みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

7月30日活動報告  ~南相馬ボラ 1日目~

2011年07月31日 23時59分41秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

ボランティア活動4回目(7〜8日目)の活動報告です。

今まで3回(6日間)は宮城で活動してましたが、今回のボラは初めての福島入り。
割と避難区域に近い南相馬での活動となりました。

7月29日(金)
某企業での最後の勤務を終え、晴れて無職に(T-T)
その足で埼玉の三郷に向かいます。

30日 0時半
今回のメンバーと合流(全員初対面!)
ボスの車で一路、南相馬を目指します。


早朝5時頃? 海辺に到着。
ボスが少し寄り道して、街の様子をみせてくれました。
初めての福島入りの自分にとってはありがたかったです。





原町火力発電所。
震災時に揚炭機全4機が破損。8万トン級の石炭船も沈没。
福島第一原子力発電所事故による緊急時避難準備区域内なので、復旧の見通しは立ってないそうです。





小さな向日葵
花の姿にはいつも心が温まる。





この柵の向こうは立ち入り禁止。
なんだかなあ…


6時頃
道の駅で朝ご飯を食べて仮眠→南相馬ボラセンへ

受付を済ませ、簡単なオリエンテーションを受けたら仕事の割り振りです。

ちなみに、こちらのボラセンの基本的な仕事の割振りの流れは以下の通り。

受付をする

名札をする

付箋紙に名前と連絡先を記入

壁に張り出された本日のニーズ表の作業内容を見て、
自分で付箋紙を貼り付ける
(意識はしなかったけど、定員もあるはず?)

出発の準備が整った作業チームから順次出発


とても効率よく割り振りができるシステムだと思いました。

ただ、集まるボランティアさんがある程度なれてて、ボラセンもコンパクトだからやれる方法かも?


この日は雨のため屋外作業は中止。
泥掻きしたそうで残念ムードの方もいましたw

自分は前回の女川同様、写真などの洗浄作業に行ってきました。

おそらく通常の写真洗浄は水を使うと思われますが、こちらでは以前に洗浄後の乾燥不足のためか写真が酷く黴びてしまうということがあったため、すべて水無し洗浄でした。

でも、乾いているスポンジや刷毛、あとシリコンのお好み焼き返し、ウェットティッシュで相当キレイになる!
少し時間はかかるけど、画像が溶けたりする心配はありません。
(でも、水有りの方が作業は楽でした(^_^;))

女川で写真洗浄をやったときは、同じ場所で被災者さんへの写真の受け渡しもしていたので、
いわゆる『顔の見える作業』だったのですが、今回の作業場では洗浄のみで受け渡しは別の場所だったので、
少し寂しい感じもしました。
でも、女川での嬉しそうに写真を持ち帰る方々の様子を思い出すと『今洗っているこの写真もいつか…』と、頑張りやすかったです。

逆に、初めての写真洗浄らしき若者たちの一部は、かなりのやるせなさを感じている模様。
相手の顔が見えるか見えないか(想像できるかできないか)で、こうもやりがいが変わるんだなとシミジミ…


活動後は銭湯で汗を流し、原二中へ。

原二中は避難所兼ボランティア専用宿泊施設で、住民の方々は校舎を生活の拠点にしており、
我々ボランティアは体育館に寝泊まりできます。
(ボランティア専用宿泊施設は8月15日に閉鎖orz)




女性の寝床はこんな感じ。
ゆったり広々。男性とは別エリアです。



ちなみにこちらの宿泊施設は宿泊費は無料です。

毛布、枕、電子レンジ、トースター、冷蔵庫、洗濯機(と洗剤)、ガスコンロ×2、扇風機などが揃っていて使用は自由。
(大騒ぎしなければ飲酒もOK)

なので、夜は持ち寄ったキャンプ道具なども生かして、格安の激うまディナーを作って頂き(自分も混ぜるのは手伝った)晩餐会。





全国から集まった様々なボランティアさんとの交流も楽しかったし、ちょっといい話や失敗談、自分が行ったことの無い地域の話なども聞けて、勉強にもなりました。

これはこういう施設ならでは特権かも!


そうは言っても21時半には完全消灯となるので、明日に備えてとっとと寝るべし!

