。

自分のような、平凡な一介の一般人が、被災地を走り回ることに意味があるのか。

基本的には貧乏旅行なので、訪問先の経済を潤すって事もない。
何かを発信するにしても、自分は特に影響力があるわけでも、斬新な視点を持ってるわけでもない。

自分のこのツーリングは、訪問先を自分の下衆な好奇心の犠牲にしてるだけなんじゃないか?
とか、そんなことを思ったりするわけです。
(ソンナコトナイヨ待ちみたいで、ちょっとヤだなぁ)

そいでも、今年も行ってこようと思います。
来年はどーなるか分からんけど、
にゃあ。

東日本大震災のボラ周辺で思ったりしたこと。

2016年04月22日 08時39分03秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ

東日本のボラ活動や、それ絡みの色々で見かけた、ちょっと残念な色々と、それに付随して思ったりしたこと。

がっつり装備できたけど仕事を割り振ってもらえず、ボラセンの職員に文句を言っているボランティアさん。
(気持ちはわかるけど、人手が足りないより100倍いい事なのに。待つのも諦めるのも仕事っす)

届いた物資(洋服など)の中に、明らかに微妙なものが混じってる。
誰か断捨離したゴミ袋をそのまま送ってきてるの?
(送る前に、贈り物と呼べるか少し考えてみてほしいな)

「まともなボラセンは、お盆とかも休まずやってるよ」って、VC運営されてる方々も被災者な場合が多数だろうし、そうでなくてもVCに年中無休を求めるのは酷なのでは?
(じゃあ君がやればいいのに)

などなど。
どれも、根っこには若干の上から目線があるような気がする。


また、震災から半年ほどした頃に、福島の人が言っていた
「東北を赤ちゃん扱いしないでほしい」って言葉も印象的だった。

世間の皆様の
「してあげないとダメになっちゃう」
「助けてあげますよ」
という態度や空気が、キツイんだと。
色んなことに心底感謝してるけど、時々傷つくんだと。

支援する側に悪気はないんだけど、
相手の自尊心を傷つけるようなやり方や言い方をしてないか、
小さな親切 大きなお世話になってないか、
たまに振り返らねばなぁとシミジミ。



あと、誤解を恐れずに言うなら、
被災者の「ありがとう」は、丸呑みしないくらいでちょうどいいかと。

ボラには「ボラさんに来てもらえて何より一番嬉しい」と言うし、
旅行者には「遊びに来てくれるのが一番ありがたい」と言うし、
親戚には「やっぱりあなた達の顔が見られると一番安心する」と言う。
これは嘘とかじゃなくて、感謝を伝えたいと思って、言葉を尽くしてるだけなんだと思う。

問題はその後、
ボラが「やっぱりボラが最高にありがたいってさ~」
旅行者が「旅に来てくれるのが一番嬉しいってよ~」
などなど、おかしな事を言い出すこと。

いるのよ。こーゆー人が本当に。
きっと無意識に、自分のしたことが一番有意義だと示したい・信じたいんだと思う。(私もそう)

なので、言わせてくれい。
まず、行かない人へ。
(個人的には「行けない」って言い方も好きではない)

行く奴らに対して、変な引け目を感じる必要ナシ!
奴らは好きでやってるだけ。

ただ、好きでやってるとはいえ、悪い事してるわけじゃないのだから、足を引っ張るのはよせやい。
細心の注意を払い、
万全の体制を整え、
それでも不安もある、
そういうボラたちに向けるのに、果たして君の何気ない一言が相応しいものなのか、君の後ろめたさを解消するためのものではないか、口に出す前に少しだけ立ち止まってみてほしいな。

んで、ボラにも言わせて。
県外ボラなんぞ大した事はないのだ!
色々有り余ってる人が、好きで来て、好きでやってるだけなのだから。
行くことで、誰より本人が幸せ感じてるのだから。
(新人研修で強制派遣とか除く)
好きで行って、好きでやってるんだから、偉くもなんともないんだにゃあ


5年を目前にして

2016年03月07日 09時26分52秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

もう5年したら変わるのかもしれないけど、3月になると妙に心がザワザワするのは、今んとこきっと、殆どの日本人がそうなんだと思う。

そういうザワザワから逃げても仕方ない、向き合って考えなくちゃ。って思ってきたけど、けどけどけど、本当はこんなこと自分みたいな呑気な関東人が言うの違うってわかってるんだけど、、、
つかれた。


