みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

イスラエル5日目 ミツぺ・ラモン(砂漠)

2018年12月31日 23時00分50秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

旅の全体図はコチラ

イスラエル5日目

12月31日(月)

旅5日目はミツペ・ラモン?ミツペ・ラモーン?を堪能。
・ラモーンクレーターのジープツアー
・街をうろうろ




この日までプチ修行的な早起き&歩きまくりな日がつづいていたけど、旅5日目にしてゆったりモーニング。
ネットから申し込んだ半日クレーターツアーは10時にビジターセンター集合なので、ものすごく余裕を持って9:00に宿を出て、のんびり散歩しながら向かう。

案の定早く着きすぎたので写真撮影などして時間をつぶす。

爽快!


ここでは崖下りなどしてる人も多くて、見てるのもスリリングで楽しい。(降りるのは途中の棚まで。崖の一番下までは行かない)






ツアーはほぼ時間通りにスタート。
ジープに6人のお客さんとドライバー兼ガイドさんの合計7人が乗り込む。
童顔を生かしつつバカのふりして助手席をゲット。

ツアー自体は2時間半ほどの行程。
歩き方に乗ってるようなフルコースではないので、ベドウィンさんとのティータイムとかはないし、クレーターの中もくまなく回るわけではないけど、行ける範囲で見所めぐりをする感じ。
クレーターの成り立ちを教わり、化石を探し、絶景ポイントを回ったり。
チャーターではなく乗り合いなのでお財布に優しい。
ツアーの内容に強いこだわりがなければ、けっこうイイと思います。



道中は一部、リアル「マッド・マックス」です。






思ったより緑もある!?
「2~3日前に雨が降ったからだよ。ラッキーだね」とのこと。
冬&雨季ならではの風景らしい。
エルサレムで冬と雨季を呪ってたけど、ここで逆転♪


アンモナイトの化石。
もっと地味目の化石なら、自力で見つけられます。



クレーターの底に橋。
雨が降ると、ここが川になるので。

てか、なんでそもそもこんな変なところに道路を作ったのかって話なのですが、ざっくり言うと、
イスラエル南部に横断道路を作りたいと思ったけど、エジプトともヨルダンとも仲が悪いので、南端に行くほど両サイドの圧が強くなる。
(両国の距離が近づくので)
本当はもっと南に作りたかったけど、色々考えてちょうどいいと思ったこの場所に、ちょうどクレーターがあったってことらしい。
なので、一般的には街があるから道ができるんだと思うけど、ミツペの町は、「道が出来たから町を作った」って感じらしい。

こんな込み入った説明、もちろん自分の英語力で分かるわけがない。
実はこのツアーで4日ぶり(初日のエルサレムぶり)に日本人に遭遇。
最初はチャイニーズかと思っていたけど、自己紹介で「ヒロ」と名乗っていたので日本人ってことが分かったw
このヒロさんの通訳でようやく説明を理解。

ちなみに、ヒロさんとはこのあと3回も会う。でも常にすれ違い。
自分がチェックアウトする宿にチェックインしてきたり、同じ日に泊まっていたとは知らず朝食で会ったり、はては空港で会ったり(でも便は違う)。
同じルートを回っててよく会う人ってのは日本人にかぎらず、たまにいるけど、ひたすらすれ違うってのは初めてのパターンかも。





ジープツアーは各種絶景をめぐり、12:30頃に解散。
午後はバスで他所の遺跡に行くことも検討してたけど、めんどくさくなって散策。

道中、方向音痴のスペイン人の車に乗せてもらったり、幼稚園?保育園の子供らと柵越しに戯れたり、アイベックスという鹿?山羊?な動物を眺めたり、戦闘機の訓練を眺めたり。
















2018年最後の日没は、砂漠らしい美しい風景でした。





宿ではノリノリのクラブ的なガラパーティーやってたけど、自分は翌朝早いので早々に就寝。


ミツペ・ラモンは基本絶景だし、のんびり景色を眺めるもよし、アクティビティにトライするもよし、エルサレムからのアクセスは難しくないけど行く人は少ないからちょっと特別感もある。
建設中のホテルもいくつかあったので、これから栄えていく予感。

旅の全体図はコチラ


イスラエル4日目 死海と砂漠

2018年12月30日 23時00分53秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

旅の全体図はコチラ

イスラエル4日目。

12月30日(日)

・エルサレムから死海(エン・ボケック)へ


・死海からミツペ・ラモン(砂漠)へ



6:50、全ての荷物を持って宿を出発。
さらばエルサレム。
冬のエルサレムは日の出が6:30頃なので、朝焼けがキレイ。




トラムの乗り場までの道は難しくない。
自分は歩き方の地図で行けた。





トラムの乗り場には券売り場が1〜2個しかない。
次の電車がくるまでのチケット買えず、一本見送る。
チケットは5.9NISだったはず。

ちなみに、マシンがコインを受け付けないときは、金属部分に何度かコインを擦り付けると大丈夫になる。理由は不明。
車内には改札もくるので、ズルはNG。

朝のトラムは5~10分間隔らしい。
7:14頃に乗って、10分ほどでセントラル・ステーション(?)に到着。

トラムを降りると沢山のバス停がある。
近くにいた軍服の若者たちに「死海に行きたいんだけど、どのバス?」と聞くも、反応はイマイチ。
今にして思えば、徴兵の若者ってエルサレムにいても全員が「エルサレムっ子」ってわけじゃないんだよね。

私服のお姉さんに教えてもらってバスターミナル判明。
まさかのバスタ新宿的な、ビル型ターミナルだった。



よく見るとビルにも書いてある・・・



チケット売り場は、日本人感覚でいうところの3階です。
エスカレーターが止まってても、気にせず階段として利用してOK!