ホント、健康的でしたw


翌日の活動報告につづく だにゃあ。

怖い?怖くない?~シーベルトの話~

2011年07月29日 23時35分37秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

神奈川県に住んでる私は
『放射能、怖いよね』
みたいな言葉が、基本的にピンとこない。

もちろん想定外の高い数値が出た!とか、食肉出荷停止!とか聞くとギクッとするけど。

特別に政府に対して信頼が有るとか無いとかいうこともなくて、なんとなく
『直ちに健康に被害が出そう』になったら、何がしか通達もあるだろう…みたいなユルいノリである。

多分、これが巷で噂の『思考停止』ってやつだな。



少しだけ体弱い30過ぎの私は、多分もう折り返し地点付近だし、放射能の影響がハッキリ出る前にポックリな気もする。

今まで散々東京電力の電気を使ってきたんだから、怖いとか言う権利はない気がする。

なんてのも、後付けの理由というか、あくまでも『怖くない』『怖さを感じられない』ってのが先にあるから展開される理論だなとは感じる。
間違っても潔さとか、そーゆーもんじゃない。

だから、『怖くない派』の方々が『怖い派』の方々を小馬鹿にしたり、臆病者扱いするような事はあっちゃいけないと思う。


逆に、怖い派の展開する色々な理論も、まず怖さありきにも聞こえる時もある。

たとえば『政府の言うことは信用できん!』とかも、信用出来ないから怖いんじゃなくて、怖いから信用出来ない。的な?
(たしかに信用は出来ないけど…)

上手く言えないけど、不安や恐怖があって、それをなだめたり発散するための『反応』的な言動も多少は混ざってる気がする。
(それが悪い事って意味ではないです)

私も、妊娠したり、子供がいたりしたら、また違った反応だったとも思うし。



放射能が、具体的に人体にどう作用するのか、キチンとイメージ出来てる人って多分殆どいなくて、だから、そこから喚起される恐怖心はあまりにも人それぞれで、しかも命に関わることなだけに感覚は本能的で、意見は譲りがたく、よほどクリアな数値やデータやイメージや実例がない限り、みんなで共通の認識を持つのは難しいんだと思う。

なんか、ある意味で未知の伝染病みたいな感じ?


目の前にお腹を空かせたヒグマが現れた時に、命の危機や死の恐怖を感じてる人を、誰も大袈裟だとか臆病だとか思わないだろうし、
三輪車で近づいてくる2歳児に恐怖心を抱かない人を、鈍感だとか危機管理意識に欠けるとかは誰も思わないと思うから。




そんな『怖くない派』の私ですが、怖いことがある。

『福島に行くんだ』
『福島に行ってきたんだ』

これを人に伝えるべきか、会話の最中、コンマ2秒くらい逡巡する。

きっかけは、怖い派の友人からのアドバイス。

『福島に行くって、あんまり人に言わない方がいいかもよ?』

そいつ自身はツマラナイ差別とかはしないと信じてる。

でも、その(福島入りしたという)事実は、時として人に恐怖心を抱かせることがあるって可能性と、その誰かの恐怖心が悪気はなくとも私を傷つけるような行動を引き起こす可能性があることを心配してくれてるんだと思う。
(買いかぶりすぎ?勘違い?)

ニュースでは、福島からの転校生がイジメにあったり、福島ナンバーの車が給油拒否にあったりって情報を聞いていたけど、なんだろう…
怖い派の人の意見を初めて身近に、リアルに聞いた気がする。


私は軽いノリ(?)で、ちょっくら行ってくるっす!くらいの感覚だったけど、その距離感や感覚の違いのズレの大きさを初めてリアルに感じた。

原発離婚、あり得るなって理解はしてたけど、なんか、ホントに実感した。


私は、色んな事を、軽く考えすぎているのかもしれない。
キチンと向き合えていないのかもしれない。

私の想像をはるかに超えて、震災における『人間関係』という事態は、人を傷つけてたり、傷つけられたりしているのかもしれない。


嗚呼、でも、とにかく明日は頑張ろう。

私はこれから南相馬に行ってきます。
だにゃあ。

ありがとうの効用

2011年07月28日 12時13分53秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

昨日は職場の送別会(自分のw)をかねた女子会でした。

大井町の、知る人ぞ知る的なイタリアンをノンアルコールで堪能(バイクあるから)した帰り道、僭越ながら言わせて頂きました。

『もし考えてくれてたらなんですけど、最終日は花束とか無しでお願いします!』

(゜Д゜)←みんな

最終日は金曜なのですが、自分、金曜は会社のあとは芝居の稽古。
そして稽古のあとは直接ボランティアに行っちゃうので、お餞別とか頂くとちょっと困ってしまうのです。
(車だしてくれる人から荷物は少なめでよろしくって言われてるし)