こーゆーとき、確かに「もう終わらせてくれ」って、「許してくれ」って思ってる自分がいる。

復旧や復興が、もっと目に見えて順調に進んでいたら、、、とか思っても仕方ない。


自分みたいな「震災との距離を自在に操れる立ち位置」の人が、自分みたいに「つかれた」とかいって、シレッと明後日の方向を向く。
そんなんしてたら「まだ震災の真っ只中にいる人たち」は、どんどん取り残されてしまうんだと思う。

こーゆー、自分みたいなズルする人が増えると、風化って一気に進んで、本当にキツイ思いしてる人たちが取り残されてしまうんだと思う。
(震災に限らずね)

だけど、やっぱり、疲れてしまった。

必ずまた振り向くから、今だけよそ見させてください。

にゃあ

もうすぐ5年

2015年12月12日 02時25分24秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ

もうすぐ5年かぁ・・・としみじみ。

あの頃、
「これでむしろ景気も良くなるんじゃない?」とか、
「これを機に東北に先進的な街づくりを!」とか、
ちょっぴりでも足を運んだ人たちなら、俄かには信じられないような楽観的な見通しもまことしやかに報道されたりしてたけど、蓋を開けてみたら現状はこんな感じ。

上手く再スタートを切れた地域もあれば、全然前に進めない地域や、完全にコントロールされているにも関わらず手を出せないエリアもある。

どーしたらいいのか、打開策は思いつかない自分なので、ボラでも旅でもスノボでも、たまにでも、足を運んで、目で見て、心で感じて、忘れないでいるくらいしかできない。

もどかしいにゃあ











元気玉を送った話

2015年03月12日 02時46分41秒 | みう・震災とボランティア
今年は「元気玉を届けよう」みたいなやつに参加してみた。

内容はザックリいうと、
『だいたい14時46分頃に、各々フリースタイルで元気玉を送るって感じで!』
みたいな。

若干の胡散臭さや、気恥ずかしいようなアホ臭さを感じつつ、半ばノリで参加してみた。

が、参加して良かった。


過去3回の3月11日は、
14時46分が迫ってくると、だんだんと気持ちが重苦しくなってきて、
でも、それが普通で当たり前で仕方ない事だと思っていたし、
それが「いいこと」みたいにも思ってた。ような気もする。

で、今年ももれなく重苦しさを感じはじめていたけれど、途中で
「そーいえば私、今日は元気玉送るんだった」
と思い出した。

「元気玉送るなら、まず自分が元気にならねば」
って思った。
で、ちょっとおかし食べた。
で、黙祷の1分間元気送りまくった。

本来、黙祷って亡くなられた方々のご冥福を祈る時間だと思うけど、
今年はとにかく元気を送って送って送りまくった。

多分それは、
それだけじゃ被災地には何も影響を及ぼさない。
こんな事で、
4年間悩み続けてた誰かの気持ちが晴れるとか、
何かの作業効率がアップするなんて事はない。
あるわけない。
馬鹿げてる。分かってる。

けど、やって良かった。
あんなに沢山元気を送ったのに、なぜか送る前より自分が元気になってた。

これまでの1分間は、すごく気持ちがギュギュギュギュッとなったりして、でも、どんなにギュギュギュギュなっても、被災者の気持ちに完全に寄り添う事は出来ない悔しさやもどかしさがあった。

上手に祈ることも、上手に寄り添う事も出来なくて、苦しくなるばっかりだった。

でも、今年は少し元気になった。

私が元気を送っても何も変わらないけど、
私が落ち込んでも意味はない。
それなら、元気を送って、自分だけでも元気になった方がいいなと感じた。


1年で1番日本が静かになる1分間に、私は元気をチャージした。
チャージした元気で、きっと私は何か小さいことが出来る気がする。


昼間は散々元気を送ったので、
半日遅れではありますが、ご冥福をお祈りし黙祷を捧げたいと思います。

おやすみなさい。

本当に嫌な奴

2014年08月22日 08時35分23秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ

先日、桧原湖にツーリングに行ってきました。
帰りの高速道路で、雑な運転の車にヒヤリハットをしかけられ、なんとなく相手のナンバーを確認すると「いわき」

「もう遊びに来てやんないぞぉ」

と思って、一秒後くらいに物凄い自己嫌悪の嵐。

自分の中にある上から目線をダイレクトに認識してしまった。


こんなことを日記にしても自分の嫌な奴っぷりを知らしめるだけなのは分かってるんだけど、懺悔と言えば大袈裟だけど、なんか残しておきたかったので、やっぱり書いてしまいます。