空いてるときはチケットの窓口で「乗り場どこ?」と聞けるけど、混んでる時は、チケット窓口のすぐ隣(向かって右側)の窓口に並んで聞くべし。
エン・ボケックまでは37.5NISだったはず。




同じビルの中のにパン屋とかもあるけど、けっこう時間がかかる。
レジはそんなに遅い感じがしなかったけど、コーヒーを頼むとめっちゃ待つ。
もし10分後のバスに乗る予定とかなら、メイドフォーユー的なものはオススメしません。

自分は7:30頃にチケットを購入し、乗るのは8:00出発だったので、いちを大丈夫だったけど、なかなかコーヒー出てこないときは焦った。
パン2個とカフェ・ラテで25NISくらい。




バスに乗るときは、混む路線のときは大きい荷物は預けます。
で、この辺がホント雑だなと思うのだけど、列に並んでても、荷物預けてるうちにガンガン割り込まれるので、あんまり並んでる意味ない。
飲みかけのコーヒーもって、バックパック預けて、もみくちゃになって、乗り込んで、席取る。やばかった。
ほんと、みんなフィジカル強い。





なんやかんやで窓際に座れたのは僥倖。
しかも狙ってた左側(死海側)。
ただ、右の景色もなかなか良かった感じ。

このバスは電車でいう急行みたいな感じで、あまり止まらずにドンドン進む。












10:00過ぎ、エン・ボケックに到着。



エン・ボケックは周りには高級ホテルも沢山あるけど、ビーチはパブリック・ビーチなので利用料とかはナシ。

ビーチにあったもの
・水シャワー
・着替え用の小屋
・トイレ
・日陰







ビーチになかったもの
・ロッカー
・泥

パブリック・ビーチを選んでる時点で、泥パックとかセレブな体験は求めてないけど、荷物の管理はちょっと悩むところ。

自分は貴重品はバックパックに入れて、鍵をかけて、そのバックパックをワイヤーロックで日除けの柱につないでおいた。





敷物とか持参して、その下に埋めとくとかもアリかも?

周りの人も、荷物はなんとなく目の届く範囲に、なんとなくまとめて置いてる感じ。
まあ、車で来てて貴重品は車内とか、近辺の高級ホテルに泊まってて、タオルとか現金くらいしか持ってないのかもだけど。

ビーチからマクドナルドの看板も見えたし、ホテルは沢山あるので、ちょっと歩けばゴハンとか食べるところはありそうだけど、海の家(砂浜にドーンと出店)的なものは無かった。

ちょっと水舐めてみたけど、辛い苦いって感じ。
ビーチは場所によって、水中に金平糖みたいな塩の結晶が沈んでて、拾うとキレイだけど、踏むとちょっと痛い。



死海に浮いた感想は「まぁ、こんなもんか」って感じ。
浮くって分かってるので驚きはなかったw
でも、貧乏エリアだったので有名な泥パックとかできなかったのに、お肌がスベスベしたのは嬉しかった。





真冬だけど、海抜が低いからか晴れていたからか、耐えられない寒さってことはなく、普通に水着で楽しめた。

ひとしきり浮いて、真水シャワーを浴びて、着替えて、砂漠行きのバスを待つ。

自分はひたすら南下なので、降りたのと同じバス停でいいんだけど、エルサレムに戻るっぽい人もいた気がする。気のせいかも。

で、昼ごろにエン・ボケックを出るバスについてですが、エルサレム戻りだか、エイラット行きだか、人気方面は満席で乗れないって人がいました!(たぶん444番バス)

そういう時はバスも増便してる雰囲気だったけど、2台見送ってる人もいた。
で、そういうところに現れるのはタクシー&シェルート(セルビス)。
「バス ノット カミング!」と言いながら、バス待ちの人たちに声をかけまくる。
バス待ち仲間はみんな「あんなのウソ」ってもう分かってるので無視。
同じおっさんが3回現れたときは、みんなで笑っちゃった。

アラブ男子だが写真はNGらしい。
罪悪感か?


ようやく来た人気バスは荷物が入らない。



自分は13:00頃のベエル・シェバ行きに乗る予定だったけど、20分ほど遅れてバスがきた。(384番 27NISかな)

こちらのバスはスッカスカで乗客は自分も含めて3人!
世界中から旅行者が集まっていそうな年末なのに!
雄大な景色を眺めつつ、砂漠を目指すのであります。
ちなみに、このバスは右側の車窓がオススメ。

あっちはヨルダン








14:45頃、ベエル・シェバのバスターミナルに到着。
ベエル・シェバはかなり栄えてる街って感じ。
日本企業の看板もチラホラ。
ターミナルにはたくさんのお店があって、食べ物も色々売ってます。


バスターミナルは「ノーフォト」とのこと。
(なので、これ一枚)

ここも懲役と思しき若者がたくさん。
年末年始の里帰りとかなのか(でもユダヤ教って9月が連休ってなにかで聞いたような・・・)、いつも大勢が移動しているものなか・・・。


15分後の15:00のバスに乗って、本日の宿営地であるミツペ・ラモンに向かいます。(65番 15NIS)
ちなみに、これに乗り遅れても15:25の60番とか、15:45の65番があるっぽい。

ちなみに自分が乗ったバスはWi-fiサクサクで、USB充電まで付いている、至れり尽くせりなバスでした。










雄大な岩砂漠を眺めつつ、1時間半ほどで到着。

自分はミツペ・ラモンの中心街からちょっと北上したハンガル地区に宿を押さえてて、
「このバス、先にその辺通らないかな~」とか悩んでおりました。
めっちゃ地図みてたら隣に座ってた女の子が「自分も同じところで降りるし、降りたら道も教えてあげる」とのこと。
そりゃ安心と思っていたが、「ここっぽくない?」な場所を通りすぎ、結局街の中心部らしき場所で降りる。
「ここ、地図上で言ったらどこ?」と確認するも「よくわかんないや。じゃあね」っと置き去りに・・・。
紙の地図だけの自分は相当焦った。
結局10分くらい降りた地点でマゴマゴして(街中の地図も、なぜか現在地の表示がない!)、なんとか場所を把握できた。

場所が分かれば道はそんなに難しくない。けど、手持ちの地図に目印を書き込みながら宿を目指し、徒歩20分ほどでハンガル地区の宿に到着。
そういえば、あんまりタクシーは見かけない町だったなぁ。



宿はミーバー(Me'ever)
町の北東に位置するハンガル地区にある。
この地区は昔は倉庫街で、いまはその建物を生かして芸術振興されてて、周囲はギャラリーとかも多数のエリア。



宿はダンススクールと併設されてて、宿泊客の中にはダンサーも多数。



部屋のタイプは色々で、テントとかもある。

自分は小さいコンテナの中にシングルベット×2と二段ベット×1の4人部屋。
エアコンがあるので、冬の砂漠の夜でも寒くない。
Wi-fiは共有スペースまでいかないと厳しい。
多数のバイトで回ってる宿っぽく、責任感の有無が人によってマチマチ。

宿泊客も、自分が行ったときは少しゆるめな人が多かったかも。
自分は女性4人部屋だったけど、一人の女の子が深夜に彼氏連れ込んだり。
速攻で追い出したけど。

明日は砂漠探検!