そんな事情を説明したら

『どこ行くの?』

『福島っす』

『初めて?』

『四回目っす』

『いつも福島なの?』

『前回までは宮城っす』

『私、仙台出身なの!ありがとー(^-^)』


やっぱ嬉しいな、ありがとーって(^-^)

人が喜んでくれると、どうして自分が嬉しくなるのか分からないけど、この手の機能・効用を目の当たりにする度、人間ってスゴい!って思う。

人間ってスゴいんだにゃあ!

石垣島旅行記 陸上編・初日

2011年07月24日 00時57分48秒 | みう・ばいく&国内旅行
こんばんにゃ。

今回の旅は今までの一人旅のなかで一番出会いの多い旅だったなぁ…と思ったのですが、考えてみれば今回の石垣島旅行は、始めての国内一人旅でした。
(日帰りツーリングなどは除く)言葉が通じるってスバラシイ!


さて初日、夕方に石垣空港につき、とりあえず『肌寒ッ!』

荷物を置いたら当て所なく街を徘徊します。

ちょいちょい地図を見つつ『あら?この辺によさげなお店が?』と思い足を伸ばせばタッチの差で閉店orz しかも2回も…
これが島時間なのか?

でも、曇りで期待薄だった夕焼けは素晴らしいロケーションで見られたので良しとしよう('-^*)ok




『初めてだよ』 『何が?』





『夕焼けの石垣を見るのは』 『アタシもー!』 (嗚呼、内輪ウケorz)



そうこうしているうちにお夕食の時間です。
是が非でも石垣牛を食べたい自分ですが、独りで焼肉店に入ってもバランスのとれたて食事は難しそう。
お目当てのステーキ屋さんも閉まってて(本日3軒目の悲劇。恐るべし島時間)ワンプレートで石垣牛を食べられるとこはどこだ!?
ということで、ダイニングバーに入ってみた.

Bum's ってバー。
多分、沖縄だけじゃなく全国展開(西日本展開?)してそうな感じ。




石垣牛のハンバーグプレート(的な)

美味しかった。
けど、ハンバーグのせいか『これが石垣牛なのね♪』みたいな感動はなかったな(^_^;)
焦げ目がちょっとキツくて、その苦味が肉の味を邪魔してたしw

でも、カウンターで飲めたのは良かった!

店員さんは宮崎、佐賀、山梨の出身で、カウンターのお客さんは茨城だった。
5人でつかず離れずに盛り上がって、一人でご飯してる感じもなくて、楽しめた。

これが昼時の海辺のカフェとかなら『ほっといて!』『浸らせて!』なんだけど、ちょうどよかったな♪

潜水士の資格ももってる佐賀さんから最近の石垣の海情報を聞いたり、往復の飛行機と初日の宿だけ予約して、あとはノープランの茨城さんの旅程をあれこれシミュレーションしてみたり…

今ここにいるってこと以外、何の共通点もないのに、楽しく話せて、気持ちのいい時間を過ごせました。

ありがとー!


二日目に続く。だにゃあ

石垣島でマンタに会ってきた!

