みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

ダイヤモンド

2024年08月18日 16時37分00秒 | みう
もともとジュエリーや貴金属に興味はないのだが、指輪のダイヤモンドについて悩んでいる。

キンバリープロセスを踏んでいるダイヤだけ使っているとか、紛争鉱物は使っていないと謳っているが、では児童労働やフェアトレードなどはどうだろうか。現在のロシアやイスラエルに利することにはならないだろうか。

そして、ダイヤモンドについてだけ悩むのは偽善だろうか。石はなくてもいいと思っているけど、じゃあ地金に使われる金属はどうなのか。普段の生活はどうなのか。考え始めるとキリがなくて、フリーズしてしまう。

指輪なんかいらない。
便利な生活もいらない。
電気もバイクもいらない。
そんな生き方が今の日本で、私にできるだろうか。線引きはどこだろうか。





迫害の夢

2023年10月31日 03時21分00秒 | みう
たった今、怖い夢を見て起きてしまった。
迫害されている夢だった。

理由は分からないけれど、自分と自分の周りの人は、別の人たちからひどい暴力を受けたり、連れ去られたりしていて、それから逃れるために、日々隠れ、移動し、とにかく逃げ回っていた。逃げ回りながら大移動もしていた。

一度始まると、周囲は怒号と喚声と泣き声に包まれる。そういうことが何度もあった。

逃げる群れの中で、自分は両サイドや端っこにならないようにポジション取りをしながら逃げた(そういう位置にいる見知らぬ仲間からやられていった)

どこかに隠れたくても、建物などの中に入るのも怖かった(待ち伏せされてるかも知らないから)
一度入ったドアから出るのも怖かった(待ち伏せされてるかも知らないから)

何日も逃げ続け、いよいよやばくなり、群れも散り散りになり、自分はなぜか のん ちゃんの手引きで、自分の親戚の家まで辿り着き匿われたが、その家のトイレに隠れていたところ、追手が来て、親戚は懸命に「そういう人々」はいないと誤魔化そうとしてくれてるけど、もうダメだ逃げられない!というところで目が覚めて、もちろんトイレに行った。

めちゃくちゃ怖かった。夢でよかった。何日も何キロも逃げ続けていた気がするけど、実際には十数分程度の夢だったと思う。ほんとうに夢でよかった。現実だったら耐えられないし、そういう現実はどこにもあっちゃいけない。


ありがたみ

2023年05月21日 23時59分00秒 | みう
世の中で大切にされていたり、多くの人がありがたがっている事柄を、どっか冷めた目で対峙してきたと思う。

現金に勝る贈り物はないとか、
消え物に勝るお土産はないとか、
心配なんて、それで良くなるわけじゃないから無意味だとか、
記念日なんてただの1日で、記号でしかないとか、
まぁ、そんな感じ。

自分はロマンチストではあるけど、それが発揮されるのは自己完結できる場面ばかりで、他人との関係の中ではリアリストな方だったと思う。
(もちろん例外も少しはあるけど)

そんな自分が最近は、ただの記号や、いわゆる実益には及ばないもの対しても、いたく感動したり、深く感謝の念を覚えたりするようになった。
これまでの自分が即物的過ぎたのかもしれないけど、兎に角これは良き変化だと思う。





いざ、九州へ

2023年04月26日 22時08分00秒 | みう

これまでの旅の中で、たぶん一番怖くなっている出発前だ。

初海外の時は緊張してたけど、怖さはそんなになかったと思う。

今の体力で2週間走り切れるのか、バイクという一瞬のミスでとんでもないことになる乗り物の、その環境との距離感が好きだけど、今はそれが怖い。

撤退する勇気を心のど真ん中に置いて、いざ!

2週間後、この恐怖を笑い話にするのだ!






脱・子供部屋おばさん に向けて

2023年02月08日 18時42分10秒 | みう

2022年、実家の環境に耐えかねて「2023年の夏には家を出る」と決意。

これまでは「出たいな~」「もし出るなら」「どうやったら出られるかな~」だったけど、今回は「出る!」と思った。

最初は一人暮らしのつもりだったけど、色々あって二人暮らしの方向で進んできてる。

それに向けて、1週間ほどお試し同居をしてみた。個人的にはとても良かった。

勝手に頑張ってアワアワしたり、自分の悪いところも再確認したり、勉強になったことも多かったけど、それよりなにより楽しかった!