―――まとめーーー
数字は曖昧です。

6:50 ヘロデ門近くの宿を出発
7:00 トラム乗り場に到着
7:14 トラムに乗車 5.9NIS
7:25 Central Stationあたりで下車
朝食(パン×2、コーヒー)25NIS
8:00 出発 37.5NIS
10:00 エン・ボケック到着(途中休憩などは無し)
エン・ボケックのパブリック・ビーチ 0NIS
13:20 エン・ボケック出発(13:00の予定 384番 27NIS)
14:45 ベエル・シェバ到着
昼食?(パン、スナック)10.5NIS
15:00 出発 65番 15NIS
16:30 ミツペ・ラモン到着
17:00 宿到着
コンテナドミ×2泊 160NIS(カードOK)
ランドリー(乾燥込み) 20NIS
夕飯 分けて貰っちゃった。
翌朝食 スーパーでシリアルバーと水500cc 13.5NIS



旅の全体図はコチラ


パレスチナ の ヘブロン

2018年12月29日 23時00分11秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

年末年始のイスラエル・パレスチナ旅行旅3日目はヘブロン(アル・ハリール)旧市街がメインでした。

女性、一人旅、自由旅行、英語話せない、地球の歩き方に詳細が載ってないetc...
というグダグダ感ですが、出発前には海外渡航情報の危険度もランクも下がっていたので、訪問することができました。



ヘブロンはパレスチナ自治区にありつつ、現在はイスラエルの支配下にあるといって差し支えない感じです。



ヘブロン旧市街はユダヤ教とイスラム教とキリスト教の聖地で、ヘブロンにある「マクペラの洞穴(といっても洞穴じゃなくて大きな建物)」はユダヤ教とイスラム教、両方の礼拝所になってます。
自分はユダヤの安息日である土曜に行ったので、イスラム教側にしか入れませんでしたorz



マクペラの洞穴では、
1929年には暴徒化したアラブ人によるユダヤ人虐殺があったり(67名が死亡。でも、そのうちの55名はヨーロッパ人。生存した435名のユダヤ教徒は地元ムスリムに匿われて助かったらしい)、1994年にはユダヤ教過激派による銃乱射事件で29人のパレスチナ人が死亡したり、近現代でも民族・宗教の衝突の舞台になってます。(wikiなどより)



その時々で街のギスギス感などに波はあったようですが、2017年7月にパレスチナの申請で世界遺産(&危機遺産)に登録されたことにより、イスラエル側はガチ切れし、一気に緊張感が高まり、最新の歩き方では「危ないから情報載せません」となっていましたが、自分が行く時期には海外渡航情報も薄いオレンジに引き下げられていたので、訪問することができました。



ヘブロン旧市街にたどり着くまでには本気迷子になったり、なんやかんやてんやわんやでしたが、なんとか旧市街にたどり着きくことができました。
現地の方とお話ししたり、ガイドツアーにも参加できたりで勉強してきたことを、少しだけ(?)アウトプットさせて下さい。

キレイな写真もないし、既知の内容もあるかもですが、興味を持ってもらえたら嬉しいです。

ガイドさんはヘタレな自分にも根気よく説明してくれて、他のツアー参加者さんも言い回しを変えて伝えてくれたり、おんぶに抱っこでホントにゴメン。
でもありがとう。

パレスチナ側のみの言い分で、聞き間違いや勘違いもあると思われますが、よろしくです。

―――――

パレスチナ自治区のヘブロンには、現在約20万人のパレスチナ人が暮らしているが、その旧市街を中心に、約400人のユダヤ人入植者が住んでおり、彼らを保護するために5000人のソルジャーが投入されているそうです。
(20万人を2000人と聞き間違えたのは私ですorz)



自分がヘブロンを訪れたときは、入植者たち(ユダヤ系一般市民)の半数程度がアサルトライフルを携行していました。
その銃の入手経路を聞くと、身を守るためという名目で、イスラエル政府から支給されているとのこと。
当然と言えば当然かもですが、ヘブロン旧市街でパレスチナ系と思しき人物が銃を持っているところは一度も見かけませんでした。



ヘブロンはユダヤ教の4大聖地の一つなので、イスラエル政府は聖地奪還(というか占領?)のためにユダヤ人の入植を進めており、入植者には政府からの補助金も支給されているとのこと。(金額は聞き損ねた)
ここに入植してくるユダヤ人が、政府と同じ気持ちだけで引っ越してくるのか、+αの事情があるのか、自分には確かめようもありません。



入植はユダヤ人の人口を増やすだけでなく、パレスチナ人を追い出すという目的もあるそう。
入植者の安全のためという理由で、新たにユダヤ人が住みはじめた家の周辺のパレスチナ人を強制退去させたりもしているとのこと。
また、強制退去を仕掛けられるまでもなく、あまりの暮らし難さに耐えかねて(謎のルールや嫌がらせがあるため)、自主的に退去するパレスチナ人も少なくないそう。
つまり、今も住み続けているパレスチナ人というのは、強い意志のもとに残っているか、引っ越したくても引っ越せない事情がある人たちなのです。



そんな彼等が、こんな大変な時に、のんきに街を訪れる観光客に対してどう思っているのか気になったけど、どうやらありがたい存在らしい。
ソルジャーや入植者が酷いことをしないように、国連の見回り?的なものもあるけれど、それだけじゃ不十分。
でも、外部の目があるときは、ソルジャーもあまり攻撃的なことはできないので、そんな時に観光客の存在は心強いので、ウェルカムってことみたいです。



ベツレヘムやエズレル平野では、バスターミナルや、町の入り口にあったチェックポイント(鉄の回転扉などによる関所。基本的に身分証明書の提示が求められるが、旅行者は顔パスの場合もある)ですが、ヘブロンの旧市街では街中のいたるところにあり、生活の場を細切れにしていました。



見張り台のような場所も沢山あり、その上には目出し帽で顔を隠した狙撃手たちが待機していましたが、自分と目が合うと、皆一様に顔をそらしたり、奥に隠れたり。
(写真を撮る勇気は無かった)



旧市街では、大きな通りはパレスチナ人は通行禁止とか、パレスチナ人は車両不可という一方的なルールが、入植者の安全のため(?)ということで徹底されています。
さらに、広い通りにつながるゲートは、夜間は完全閉鎖となり、旧市街のパレスチナ人は街から容易に出られなくなります。