2011年07月17日 19時14分17秒 | みう・ダイビング
こんばんにゃ。

2011年7月9~10日、石垣島で「うみんちゅ」になってきました。
は、言い過ぎですね。ダイビングしてきました。


石垣と言えばマンタですが、初日は海況が悪くマンタスポットに近づく事もできず、
海そのものも濁っており、全然石垣っぽくない海でしたが、それでも楽しんできましたよっと。




ダルマオコゼ。背びれに猛毒あり。
そうとう周囲に溶け込んでいるので、別の生き物に集中してたらうっかり触っちゃいそう(^o^;)





生きている星の砂☆
星の砂ってのはプランクトンの遺骸ってのは、まあ有名な話だと思われますが、
そのプランクトンの生きてる状態ですw





フグ!
潜降したらガイドさんが持ってたw 泳いでる魚って素手で捕まえられるんだね(^o^;)





スキンダイブ、初挑戦!
シュノーケルの基本中の基本である呼吸法(潜ったあとに呼吸をするときは、まず吐いてから)を
分かっていなかった自分は、どうしても水を飲んでしまうため、水泳とダイビング以外は
もうヤダ(T_T)って感じだったのですが、今回のバディの皆さまからレクチャーを受け、
いざ、チャレンジ!
ウェイトつけないと沈まないね(^o^;)





スキンダイビングで撮影したサンゴの森。
やっぱ綺麗だな、サンゴ。


二日目の1本目はマンタシティというスポットに潜るもマンタの影なし。
二日目の2本目はマンタスクランブルというスポットに潜るもマンタの影なし。
諦めかけたころ、シュノーケラーからの目撃情報が入り、シュノーケルで波の間を泳ぐ泳ぐ。
波酔いしそうになりながら軽く100mは泳いだ?

イター!眼下の海底に1枚のマンタ君がヒラヒラと漂っているではありませんか(T_T)

俄然やる気をだして、1ダイブ追加。泣いても笑っても最後の1本です。











イター!!!!!

こんなに大きい生き物なのに、なんだかとってもカワイイ♪
合計4枚のマンタ君に会えました。
しっぽの切れてる子もいて、ちょっと可哀そうにもなりました。

上がり際に「バイバイ」って手を振ると、マンタ君のヒラヒラ泳ぐ姿が
ちょうど手を振り返してくれてるみたいで、とっても嬉しくなりました。


マンタガツガツではなかったけど、とっても素敵な石垣ダイビング。
久々に頭痛もおこらず満喫できました。

また潜りにいきたいにゃあ


365倍速

2011年07月13日 23時53分08秒 | みう・つれづれ

海の街から 海の島へ 一人旅。

たくさんの出会いがあって、同じ数だけ別れてきた。


偶然に知り合って、大勢でつるんで、だんだん仲良くなって、距離が縮んで、恥ずかしくて興味ないふり、
二人だけで会うようになって、それが少しロマンチックな場所だったりして、手を掴まれて、手をつないで・・・


普通なら(?)半年かけて塗りつぶしていくチャートを、半日で駆け抜けた。


遊ばれたっていう人もいるだろう。
運命だっていう人もいるだろう。

自分は、どっちだとも思わない。

けど、
ただ、

もう少し時間をかけてみたかったかにゃあ。

行ってきまーす!

2011年07月08日 11時42分07秒 | みう・ばいく&国内旅行
こにゃにゃちわ。
旅前はいつも、少しセンシティブになる自分です。


旅の間は、なんもかんも置き去りにして、忘れて…なんて思ってたけどバスの中、小説を読んでても台本のフレーズがよぎるし、京浜工業地帯の廃材置き場をみれば瓦礫の山を思い出す。

けど、そういう自分を嫌いじゃないし、それって自然なことだと思う。

羽田第一ターミナル。
沖縄行きの自分は南ウィングに向かうけど、振り返ると北ウィング、東北方面の文字。

罪悪感は、ない。

自分には今、遊ぶことが必要だって強く感じてるし、リフレッシュしたら、また頑張る!って、未来の自分を信じられるから。

だから、罪悪感はない。


いやしかし、自分を信じられるなんて、自分も大人になったにゃあ(^_^;)

沖縄へ

2011年07月08日 00時04分21秒 | みう・ばいく&国内旅行
こんばんにゃ。

明日から、三泊四日で沖縄に行ってきます。

貧乏なクセに旅バカですが、今年の旅行は下手したらこれが最後かも…?

8月以降は芝居の稽古もガツガツ入ってくるだろうから、複数泊の旅は無理だし、ボランティアとかも、もし行けてもすっごい弾丸&安々旅程だな。

っちゅーわけで…



楽しみつくすぞーーー!!