んで、こんな自分が遊びに行っても・・・とかは思わないので、多分これからも懲りずに図々しく遊びに行くんだと思います。

にゃあ



2012年3月11日14時46分の話

2013年03月11日 17時04分52秒 | みう・震災とボランティア

2012年3月11日14時46分頃はラジオを聴いてた。
多分J-WAVEかなんか。

その瞬間は、上原ひろみさんが「HAZE」っていう自分も大好きな曲を弾いてて、
自分は誰かの言葉とか、応援ソングとか、そーゆーのはもともと苦手で、
具体的なメッセージみたいなのって居心地がわるくなっちゃうタイプで、
でも、その時間その事を考えないのは難しくて、
読書には集中できないし、
映画や買い物に行く気持ちにもなれないし、
テレビはなんだか怖くて見られなくて、
ひとりでラジオを聴いてた。

思えば世界と「ゆるくつながってたい」「そっとつながってたい」ときは、
ラジオを聴いてることが多いかもしれない。

だから、2012年3月11日14時46分頃はラジオを聴いてた。

「HAZE」って曲は、特に思い出とかなくて、
ただ純粋に気持ちが動く曲で、好きな曲。

たまたまその時に、たまたまその曲で、
頭の中で当日の事とか、その後の事とか、ボランティアの事とか、
そーゆーのが走馬灯のように駆け巡ることなんて一切なくて、
むりやり考えるわけでも考えないわけでもなくて、
左脳は空っぽになって、
右脳は透明なもので満たされてて、
その透明な何かが揺れたり渦を巻いたりして動いてて、
体はじっとしてて、
なみだがたくさん出てきた。

あの1年後から、また1年たった。
ご冥福をお祈りします。




遺体 明日への十日 を見た

2013年03月06日 23時57分29秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

先日『遺体 明日への十日間』という映画を見てきました。

ご存じの方もいると思いますが、東日本大震災の時の、釜石市の遺体安置所の話です。
ドキュメンタリーではないけれど、まるっきりのフィクションでもない話です。

見る前は『号泣しっぱなしになるかな』と思ったけど、そうはならなかったです。

もとの本が小説とかじゃないからか、左脳を刺激される方が多かったのかも。

シーンを見ていても
『そうそう、泥が黒かったよね』
とか
『そういう罪悪感、私もあったよ』
とか、
何かフィルターを通しながら、意識的に(?)過去と照らし合わせるように見てました。

逆に言うと、こういう具体的な物語をフラットに、ニュートラルに、ストレートに受け止めるのは、まだ少し難しいのかもしれません。


出てくるキャラクターは、人間味があって面白かったです。
いい人だって疲れた顔するし、いい人だって鬱陶しいっぽくもなる。
そーゆーのは自然でいいなと思いました。



正直、最初は見に行きたくないって思ってました。

まず、タイトルが『遺体』っていう重すぎるインパクトorz

あと、こんなことを思う自分はポンコツだって分かってるけど、『あんまり考えたくない』『意識したくない』と思ってしまう時があって、完全に忘れてる時は気にならないけど、映画とか見ちゃうと、またしばらくウジウジしてしまうんだろうなと分かってて…

また、そーゆー人間だから、自分と同じように『意識することになるのが怖い』って人の気持ちも分かるから日記に書くかも迷ったし、見てきて、やっぱりウジウジしちゃうしけど、見に行った意味はあったと思う。
悶々とする事に意味はあるんだと思う。


ちなみに、2012年3月11日の各地の様子(投稿ビデオのパッチワークみたいな)を映画にした『JAPAN IN A DAY』は右脳刺激しまくりで、涙腺グダグダになります。

今回の映画はレポート風だとしたら、Japan~は詩って感じかな。

自分にとっては、どちらもそれぞれ意味のある一本だったんだにゃあ