丸腰のパレスチナ人を呼び止めて、ボディチェックをすることも日常茶飯事。(って、言ってるそばからやってた)



また、法律(?)とかとは別に、嫌がらせも沢山あるそう。
屋上の水タンクは、ところどころ銃で穴が開けられている。
アーケードの上からはゴミや石や汚物や熱湯を落とされる。
通りをゴミや有刺鉄腺で塞いでしまう。
パレスチナ人の子供が通う学校に石を投げつける。
など。


―――――

やってることはハッキリ言ってクソ。
って思う。
でも、イスラエル人もユダヤ人も嫌いにはなれなかった。

それは、ひとつには「イスラエル人」とか「ユダヤ人」という括りが何の意味も持たないと感じたから。

自分はこの短い旅で、イスラエル人の特徴や共通点を「イスラエル国籍の人」という以外、ついに見つけることが出来なかった。
とても多様な人たちが暮らしていて、街の空気の違いは感じても、いわゆる国民性のようなものは捉えられなかったし、それは「ユダヤ人」にも言えることだった。

また、ヨルダン川西岸では、行政権と警察権の実権を、イスラエルとパレスチナのどちらがどのように握っているかによってA、B、C地区に分かれており、抜け道で地区をグラデーションに跨いで行くと、チェックポイントを通らずに、いつの間にかイスラエル~パレスチナ間を移動できてしまい、そもそも自分が今どちらにいるのか、自分の隣にいる人がどちらの人なのか、分からなくなることもあった。

そしてもし「入植政策に積極的なユダヤ教徒のイスラエル人」と限定したとしても、当事者じゃない(ある意味で他人事な)自分としては、「何故こうまで」「何が彼らを」と思いを巡らす余裕があり、憎しみよりも憐れみのような気持ちが勝る。

ヘブロン旧市街では、ひとりで歩いてるユダヤ人を一度も見かけなかった。
彼らも怖いのかも。

チェックポイントの鉄格子をするりと通り抜ける猫。
分離壁と有刺鉄腺を悠々と越えていく渡り鳥。
それら当たり前の現象を眺めて
「まぁ、そう だよ な ぁ 」
と、納得しきれないままヘブロンを後にしました。

ここまで目を通してくれた方、ありがとうです。


イスラエル初日(エルサレム)

2018年12月27日 23時00分57秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

イスラエル初日はエルサレム



12月27日(木)
嵐の中、予定の30分遅れでテル・アビブのベングリオン国際空港に到着。
ミッション・インポッシブルのヘリチェイスを見ながらの着陸は、まるで4Dムービー。
窓の外には稲妻が光り、なんとも不穏な空気。旅を暗示していないことを願うばかり。



イミグレは、歩き方などには「質問が多い」と書かれていた気がするのだけど、入国審査はザルだった。「観光?」「初めて?」「ひとり?」で終了。

今のパスポートの最後の旅になるので、記念にスタンプをもらいたかったが「今はスタンプ置いてないんだよね」とのこと。欲しくてももらえないとは・・・残念。

荷物は機内に持ち込んでいたのでターンテーブルはスルー。

空港内のATMで1900NISを引き出し、エルサレム行きのシェルートを探す。
(ATM手数料が¥210、楽天カードの手数料が¥858だった)



ちなみに2000NISにしなかったのは、少しでも細かくなればと思ってのことです。
1000NIS×2枚とか使いにくそうだし。


到着からここまで20分。
8:00には空港の建屋を出た。

建屋を出るとものすごく分かりやすい看板。



その通りに歩いていくと、数台のバンが停まっている。



おっちゃんが「どこ行くの?」と聞いてくれるので
「エルサレム」と答えると「あれだ」と、お目当てのシェルートまで連れてってくれた。

運転手さんに予約しておいた宿の住所と電話番号をすぐ見せられるようにしておくと吉。住所はもちろんヘブライ語表記が大吉。

シェルートは満席ではないけれど、5人ほど乗せて出発。

道中、早速の分離壁



シェルートは半分タクシー的なバスなので、乗客の任意のところで下車できるけど、特段まわり道をしている感触はない。
しかし時間帯が悪かった。
本当は45分~1時間くらいの距離なのだけど、エルサレムにつく頃が、ちょうど朝のラッシュにバッティング。
抜け道に入ったつもりが一通や左折禁止に引っかかったり、同じところを2度走ったり。
けっきょく宿にチェックインしたのは9:30だった。
空港がサクサクだったので、これでドロー。

ちなみに本日の宿は「Herod’s Guesthouse」
場所は城壁外、ヘロデ門から5~10分くらいのところ。




この日は空港だけでなくエルサレムも雨。そして風もすごい。
折り畳み傘をもっていたけど役に立たなくて、途中で長い傘(25NIS約750円)を買ったけど、1日の終わりには骨が半分以上折れて、翌日は使い物にならないレベル。
リュックに入れていた地球の歩き方も雨でブヨブヨになった。

「雨季ヤバ!」って思ったけど、こんな嵐はかなり珍しいとのこと。
実際、翌日は降っても小雨程度で、折り畳み傘で事足りた。
傘2本目購入とかヤダなと思っていたので助かった・・・。


10:15、ちらりとのぞく青空に「これから晴れるかも!」と自分の運を信じ、この後に待ち受ける嵐をまったく予感せず街に出る。

ヘロデ門までは歩き方の地図のみで無事到着。
城壁内の旧市街を散歩しつつ、まずはダビデの塔を目指します。



旧市街は石畳の階段が多くて、アップダウンも激しい。
細い通り、背の高い建物、アーケードなどが多く見通しがきかないので、大きな建物も目印になりません。
アーケード内には「岩のドーム→」とかの看板もたまにありますが、自分の目当てのものの看板があるとも限らないので地図大事!
紙地図派の自分は本格的に迷ってから見ても意味ないので、都度確認しなきゃなんだけど、ついつい勘で歩いてしまう。



途中で焼きたてのぶどうパン3NISを買って朝ごはんにし、ちょっと迷いつつダビデの塔についたのが11:00頃。

最初、ダビデ門とか城壁ウォークの受付周辺をウロウロしてしまい、ダビデの塔の入り口発見に手間取ってしまったorz
思い込みはキケン。


自分は夜のプロジェクションマッピングの入場券&ダビデの塔入場チケットのセットを日本でネット予約しておいた。
https://www.tod.org.il/en/

受付で予約のバーコードを見せると、ペラペラのレシートみたいなチケットと交換してくれた。
このペラペラを夜までなくさずにキープしないと、プロジェクションマッピングが見られなくなるとのこと。怖い。

怒涛のワンオペ受付




ダビデの塔は内部が博物館になっているけど、言葉も分からないし、どんどん街歩きに出たかったので、ほぼスルー。
とりあえず屋上(?)にあがって、旧市街を見渡すはずが、暴風雨がヤバイ!