そして、
リフレッシュして
デトックスして
カタルシスで
アウフヘーベン!!

心機一転、ハイジャンプで冬の入り口まで駆け抜けます。


もし自分が勢い無くしてるように見えたら、カルカンをちらつかせて下さい。

猫じゃないけど、まっしぐら!
だにゃあ。

ごあいさつ。

2011年07月06日 23時15分33秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

今回は、今まで私の被災現地でのボランティア活動を支えてくださった皆さんへの、報告を兼ねたご挨拶ですm(_ _)m


TEAM 4 U メンバーさん

お疲れさまです。

みんなと同じチームで活動できて、不謹慎な言い方かもしれないけど、とても楽しかったです。

予定では、7月の活動が自分の参加できる最後の活動だったので、今まで以上に頑張りたかったのですが、メンバーからあぶれてしまい、本当に残念だけど、今回は参加できなくなってしまいました。

きっと、姉さんが私のため、チームのため、ひいては被災地のためにはその方がいいだろうと判断されたのだと思います。

参加予定だったのに急遽変更となってしまったので、本当はコミュでキチンとご挨拶と『行ってらっしゃい!』を言いたかったのですが、コミュを見れなくなってしまったので(きっと姉さんが、私に何か配慮してくれての事なんだと思います)、マイミクさんだけになってしまいますが、日記でのご挨拶とさせて頂きます。


これからも、私は私が出来ることを続けたいと思います。

でも、やっぱり現地に行って直接何かしたいし、
今はそれが一番求められてる事の一つだと思うので、
足を運べるみんながすごく羨ましいです!
私の分まで頑張ってきてもらえたら嬉しいです。
陰ながら応援してまーす(^-^)



救援物資集めなどに協力してくださった皆さん。

いつもご協力いただき、本当にありがとうございます。

物資を分けてくれた方、
お友達や親戚にまで呼びかけてくれた方、
心より感謝しています。

物資は私やチームのためではなく、被災地の方々のためとは分かっていても、呼びかけに応じてもらえたことで頑張る気持ちは益々強くなり、直接足を運べずもどかしい思いをされてる人たちの分もしっかりせねば!と、気合いも入り嬉しくなりました。
ありがとうございました( ´∀`)



悔しさや残念な気持ちも少なからずあるけれど、それは被災地での活動を経験できたからこそ、被災された方々と直接関わる事ができたからこその苦味だと思うので、この気持ちをなんとか飲み下し、これまでの活動で経験出来たことを何らかの形で今後の活動や自分自身に生かしていけたらと思います。

本当に本当にありがとうございました!


ニッポン、チャ・チャ・チャ☆

だにゃあ。

やることが暗い!

2011年07月05日 00時31分02秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ。

まるでイジメの始まりみたいなタチの悪い状況、久々に体験してキツかったなぁ。

自分だけ、何言っても、何やっても
『そうじゃないんだよなぁ』
『いらなーい』
って否定的態度とられたりさ。

そこにいるメンバーで、自分だけ知らない話題を延々続けられたりさ。

『何でそこに立ってるの?』
『別に待ってなくていいし』
みたいな一瞥とかさ。


文字で表してもニュアンス伝わらなかったり、文字にもならない些細な事の積み重ね。
これが相当キツい(^_^;)


ああ、でも世間じゃ『イジメられる方にも原因がある』んだったっけ?

あと、世間では『そんなつもりじゃなかった』りするんだよね?


上記の2つは共存しえない理屈であることはさておき、キツかったな。


三十路越えてる大人のイジメは、本人にしか伝わらないようなさりげなさと巧妙さが素晴らしい!