あと、生活にハリが出るというか、無駄な時間が減った気がする。

「ちゃんと起きないと相手も遅刻しちゃう」「そろそろ寝る時間」「お風呂も計画的に」って感じで、自分以外の人がいるからこそ計画的に動こうという気持ちが働いたし、短期間だったからかもだけど、それはストレスになる感じはなくて、むしろそういう風に暮らせてる自分が好ましく思った。

てか、お試しが終わった後の自分のダラケ具合に自己嫌悪。

シャキッとせねばね。


マスク

2022年12月13日 22時19分00秒 | みう
政府が「屋外で人と距離を取れる時はマスクをつけなくてもいいですよ」と言い始めてから結構経つ。

自分の周りには「外ではマスクを外すべき」みたいに脳内変換してる人もチラホラ。
「皆さん頑固にマスクつけてるね」
「マスクいらんちゅーとろーが」
なんてSNSへの投稿も目にするし、自分の周り以外にも同様の人はたくさんいるんだと思う。

人にどう思われるかとか気にしなきゃいいんだけど、それぞれの理由でマスクつけてるだけで、これからは「頑固者」「マスクばか」なんて揶揄や抽象の対象になるんかなぁと思うと、少し気が重い。

つけるべき場所で
つけられる人が
つけてない
のは良くないと思うけど、それ以外は「うっせぇわ」と思う。(死語?)

マスク外させるのに躍起になる前に、もっと減らせる無駄な対応とかあると思うんだけどな。




マスゴミ という言葉

2019年10月28日 17時57分00秒 | みう
マスゴミ
という言葉は以前から聞いたことはあったけど、それは「どこかにそういう言葉を使う残念な人たちが生息しているらしい」くらいの距離感だった。

が、先日、友人が普通に使っていて驚いた。
そしてすごくドンヨリした。
嫌な気持ちになったというか、ガッカリしたというか、、、
上手くいえないけど。

自分がなぜ「ドンヨリ」したんだろう?
と、ちょっと考えてみた。


まず、自分は「マスゴミ」という言葉が嫌いである。

色んなマスコミがあるはずなのに、それを一括りにしている感じは、イヤだなと思う。
(「○○人は~~である」的な言葉に感じるのと、同じタイプの嫌悪感だと思う)

呼び名・あだ名(って言うのか?)の中に「ゴミ」っていうワードを入れてるのも、イヤだなと思う。
(ちょっとイジメっぽく感じてるのかも?「叩くことを楽しんでる」感とか?とにかくなんかイヤ)


んで、そういう言葉をナチュラルに(?)使えるマインドって、なんか怖いなって感じる。
どういうマインドかは分からないから、これは完全に思い込みというか想像でしかない。というか想像もついてないのかもだけど・・・。
とにかくなんだか怖い。

人を色眼鏡で見ちゃいけない。決め付けはよくない。
って思ってるのに、友人が「マスゴミ」という言葉を使っていて、思わず「そーゆー人なのね」って思いそうになった。

んで、どうしたもんか・・・って思ってる。
別に何もしなくていいし、普通に仲良くすればいいし、もしまた使ってても流せばいいんだって分かってる。
けど、本当は「あなたにはそんな言葉は似合わないよ」と伝えたい気持ちもある。
でも、何かマスコミにすごく嫌な思いをさせられたりしたことがあるのかも知れないとか、その人の抱えてる事情って分からないし、けど、「どうしてそんな言葉を使うの?」って聞く勇気も今のところ湧いてこない。

「マスゴミ」って言葉、みんな(って誰だ?)はそんなに気になってないのかな?