岩のドームの奥の小さなキンピカはマグダラのマリア教会。
空いてる日がめっちゃ限られてる。

見通しも悪いし、カメラを濡らさないようにするので精一杯。そして寒い!
ものの数分で退散。
そして決意。「城壁ウォークはやめよう」
たぶん修行になっちゃう。

11:30頃にはダビデの塔を後にし、長い傘を購入したら、ビア・ドロローサというキリストが最後に歩いたといわれる道を逆走しながら嘆きの壁へ向かうはずが、たぶん神殿の丘(岩のドームとかあるところ)の出口専用ゲートに出ちゃったり・・・






近くまで行ってからちょいちょい迷って、けっきょく人に聞いて辿り着いたのは、マイナーな方のゲート。



鉄の回転扉も、荷物チェックのマシンも1台しかない。
荷物、上着、カメラなどはすべてチッェクを通すので、ちょっと面倒くさい。
ただ、悪天候のせいか人は少なくて割とサクサク通れた。

12:00頃、嘆きの壁に到着。
人が少ない。盛り上がりに欠ける。雨がにくい。



お祈りエリアは男女別になってるけど、普通に中は見渡せる。
男性は壁の左側、女性は右側にシナゴーグ的な祈りの部屋もある。
女性用はめっちゃ狭い。

嘆きの壁のお参り(?)の流れとしては、紙に願い事を書いて(現地にテーブルとかありました。ペンは持参したほうがいいかも)、その紙を小さく折りたたみ、壁の隙間などに押し込んで祈る。
帰るときは壁に背を向けずに後ずさりで去るのが正しい方法みたい。
自分も後ずさりで帰ったが、どこまで後ずさりを続ければいいのか、ちょっと悩んだw
なお、後ずさりしてないからって怒られることはない。



雨のせいか、人まばら。


紙、ギッチギチ。




落ちた願い事はためらいなく掃除されてく。


横っちょの祈りの場。



ちなみに、嘆きの壁の前の広場は、昔はパレスチナ人の家々があったそう。
第3次中東戦争のイスラエル側の勝利を経て、その家々を取り壊し、今の広場を作ったらしい。
それまでの「聖地に近づくことを許されないユダヤ人」はとてもかわいそうだと思うけど、上記の話はやっぱりモヤモヤする。


雨の中、ひとしきり嘆くとちょうどいい時間になってきたので、キンピカの岩のドームで有名な神殿の丘へ。

ちなみに嘆きの壁・女性側の壁の上を通る渡り廊下的なものが、神殿の丘につづくルートです。

一度嘆きの壁から離れるべく、マイナーなゲートを出て神殿の丘の場所を聞くと「嘆きの壁を突っ切った方が早い」と言われ、再度セキュリティーを通過。
出て1分経ってなくても、手加減なく再チェック。めんどい。

マイナーな方のゲートは、嘆きの壁に向かって左後ろ、メジャーなゲートは壁に向かって右横にるので、広場を突っ切って逆サイドへ。


メジャーなゲートを出たら、なんかプチパーティーやってた。





で、メジャーなゲートを出て神殿の丘へのゲートを探すが見つからない。
ここで地味に10分ほど迷いましたが、なんと嘆きの壁のゲートと並んでました。
鉄の回転扉が3っつくらいあるのですが、その一番右側が丘行き。



こんな小さい看板、気づくか!!
結局並んでる人に「嘆きの壁?岩のドーム?」と聞いて列を見極める。
オープンのちょっと前に並び始める予定が、若干出遅れてしまった。

ちなみに2018年末現在、神殿の丘に入れる時間には制限があります。
曜日とかにもよって異なるので、事前に要確認。

この日は朝の部と昼の部があって、昼の部の12:30~13:30を狙ってました。
出遅れたけど、雨のせいか列は短くて、すぐに入ることができました。
セキュリティチェックを抜けて、嘆きの壁の上を跨ぐ渡り廊下を通って、いざ神殿の丘へ。

12:45頃到着。
ちょうどアル・アクサー・モスクの扉が開いていて、中が見えた!



まったく必要は無いんだけど、神殿の丘にヒジャブで入場してたら「ムスリムか?モスクこっちだぞ」と、たびたび声をかけられ、中に入りたい気持ちはあったけど、さすがに嘘はつけないので、正直に「ちゃうよ~」と回答。
ただ、異教徒と分かってもヒジャブしてると、より親切にされる気がする。

岩のドーム。




東屋の天井もすごい




こちらも何故か扉が開いてて中が見れた!





門番みたいな人も「散れ!」って感じじゃなくて
「写真撮影の人はこのラインまでだよ~」って感じで和やか。



青空ならもっと映えるんだろうな~。



敷地内をウロウロして、北の林?の方まで散策し、トイレによって(無料・紙あり)、新婚カップル的な二人と遭遇(写真OKでビックリ)




King Faisal’s Gateから出る。
入るのはモロッコ門のみだけど、出るのはだいたいどこの門でも大丈夫。
13:30に退場。




門を抜けてまっすぐ行くとライオン門からビア・ドロローサにつ続く道にでる。

ちょいと右に歩くと「Birth Place Virgin Mary」と書かれた扉があったので入ってみる。



どうやら聖アンナ教会にいたらしい。
しかし、帰国後に調べると自分が入ったのとは全然ちがう写真がヒットする。
どうやら自分はメインの教会の横っちょにある地味な建物に行ってたらしい。
そんなことは露知らずだったけど、マリア様生誕の地とか、マリア様のご両親が暮らしてた洞窟とかでテンションあがってたので、まぁよしとする。