てか、本人も無自覚に無意識に嫌がらせてんだろうな。
自身が無自覚なら、指摘されても痛くも痒くもないもんね。

『そんなつもりじゃなかった』んだもんね。

ホント、勉強になるっす。




いやぁ…しかし、やることがマヂ暗いにゃあ。

6月28日 活動報告

2011年07月03日 18時43分49秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

6月28~29日に女川町に行ってきました。
目的はもちろんボランティア活動です。

今回は福祉系の資格をもったリーダーと、美容師さんと、自分という
コンパクトなチーム編成でした。


27日は普通に出勤し、その足で夜行バス→仙台という定番のスタイル。

28日、那須の先で事故があったらしく、仙台到着は予定より1時間半以上遅れてしまい、
そこから大急ぎでレンタカーを駆って女川町へ。



どんな被災地にも苦労はあると思う。

たとえば「埼玉は大したことない」って言ってる人もいたけど、NHKのクロ現では
海のない埼玉の一部でも液状化現象で家が傾き、そこで暮らしているだけで
体調不良になるけど、新築でローンも残ってて、引っ越しも大変、傾きを直す工事も大変、
どこで暮らしていけばいいの?って人もいて、これは辛いだろうなと思った。

前回の活動先の一つである仙台市の岡田地区では側溝がヘドロに埋まり、
このままで梅雨や台風が来たら、街中が再びヘドロまみれに逆戻りって感じで、
一刻も早く側溝をきれいにしたいと思ったし、方法は人海戦術しかないのは明白で、
ボランティアの需要はまだまだあるとシミジミ実感した。

どこも大変だ。分かってる。
それでも、女川は凄かった。すさまじかった。


何度も女川に足を運んでいるリーダー目線では「大分マシになった」とのことだけど、
GW(震災1月半後)に入った仙台市の白鳥や岡田より、今日の女川の方が正直よっぽど酷い。

その辺の道を歩いてる人に、今日の女川の写真を見せて
「震災直後です」
って言ったら、多分全員信じると思う。



28~29日、自分とリーダーは写真洗浄をやりました。

瓦礫の中から自衛隊の方たちが見つけ出し保管しておいてくださったアルバムを
持主に見つけてもらうためのお手伝い。

作業内容は、ヘドロにまみれたアルバム(本の形をとどめている物の方が珍しい)の中から
持主が特定しやすい写真を一枚選択。(家族写真などがベスト)

選んだ写真を丁寧にはがしナンバリング→慎重に洗浄・乾燥。
残りの写真(アルバム)は同じ番号を振った箱にしまう。

洗浄した写真を表に貼りだし、心当たりの写真があれば
裏のナンバーと同じ番号の箱の中からアルバムを探してもらう。


状態がよく、簡単にはがせて、簡単に洗浄できるものもあれば、
アルバムのポケットのセロファンに写真が貼りついてしまっているものや、
写真を水につけた瞬間に色が水に溶けだしそうになるもの、
表面に砂がこびりつき、一歩間違えば写真ごと傷つけてしまいそうなものなど、
本当に様々だった。

でも、洗いすぎにも注意!
汚れも絵も落ちちゃうくらいなら、汚れてても絵が残ってる方がいいので、
引き際も肝心です。

写真の選択も結構気を使います。
夫婦ならいいんだけど、カップルっぽいものだと「今」の彼氏・彼女か分からないので、
これを表に貼りだす写真として良いものか・・・と悩んだりw


選ぶ写真は家族写真がメイン。残った写真のなかでも状態のいいものになるので、
とにかく大切に扱います。


洗浄作業中にも、アルバムを探しに来た方が訪れ、
無事にご自身のアルバムを手にされる瞬間に立ち会えるのは嬉しかったです。

自分が洗った写真のものでは勿論ないけれど、いつか自分の洗った写真も
こうして持主の目にとまれば嬉しいな(^-^)


探しに来た方が「あら、これ○○ちゃんだわ」ということもあります。
その後に「知らせてあげたいけど、どこにいってしまったんだろう」と続く事も…。

もちろん別の避難所に行っているのかもしれないし、親戚の家に避難されているのかも
しれないし、可能性は沢山ありますが、考えたくない可能性も頭をよぎります。
でも、浸ってる場合じゃない!そういう立場でもない!
びゃんびゃん洗うぞ~!


一緒に行った美容師さんは本職を活かしてカットボランティアをされていました。
1日で19人もカットしたとのこと。

どうやら6月の初めに彼らがカットボランティアに行った後、理容師・美容師さんが
一度も来ていなかったようで、待望のカットボラだったご様子。


朝早くに集まって、泥出しに行ったボランティアさんもいるようで、
やることはまだまだ沢山あるなと実感しました。


29日の報告も近いうちにアップします!だにゃあ。