みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

負傷兵という障害者と、スポーツと、

2016年09月12日 23時32分47秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3860/index.html

http://o.x0.com/m/338979

今日のクローズアップ現代、とても興味深かった。


パラリンピック
生まれつき、病気で、怪我で、戦争で、
なにがしかの障害を持った人たちの、
スポーツと平和の祭典。



障害の有無に関わらず、
スポーツから力をもらえるって人が、
世の中にはいる。

少なくとも、その人たちにとって、スポーツの効能は素晴らしいものだと思う。
体を動かす気持ち良さ、
勝負をするという面白さ、
選手を応援する楽しさ、
負けた時の悔しさ、
勝った時の嬉しさ。など。

スポーツに親近感を持つ人の、
その心さえ澄んでさえいれば、
スポーツは本当に多くの
素晴らしいものをもたらしてくれると思う。


だけど、スポーツの力は強すぎて、
時として、目に見えない何かを歪ませてしまったりもする。

力のある石は人を幸せにすることもあるが、不幸を招くこともよ〜くあるのじゃ。
byポム爺さん

みたいな?



「パラなどで活躍する負傷兵の姿は、他の負傷兵を奮い立たせる」
という、某国の軍の狙いに ひいた。

負傷兵が、
素晴らしい義足や義手を与えられて、
使いこなせるようになって、
また戦場に帰っていく。
という構図も怖い。



負傷兵の社会復帰を促すために、
スポーツに活路を見いだすべく、
負傷兵のための、スポーツの
世界大会などもあるらしい。
その活動も素晴らしいと思う。

けど、

ホントの願いは、その大会に出る人が
1人もいなくなることだ。


オリンピックにもパラリンピックにも、
人殺しが一人も出場していない。


そういう状態になったらと
願わずにはいられないんだにゃあ



「後から言うな」「その場で言えよ」理論について

2016年09月11日 22時00分44秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ。
「後からいうな」「その場で言えよ」理論について、自分は
「まったくそのとーりである!プンスカ!」
と思ってきたけど、最近少し考えが変わってきました。

誰かになにか嫌な事をされたり言われたりした時、相手の事が好きでも嫌いでも、けっこうみんな我慢したり、受け流したりしてると思うんだよね。
「こんな事くらいで、怒りたくない」
「今日1日を楽しく過ごしたい」
多分そんな感じで。

だけど、それが繰り返されたり、積み重なったりしてくると、だんだん我慢も辛くなる。けど
「なんかもう今更かも」
「これが最後かもしれない」
って、もう一踏ん張りしちゃう人も多かろう。

あるいは、しばし我慢してしまったせいで、
「後からいうなよ〜」
「早く言ってよ〜」
「ずっと気にしてたの?小せえ奴だな」
って言われそうで、ますます言えない。
みたいな?

けどね、ちょっと待ってくださいよ。

「早く言ってよ〜」ってか「早く気付いてやれよ」なわけで、
「小せえ奴だな」ってか「鈍い奴だな」なわけで、
こーゆー輩には、今更でも、後からでも、言うしかない。言ってよし。
そんな風に思い始めてます。

それに、その時は感じてなかったけど、後から傷ついてた自分に気付くって事もあるもんね。
そんなに、なんでもかんでも、その場で即座に言えたもんじゃない。

もちろん、誰かに何かを指摘されて
「それなら言わせてもらいますけど〜」
的な、言い返しの材料としてってのはナシだと思うけど。

できるだけ丁寧に、何に傷ついたのか、何が苦手なのか伝えられるようになりたいし、
もし誰かが自分に伝えてくれたなら、「ごめんね」「ありがとう」って言えるようになりたい。

自分はまだまだ未熟だけど、
「後出しじゃんけん大歓迎!」
というスタンスにシフトしていきたいと思ってるんで、そこんとこよろしく。

だにゃあ