みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

5年を目前にして

2016年03月07日 09時26分52秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

もう5年したら変わるのかもしれないけど、3月になると妙に心がザワザワするのは、今んとこきっと、殆どの日本人がそうなんだと思う。

そういうザワザワから逃げても仕方ない、向き合って考えなくちゃ。って思ってきたけど、けどけどけど、本当はこんなこと自分みたいな呑気な関東人が言うの違うってわかってるんだけど、、、
つかれた。


こーゆーとき、確かに「もう終わらせてくれ」って、「許してくれ」って思ってる自分がいる。

復旧や復興が、もっと目に見えて順調に進んでいたら、、、とか思っても仕方ない。


自分みたいな「震災との距離を自在に操れる立ち位置」の人が、自分みたいに「つかれた」とかいって、シレッと明後日の方向を向く。
そんなんしてたら「まだ震災の真っ只中にいる人たち」は、どんどん取り残されてしまうんだと思う。

こーゆー、自分みたいなズルする人が増えると、風化って一気に進んで、本当にキツイ思いしてる人たちが取り残されてしまうんだと思う。
(震災に限らずね)

だけど、やっぱり、疲れてしまった。

必ずまた振り向くから、今だけよそ見させてください。

にゃあ

無力だけれど

2016年03月03日 01時27分29秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

人の死ぬ話は苦手。
自分と全然関係ないはずの人でも、心臓ギューッと掴まれたみたいに息苦しくなる。

私は常々無力だけど、死んだ人なんて絶対に蘇らせることはできないし、
泣いてる人の涙を止めることはもちろん、拭うこともできない。

ただテンパって、心の内側でジタバタして、想像力が現実に追いつかない事だけはヒリヒリと自覚して、まごまごして、超絶困難なジェンガと対峙してる時みたいに、固まる。
言葉も、身体も、使えなくなる。

普段の減らず口はどこはやら、気の利いた言葉もかけられず、
いつものやんちゃはどこへやら、全関節が動くことを忘れる。
そして、こーゆー態度は相手に「腫れ物に触るみたいな扱いだなぁ」なんて誤解を与えてそうで、また怖くなる。

知らせはいつも後から来るってのも苦手。
その時、自分は何してたかな?って思い出すと、大抵は能天気に過ごしてるから、そういう時の恥ずかしさといたたまれなさも苦手。
それが罪悪感に変わるのも時間の問題。


んで、そーゆーこと、またすぐ忘れて遊ぶ。楽しむ。喜ぶ。幸せ感じる。
油断してると、またニュース飛び込んでくる。

これを繰り返していくんだろうなと思う。

随分と長いこと生きてるのに、まだ慣れない。
折り返し地点まで来てるのに、まだ慣れない。

多分ずっと慣れないから、後半戦ではせめてもう少し役に立つ人間になりたいと思う。

特に今年は「祈らない、願わない」って決めたんだから、にゃあ。