楽しい会話

2017年03月19日 01時31分24秒 | みう
こんばんにゃ。

最近、誰とも共通の話題がないことに気づきはじめています。

より厳密に言うと、
誰とも「同じくらいの熱量で話せる」話題がないってことですかね。


研究熱心な性格でない上に、右脳派というか、感覚派?なので、
映画や読書や旅などの趣味的トークも、
知識量バトル的な様相を帯びてくると、
参加できないし、聴いててもあまり楽しくない。
感想でもディスカッションでもなく、
「自分の方がすごいんです大会」になっちゃってる気がして、
まぁ嫉妬も含めてなんだろうけど、
なんだか疲れてしまって苦手。

自分がいかに人よりも詳しいか、賢いか、珍しい体験をしているかという話より、
純粋な感動やトキメキや驚きや、ときには憤りや不満なんかを話したり、そこから深めたり、一緒に考察したりするのが好き。

しかし、そういう会話にハマれることって、案外難しいんだにゃあ。

東京ジャーミィonクリスマス

2017年01月05日 14時10分48秒 | みう
こんばんにゃ

昨年の12月25日は、キリスト教徒の皆様がクリスマスをお祝いする最中、無宗教の自分はモスクに行って参りました。

世の中には同じような事を考える方がいるもので、他にもチラホラと信者っぽくない人たちがいました。

今回は説明会も何もない時間にフラッと行きましたが、様々な展示会や(前日はモハメド・アリ展)、トルコ料理教室なんかも開催する事があるそうなので、また行ってみたいです。

ちなみに
ビックリするようなラッキーに見舞われた時、
ホッコリするようなサプライズに出会った時、
心のどっかで、五感では感じられない何かに感謝してる自分は、無宗教だけど、たぶん無神論者ではないんだなぁと感じる次第であります☆

からの、森美での宇宙展。
この流れだからこそ感じられた、考えさせられたモノコトもあった気がする。
なかなか良い組合わせだったにゃあ♪

I went to Tokyo Camii (Islamic mosque)on 25th December.
It was very beautiful and solemn building. miaou.





































人を大事にしたいのですよ

2016年04月24日 20時24分46秒 | みう
こんばんにゃ。

人と会うのが疲れてしまう今日この頃です。
ほんの小さなことでも、一度気になりだすと、その人と話をする事がシンドイという瞬間が増えてしまって、
そういう人たちとも臆せず接し続けることで、自分は人間としてなにか成長できるのかもしれないけれど、
そのまえに爆発してしまうので、苦手な人のことはできるだけ避けていきたいと思うようになってきています。

だけど、苦手な人と好きな人、両方が集まる場というのはとても多くて、というか殆どがそれで、
避け続けていると、誰とも会えなくなってしまうのです。

そして、どちらもいるような場に行き、苦手な人や、苦手な言動、苦手な空気に曝されて、自分がいっぱいいっぱいになって、
好きな人達の前で、大嫌いな自分になってしまう。
激しく落ち込む。

という流れ。

この流れを断ち切りたい。

そもそも的に、どうしてこんなに苦手が多いのか・・・
「感受性が豊か」とか「真っ直ぐすぎてぶつかっちゃうんだよ」とか、
きっと褒め言葉として言ってくれているのだと分かるけど、
自分はもう、きちんと世間擦れした大人になりたいし、
走る・止まる・曲がるの基本性能くらいは押さえておきたい。

