みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

元気玉を送った話

2015年03月12日 02時46分41秒 | みう・震災とボランティア
今年は「元気玉を届けよう」みたいなやつに参加してみた。

内容はザックリいうと、
『だいたい14時46分頃に、各々フリースタイルで元気玉を送るって感じで!』
みたいな。

若干の胡散臭さや、気恥ずかしいようなアホ臭さを感じつつ、半ばノリで参加してみた。

が、参加して良かった。


過去3回の3月11日は、
14時46分が迫ってくると、だんだんと気持ちが重苦しくなってきて、
でも、それが普通で当たり前で仕方ない事だと思っていたし、
それが「いいこと」みたいにも思ってた。ような気もする。

で、今年ももれなく重苦しさを感じはじめていたけれど、途中で
「そーいえば私、今日は元気玉送るんだった」
と思い出した。

「元気玉送るなら、まず自分が元気にならねば」
って思った。
で、ちょっとおかし食べた。
で、黙祷の1分間元気送りまくった。

本来、黙祷って亡くなられた方々のご冥福を祈る時間だと思うけど、
今年はとにかく元気を送って送って送りまくった。

多分それは、
それだけじゃ被災地には何も影響を及ぼさない。
こんな事で、
4年間悩み続けてた誰かの気持ちが晴れるとか、
何かの作業効率がアップするなんて事はない。
あるわけない。
馬鹿げてる。分かってる。

けど、やって良かった。
あんなに沢山元気を送ったのに、なぜか送る前より自分が元気になってた。

これまでの1分間は、すごく気持ちがギュギュギュギュッとなったりして、でも、どんなにギュギュギュギュなっても、被災者の気持ちに完全に寄り添う事は出来ない悔しさやもどかしさがあった。

上手に祈ることも、上手に寄り添う事も出来なくて、苦しくなるばっかりだった。

でも、今年は少し元気になった。

私が元気を送っても何も変わらないけど、
私が落ち込んでも意味はない。
それなら、元気を送って、自分だけでも元気になった方がいいなと感じた。


1年で1番日本が静かになる1分間に、私は元気をチャージした。
チャージした元気で、きっと私は何か小さいことが出来る気がする。


昼間は散々元気を送ったので、
半日遅れではありますが、ご冥福をお祈りし黙祷を捧げたいと思います。

おやすみなさい。