傘立てのような謎の柵


さらに地下へ





入り口横には小ぶりな礼拝堂?もあった。
天井のフリー・メイソンっぽいマークが気になるw





10分ほど滞在して表に出る。


15:00からオープンする聖ヤコブ大聖堂は絶対見たいんだけど、それまで1時間ちょっとヒマなので、ヴィア・ドロローサを歩いてみる。

ヴィア・ドロローサは、キリストが十字架にかけられるまでに歩いた最後の道で、道中のエピソードに従い第1~14留まで、ナンバリングがされてる。
留は英語だとステーションでOK。
現地の人もなれたもので「ステーション7?」とか聞けば、それがヴィア・ドロローサのものを聞いてるってすぐ分かってくれます。
なんなら数字だけでも通じる予感。

第8留までは歩き方の地図をみながら、割とサクサク回れるけど、第9留に行くのに殆どの旅行者が迷っている模様。
「え?ここ?」という細い通りに入って、何度も曲がりくねりながら(といっても分岐は少なめ)階段を登っていくと辿り着くのですが、想像より歩くし、歩き方の地図だと少し道も端折られてる感じ。
「ホントにここ?」という疑念を拭えず、辿り着く前に引き返してしまう人もいるっぽい。
不安になっても、あと50mだけ進んでみて!

観光客同士で「あっちだよ」「この道であってるよ」と教えあいながら辿り着くのはツアーでは味わえない探検感。

これは脇道


2留かな?


最初につまずく


昼間のヴィア・ドロローサは混んでます。


2度目につまずく
足元の石にあぶらとり紙的なものをなすりつける人も。


8留
この壁の印だけかと思ってたが、この壁の向こうに教会があるらしい。


見つからない9留。
「え?ここ?」な道を入って、信じて進むべし。
歩き方の地図も、きっかけの曲がり角は合ってる。
小道に入った後が少し端折られてる気もする。




なんかヒンドゥーっぽい?
あるいは真夜峰雄。





14:45頃、第10~14留までが詰まっている聖墳墓教会へ。
聖墳墓教会の前庭につづく門がめっちゃ小さい。

奥の小さなアーチ。(写真は早朝)


なんとなく通り抜けていたので、最初は聖墳墓教会に辿り着いたことにすら気づいておらず「立派な建物やね~」くらいのテンションで写真撮ってた。



その後、ここが聖墳墓教会と気づいたけど、翌朝に再訪する予定だったので、中には入らずにそろそろ聖ヤコブ大聖堂へ。


聖ヤコブ大聖堂はアルメニア教会系列で、毎日15:00~15:30の30分しか一般公開されないので「この短いチャンスを逃してなるものか」と思っってたのに少々道に迷い、その辺の人に場所を聞くと「ついてこい!」と案内してくれたのだけど、到着後に「お金ちょーだい」
あぁぁぁぁorz
モロッコかよ!と心で毒づき、てかこの人アラブ系だわと妙に納得しつつ、でもやっぱこのやり方には納得できない。
30NISとか言ってるけどなんかヤダ。
教会の入り口の人に相場を聞くと「15でいい」って言ってるけど、小銭ないので10NIS渡して「今後はアラブテンションで人々と接するべし!」と肝に銘じて早々に教会へ。
(この後は、そういう人には出会わなかったけど)

15:00ちょい過ぎ、無事教会に入れた。

礼拝の時間で、祈りの言葉や賛美歌(?)が響き、聖堂内は電気を使っておらず、窓から差し込む外光のみなのが「昔の人と同じ景色を見ている」って気持ちになれて、すごく厳かな雰囲気でよかった。











15:30までみっちりと入り浸る。
その後、シオンの丘方面へ。

朝から雨で滑りそうな石畳などを、ブーツで歩き続けてきたせいか、この頃にはひざがミシミシと悲鳴をあげており(ひざに若干の故障があるのです)、それなのにタクシーとか使わず、結果的に鶏鳴教会に行きそびれたのは我ながら残念だった。
ただ、マリア永眠教会とかはタクシーで行くより、個人的には歩きが好きかも。
なんか、通りから見える建物の感じとかも良かったし。



でも、まずはダビデ王の墓へ16:00頃到着。
最後の晩餐の部屋は、有名な絵画とは似ても似つかず。



てか、ステンドグラスとかちょっとアラビックに見えるのは己の無知ゆえ?




王の墓はユダヤ教らしく男女別のお祈りルームになってて、棺をドーンと置いた広間をパーテーションで分けてる感じ。
正統派っぽい女子たちが熱心に祈ってました。





偶像崇拝禁止らしいけど、写真NGとか書かれておらず、ちょっと意外。


16:30頃、マリア永眠教会に到着。



自分が行ったときは地下のメインのエリア(マリア様の石像とかある部屋)が、ちょうど2週間の掃除?改装?の最中で入れずorz

でも、1階の聖堂もすごくステキだった。
広々してて、モザイクもすごくキレイで、疲れきってたので閉館の17:00まで入り浸ってしまった。











ゆえに鶏鳴教会に行けず・・・。

年末年始近辺は、日没も16:30頃とかなり早く、この時点で薄暗い。
そして、もう宿に帰りたい。
熱いシャワーとお夕飯とベッドが欲しい!
のに帰れない。
なぜならダビデの塔のプロジェクションマッピングを予約してるから。

悪天候で中止のときは返金されるらしいけど、そして今日の暴風雨は個人的には中止レベルなんだけど、なぜかHPとかでの事前通知はなく、当日のその時間に受付に行かないと決行・中止が分からないorz

仕方が無いので、カルドという昔の商店街的な遺跡をお散歩。
ここは屋根あるから傘いらないし、風もこない。











見終えてしまった。
お店とかはまだ開いてるけど、もう一歩も歩きたくない。寒いのもイヤ。雨もイヤ。風もイヤ。
そんなわけで、ダビデの塔の目の前のカフェにて待機。



コーヒーとクッキーで17〜18NIS
城壁内にしてはまともな価格だったけど、初日なのでその時は感覚が分からなかった。

旅初日にして地図ボロボロ。


18:50頃、ダビデの塔の受付に向かう。
19:00からのプロジェクションマッピングは決行とのこと。
マジか。
いっそ中止でも・・・と思っていたので愕然とする。
いちをペラペラのポンチョはくれた。

ダビデの塔のプロジェクションマッピングは人気なので、当日券はなかなか取れないと聞いてたし、しかも年末年始ってことで、チケットの売れ行きは悪くなかったんじゃないかと想像するのだけど、並べられたパイプ椅子は9割空いてる!?
たぶん、この嵐で中止と思い込んだ人が多かったと思われ。