それに、原因はそれだけじゃないと感じる。

やっぱり自分って偉そうな気がする。
しらんけど。

それなのに、
自尊心が低すぎる部分もある。

自分が可愛すぎて、人にイライラするし、
自分を大切にできないから、他人も大切にできてない。
そんな気がする。

生きることはシンドイけど、死ぬのも怖いし、少しもったいない気もするから、
まだまだ頑張る!
頑張るから、誰か助けてほしいにゃあ


平平凡凡

2016年02月14日 18時17分38秒 | みう
こんばんにゃ

自分や、自分の友達の周りに、何かをひけらかさずにはいられない人がいる。

自分の不幸をひけらかす。
自分の知識をひけらかす。
自分の何かをひけらかす。

人の自慢話が苦手って人は多いと思うけど、それって種類による。

多分、多くの人は、素直に
「聞いて聞いて!すごいでしょ」
「聞いて聞いて!大変だったの」
って話は聞けるんだと思う。

自分を疲れさせるのは
「別に大したことじゃないけど~」
な、ひけらかし。
そのくせリアクション欲しがってる。
ように見える。

「自慢じゃないけどぉ~」
が通用するのは、せいぜい20か、25までかなと。

大人になって、それやってると、本当に浅ましいし、ペラペラな人だなと感じる。

披露してくる知識が、こいつの全部なんだな、と。
披露してくるエピソードが、こいつの全部なんだな、と。
欲しがりますねぇ貧しいねぇ、と。

いや、まぁ、オープンな人だなと思えればいいんだろうけど、なんか違うし、個人的にはそーゆー人達にはときめかない。

秘密めいてない日記とか、引力のない惑星みたいな感じで、まったく魅力的でない。


そして、その「ひけらかし族」達は、上下や勝敗という尺度に随分こころを奪われているように見えるし、いつも他人のリアクションを求めてるように感じる。
そこが重い。
正解のリアクションってヤツがあって、それを求められているように感じてしまう。その圧が重い。


「俺的には普通なんだけど、なんかぁ、スゴーイ!とか言われちゃうんだよね~」

あー疲れる。
無視すりゃいいんだろうけど、滲み出てくる
「俺の方が!」
「私はもっと!」
「自分は特別な人間です!」
っていう平平凡凡な囁きが耳について仕方ない。

けど、それはきっと、自分も同じ言語を持った同族だから聞き取れてしまうんだろうな。
臆病な自己顕示欲っちゅーか、なんちゅーか。

自分もやっちゃう事あるし、たまにならかわいいもんだけど、
しょっちゅうだと疲れちゃう。


繰り返しますが、素直な自慢や苦労話はウェルカムよーん。


嗚呼、毒吐いちゃったんだにゃあorz

落ち込みやすい人

2016年01月28日 20時00分48秒 | みう
こんばんにゃ。

「自分は落ち込みやすい」
って人には2種類あると思います。

1つは本当に落ち込みやすい人。
理由は色々あると思いますが、とにかく本当に落ち込みやすい人。

もう1つは「自分が一番辛い人」。
心のどっかで
「私ってどーしてこう、繊細で頑張り屋さんで特別な人間なんだろう。みんなは気楽でいいよね」
って思ってるような、想像力が足りない、悲劇のヒロイン体質の人。

何が言いたいのかというと、最近の自分が後者になりそうでヤバいなと感じてて、「気をつけろよ」と、自分に釘刺したいだけだにゃあ

恋がしたい

2015年12月29日 00時43分22秒 | みう


恋がしたい
と四捨五入、不惑40にして思う。

まだ若い頃、私は激しく恋をしていた。
身の程とか、分際とか、そーゆーことを全部無視して、
思いっきり相手を大好きで、
それゆえにワガママで、
それゆえに不安になって、
それゆえに寂しくなって、
それゆえに喧嘩もしょっちゅう。

精神的に生傷の絶えない恋をしていた。


恋はとても特別。
その期間限定感や、対象の限定感もあって、とても特別で、愛よりも貴重に思えたりもする。
そして、とてもドラマチックでロマンチックなもの。
だからかな。
恋は、選ばれた人たちだけのもの。
って思うようになった。

恋は、キレイな人がするもの。

顔や体、あるいは仕草、それから心。
などなど。
何かしら美しいところを持っている人たちのものなんだと。

そして、怠け者な私は「磨く」ということから逃げた。
恋をしたい。そして、それは美しい人の特権。
そう思うなら、せめて心だけでも磨けばいいのに、それをしない。
するのが怖い。

恋に関わって傷ついたりしたくない。
疲れることもしたくない。
不安になりたくない。
楽しいだけの恋がしたい。
そんなものない。
じゃあ、いらない。

けど、もう一度くらい、
勇気を出して、飛び込んでみたい気もする。
落ち込む勇気、イライラする勇気、
気持ち悪い人みたいなっちゃう勇気、
寂しくなる勇気。
そういう勇気だけでも取り戻したいにゃあ。