ちなみに開催してるのに来なかったって場合、とくに返金などはされないそう。(そりゃそうか)


ショー自体はすごく見ごたえがあった!
自分が見たのは、英語は分からないけど、ダビデ王の一生とか繁栄とかの物語っぽい。
(違うバーションのものもあります)
動きもあって、場面転換も鮮やかで、(言葉が分かれば)勉強にもなって、とても面白い面白かった。

ただし、この日は我慢大会。
吹き荒れる暴風雨にはためくポンチョのすそを押さえ、ポンチョだけじゃ足りないので傘もさし、その傘が飛ばされないように&オチョコにならないように必死に角度を調整しながら握り続ける。
寒さで手も顔も真っ赤。写真なんて撮れない。下手したら傘がジャマで肉眼で見るのもままならない。

が、自分は途中でガラス張りの扉を発見したので、そちらに退避して鑑賞。
壁とかちょっとジャマで全体は見られなかったけど、避難できて本当に良かった。
ってことで写真はこちら。(本当は動画が面白いです)















19:40頃にショーが終わって外に出ると、外壁でもプロジェクションマッピングやってる!(広告とかだけど)



旧市街を通り抜け、夜は危なくなる聞いていたダマスカス門をくぐり、20:00頃には宿の近くのサンドイッチスタンドに到着。
サンドだけ買った。



けど、店内で食べてたらフライドポテトをサービスしてくれた。



朝にぶどうパン1個食べたきりだったので、サンドと芋が五臓六腑に染み渡る。


エルサレムの宿は
Herod’s Guesthouse
城壁外、ヘロデ門から5分くらいのところ。
ベッド、棚、椅子、ヒーターのみの簡素な個室。
(独居房じゃないよ)
トイレとシャワーは共同。
シャワーはお湯ポカポカ。
Wifiは部屋でもサクサク。
クレカOK。
キッチンとかもある。
3泊で405NIS(約12000円)でした。




温かいシャワーで疲れを流し、飛行機で寝違えた首と、ガクガクの足にシップを貼り付け、着圧ソックスを履き、洗濯物にヒーターの温風を向けて就寝。

あーした天気になーーあれ!


覚えてるお金
・空港~エルサレム旧市街のシェルート 67NIS
・道端で買ったぶどうパン 3NIS
・道案内されたアラブ人へのチップ 10NIS
・傘 75NIS
・カフェでクッキーとコーヒー 18NIS
・夕食のサンドイッチ 10NIS
・水500cc 3or5NIS
・ダビデの塔の入場券とプロジェクションマッピングのセット券 ¥2,472(日本でネットで購入)


イスラエル・パレスチナ旅行 全体図

2018年12月24日 23時30分59秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

こんばんにゃ
2018〜2019年、平成最後の年末年始にイスラエル・パレスチナに行ってきたので、その記録をまとめます。
どなたかの参考になれば幸いです。



スタイル:一人旅、自由旅行、バッパー。
スペック:英語力・体力・財力は下の下。
事前準備:ヘブライ語をちょっぴり勉強。

◆◆日程◆◆
12/26(水) 午前は出社 → 会社から直接成田空港へ
12/27(木) 7:40テルアビブ到着 → エルサレム観光
12/28(金) エルサレム観光 ※夕方からシャバット
12/29(土) ヘブロン&ベツレヘム観光 ※夕方までシャバット
12/30(日) 死海(エン・ボケック)→ ミツペ・ラモン(砂漠)
12/31(月) ミツペ・ラモン観光 (砂漠でジープサファリなど)
1/1(火)  ミツペ・ラモン→エルサレム → ティベリヤ観光
1/2(水)  ティベリヤ観光(ほぼハイキング)→ゴラン高原
1/3(木)  ゴラン高原&メトゥラ&ツファット観光→ハイファ
1/4(金)  ハイファ観光→テルアビブ&ヤッフォ観光 ※シャバット
1/5(土)  テルアビブから出国(2時間しくじる)※シャバット
1/6(日)  成田に帰国
(翌日から仕事はキツイけど頑張ろう)

※シャバットとはユダヤの安息日です。金曜の日没~土曜の日没はユダヤ系の殆どの機関が止まり、お店は休業してしまいます。
嘆きの壁なども、ちょっと厳しくなります(写真ダメ!とか)



◆◆旅費◆◆
ほぼ総額¥228,318
内訳
●航空券 ¥125,050
(キャセイ・パシフィック/香港経由)

●宿9泊 ¥31,589
(ドミやホステル。平均¥3,500/泊)

●キャッシング ¥56,168 =1,900NIS
(1NIS ≒ ¥30)
※300NIS(¥10,000弱)ほど余らせ帰国

●キャッシング手数料 ¥858
(楽天カード。リボにあらず)

●現地ATM手数料 ¥216
(到着ロビーの赤いATMを利用)

●ダビデの塔 ¥2,472
(入場券とナイトショーのセット券)

●ミツペ・ラモンのジープツアー ¥6,326
(混載で2.5時間)

●日本での空港バスなど ¥4,500
(東京→成田空港→YCAT)


現地の色んなものの値段
単位はNIS=シェケル/1NIS≒¥30
○水は500mlで3NIS、1000mlで5NISくらい
○サンド系の軽食+ジュースで25~35NIS

○バスは安い。主なところは以下の通り
・エルサレム~ベツレヘム(アラブバス)6.5NIS 30分
・エルサレム~エンボケック(遠い方の死海)37.5NIS 2時間
・エルサレム~ティベリヤ(90号を通る)37.5NIS 2時間半

○電車も安い。利用したのは1回だけ
・ハイファ(バト・ガリム駅)~テルアビブ 27.5NIS 1時間

○エルサレムのメータータクシー
・ライオン門~昇天教会(1kmちょっと)15NIS

○エルサレムのアラブ人タクシー
・メアシェリーム~ヤッフェ門(2km弱 夕方ラッシュ)40NIS

○ハイファのユダヤ人タクシー
・バハーイー庭園→宿→バト・ガリム駅(5.5km)70NIS

○テルアビブの美術館(企画展と常設展のセット券)60NIS
○有料トイレ 1~2NIS(ちょうどで用意するべし)

○ガリラヤ湖畔のセント・ピーターズフィッシュは74~79NIS(+税)

○宿などもクレカや外貨払いは無税だけど、NIS払いは税金がかかる。


◆◆エリア別の感想◆◆

●エルサレム旧市街
城壁内はアーケードが多くて周りが見えず、目印になるような建物が見えない&目的地間近でも気づかない。
全体的に坂道や階段多数で、しかも滑りやすい石を使ってるところも多いので歩きにくくて疲れる。
城壁内はなんでも高いので、夕食とかは壁の外がオススメ。




●エルサレム新市街
都会でキレイ。夜のライトアップが可愛い。
てか、夜しか歩いてないので、実はよく分からない。




●ヘブロン
英語の通用度が低い感じ。たまにペラペラの人もいたりする。
パレスチナなのでアラビア語が役に立つ。
イスラエルとパレスチナがバッチバチのエリアなので旧市街は緊張感がハンパない。
チェックポイント(検問)多すぎ。
旧市街に行ったら英語堪能なガイドさんを見つけて社会科見学するべき。
旧市街は部分的にゴーストタウン。
新市街はめっちゃ賑わってます。
物価は総じてエルサレムより安い。




●ベツレヘム
英語の通用度が低い。パレスチナなのでアラビア語が役に立つ。
タクシー運転手の「遠いよ」「バスないよ」は絶対に信じちゃだめ。
物価は総じてエルサレムより安い。




●エン・ボケック(死海)
高級なエン・ゲディではなく、エン・ボケックの無料ビーチに行ってきました。
自分が見た範囲では、鍵つきロッカー的なものは見当たらず。
荷物をつめたバックパックを日除けの柱(沢山ある)にワイヤーでつないでおいた。
更衣室、シャワー、トイレ、足洗い場などはちゃんとある。
マクドナルドとかの看板も見えたし、周囲には高級ホテルがわんさか建っているので、ご飯とか食べる場所はありそう。
(食べてないけど)

エン・ボケックのバス停では、人気の方面だとバスが満席ってこともあった。2便見送ってる人もいた。(そういう時はバス増便してるかも)
自分の乗ったベエル・シェバ行きのバスは乗車率1割未満でガラガラ。




●ミツペ・ラモン
でっかいクレーターのある砂漠。でも旅行者は少ないらしい。
近場の遺跡へのアクセスも悪くなさそう。
北のハンガル地区は芸術が盛んでアトリエとかギャラリーとか飲み屋もある。
ガゼル的なのがウジャウジャいるので、動物好きにもいいかも。




●ティベリヤ
ガリラヤ湖畔の町。廃墟と野良猫とカモメ的な水鳥がウジャウジャで、湖畔はかなり埃っぽいし、町全体がゴミゴミしてる。
宿も汚かったw
町から出てハイキングなどをした方が、湖畔ののどかさを味わえてよい。
余談だが、エルサレムからティベリヤを目指すなら、是非90号線を通るルートで、ヨルダン川側に座ることをオススメする。
景色がステキ!
(天気がよければね)



●ゴラン高原
冬に行ってはいけない。
ツアーやレンタカーがオススメ。
夏に行ってハイキングや川下りをしたい。
シリア国境間近だが、いたって平和で緑豊かな高原である。
しかし地雷原も広大なので注意されたし。
雷が鳴っても「訓練かな?本番かな?」っていう地元のテンション。
イスラエル最高峰のヘルモン山にも近く、メッサダやマジダル・シャムスなどシリア系住民の村も多く、文化的にも興味深い。
ワインも美味しいよ。




●ツファット
オーソドックスなジューイッシュが多い。
坂と階段も多い。
白い壁に青い格子窓などが映える小さいけどかわいくてステキな村。
夜しか見てないけど、昼間も良さそう。
ここも聖地です。




●ハイファ
海から一気にそりあがる山肌にある町。
とにかく坂が多い。うまくバスを使いたい。
目的地には何番バスで行けるのかを調べておくだけでも吉。
Suicaぽいやつ買っておくと、これも吉。
バハーイー庭園はキレイだが、観光はちょっとしにくい感じ。
庭園を突っ切れないのが不便すぎる。
個人的にはバーブ廟が結構好きかも。
(いい匂い)
夜景がきれい。
民族問わず気さくな人が多かった。
すごくいい感じの波が来てて、サーファーやSAPもちらほら。




●テル・アビブ
めっちゃ都会!かと思いきやレトロな町並みやキレイな街路樹もある。
色んな顔をコンパクトにギュギュッと詰め込んだ感じ。
ヤッフォもめっちゃ近い港町。
いずれも平和で明るくアート好きな雰囲気。
ひとり歩きしていないので、気づいてない部分もたくさんあるかもだけど。




◆◆治安とかの話◆◆
●自分は無事に帰国。
●殆どの街で日没後もウロウロしたけどそんなに危機感はなかった。
●夜のエルサレムは一人だとちょっとドキドキ。初夜だったからかも?
●エルサレムなどは要所要所にマシンガンみたいなのを装備した警官がウヨウヨいてドキドキするけど、いないほうが危険?
●ヘブロンは警官?アーミー?の数が一番多かった。というかダントツで多かったし、マシンガンを携行している民間人も多かった。これは別途ちゃんと書く。
●イス・パレの国境(?)を越えるバスの車内検査員は防弾チョッキ着用。写真はもちろんNGでした。




◆◆人々の話(主観)◆◆
●色んな民族が入り混じっているし、エリアの個性も強いので、一言で「イスラエル人は~」とは語れない。
●メア・シェリーム地区(ガチ系のジューイッシュ村)はカメラ持ってるだけで子供に唾吐かれたり、にらまれたりもした。(大人はスルー)
本気度が高い人ほど写真NGだが、稀に向こうから「撮ってくれ~」って人もいる。
●とにかく今回は依頼撮り・隠し撮り、ともに人間の写真が少ないです。
●長距離バスの運転手さんは総じてとっても親切だった。
●タクシー運転手は油断ならない人多数。
●バス・ノット・カミングおじさん(タクシー運転手)には要注意。
要所要所のバス停で「バス・ノット・カミング」と声をかけてくるけど、バスは来ます。(シャバット中のユダヤ系バスは本当に少ないけど)
タクシー運転手以外のローカルさんに確認するべし。
●メータータクシーに乗れたらラッキー。
●車内でナンパしてくるアホもいます。
●タクシーへの悪口が止まらない。
●美人がめっちゃ多いと聞いていたが、言うほどでもないかも?
●でも、たまにものすごい美人がいる!つい振り返ってしまう。



◆◆総括◆◆
また行きたいにゃあ