今日はツイッターで興味深い情報が流れてきました。
靖国神社でとある若者が遭遇した、93歳の戦争を体験したおじいさん。
私も昨日靖国神社に参拝しただけにかなり興味を惹きました。
若者がベンチに座って休んでいたとき、隣に座ったおじいさんが話しかけてきたようです。
そこでこの若者はおじいさんから興味深い話を聞くことになりました。
以下にURLを貼っておくので、みなさんもぜひ読んでみてください。
http://www.twitlonger.com/show/ce2n2o
以下に転載
-----------------------------------
昨日靖国神社に参拝してきました。
参集殿前のベンチで休んでいた時、隣に座った93歳のおじいちゃんが話しかけてくれました。
皆に知ってもらいたいので、脚色なく書きます。
以下すべておじいちゃんの話です。
暑いね~。
初めて靖国神社に来たのかい?
いくつ?24歳か~。若い人が靖国神社に参拝してくれるのは本当にうれしいよ。
僕はね、ガダルカナル島に行ってたんだよ。
右足撃たれちゃって途中で離脱しちゃったけどね(笑)
はぁ~
今の日本みてどう思う?
ねえ戦争についてなんて習った?
くやしい、本当にくやしいよ(ここでおじいちゃん泣き出した)
侵略戦争じゃないんだ、防衛戦争だったんだ。
強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ。
従軍慰安婦なんていなかった、募集慰安婦だったんだ。
国を守ったのに…どうして僕たちは殺人者のレッテルを張られなくちゃいけないんだ。
戦わなかったら日本はなくなってたんだ。
なのに・・・・・・なのに・・・・・・
あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。
あの時なんで心臓じゃなく右足だったんだ。
ごめんね、取り乱して。
僕はね、衆議院のエレベーターボーイしてたんだ。
今みたいにボタン押すんじゃなくてね、
ハンドルでエレベーター動かしてたんだよ。
東條閣下も何度も乗せたよ。
乗るたびに「ご苦労」って言ってくれてね。
あんな高飛車じゃない政治家は他にいないよ。
国会議事堂の真ん中の建物の最上階に何があるか知ってるかい?
先輩からあそこは立ち入り禁止って言われてたんだけど、
ある日東條閣下に行ってみたいとお願いしたら入らせてくれたんだ。
檜で造った立派な鳥居が皇居のほうに向かってあったよ。
素晴らしいものだった。
ねぇ、東條閣下は怖い人じゃないんだ。
日本を守りたかっただけなんだよ?
戦争に向いてない人だったと思うけどね。
本当はとっても優しい良い人だったんだ。
どうか忘れないでほしい、お願いだよ。
長く話してしまって悪かったね~。
来年も来るかい?
また会えたらいいね~。それじゃあね。
-----------------------------------
おじいさんが泣き出しながら語った部分、胸に響きました。
戦後66年、本当にくやしい思いをしてきたのだと思います。
ありもしないことをでっち上げられ。
従軍慰安婦の件が朝日新聞のでっち上げというのはネットではかなり有名な話です。
実態はただの売春婦だったとのこと。
むろん私はその時代には生まれていないのでネットで情報を集めたわけですが、このおじいさんはでっち上げられる過程をリアルに見たきたのです。
その悔しさは相当なものだったと思います。
日本は戦争に負けました。
負けると、こういうふうにありもしないことをでっち上げられたりして、不利な状況に追い込まれます。
それが戦争というものです。
もう一つ、おじいさんの言っている「強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ」、これは在日朝鮮人(在日)のことです。
日本には在日朝鮮人という、朝鮮籍の方々が数十万人ほど住んでいます。
民団(在日本大韓民国民団)という組織を聞いたことがある人もいるかも知れませんね。
こういった方々は「日本軍に強制連行されてきたんだ」と言っているわけですが、このおじいさんは「強制連行ではない、不法入国された」と言っています。
つまり主張が食い違っているわけです。
私としては、実際にその時代を生きてきたこのおじいさんの発言は非常に重みがあると思います。
涙を流しながら語るこのおじいさんが、どれほど悔しい思いで「日本軍に強制連行されたんだ」という彼らの主張が通っていく様を見てきたのか。
日本は敗戦国なので、戦後何度も「謝罪しろ!賠償しろ!」と言われてきました。
立場が非常に弱いんですね。
そんな状況下ですから、どんどん日本が不利な状況になっていったんだろうなと思います。
いつの間にか「強制連行」ということになっていたり、いつの間にか「従軍慰安婦」なる言葉が登場したり。
「あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。
あの時なんで心臓じゃなく右足だったんだ」
この言葉はとても重いです。
死んでいたほうが良かったと思うくらい悔しいというのは、一体どれほど悔しい思いなのか。
戦後どれほど理不尽なことが行われてきたのか。
おじいさんの悔しさは無駄にしてはならないし、私達の世代はもっとその時代のことを知るべきなのではないかと思います。
亡くなった祖父からもっと戦争のこと、戦後のことを聞いておきたかったなと、今更ながらに思います。
靖国神社でとある若者が遭遇した、93歳の戦争を体験したおじいさん。
私も昨日靖国神社に参拝しただけにかなり興味を惹きました。
若者がベンチに座って休んでいたとき、隣に座ったおじいさんが話しかけてきたようです。
そこでこの若者はおじいさんから興味深い話を聞くことになりました。
以下にURLを貼っておくので、みなさんもぜひ読んでみてください。
http://www.twitlonger.com/show/ce2n2o
以下に転載
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昨日靖国神社に参拝してきました。
参集殿前のベンチで休んでいた時、隣に座った93歳のおじいちゃんが話しかけてくれました。
皆に知ってもらいたいので、脚色なく書きます。
以下すべておじいちゃんの話です。
暑いね~。
初めて靖国神社に来たのかい?
いくつ?24歳か~。若い人が靖国神社に参拝してくれるのは本当にうれしいよ。
僕はね、ガダルカナル島に行ってたんだよ。
右足撃たれちゃって途中で離脱しちゃったけどね(笑)
はぁ~
今の日本みてどう思う?
ねえ戦争についてなんて習った?
くやしい、本当にくやしいよ(ここでおじいちゃん泣き出した)
侵略戦争じゃないんだ、防衛戦争だったんだ。
強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ。
従軍慰安婦なんていなかった、募集慰安婦だったんだ。
国を守ったのに…どうして僕たちは殺人者のレッテルを張られなくちゃいけないんだ。
戦わなかったら日本はなくなってたんだ。
なのに・・・・・・なのに・・・・・・
あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。
あの時なんで心臓じゃなく右足だったんだ。
ごめんね、取り乱して。
僕はね、衆議院のエレベーターボーイしてたんだ。
今みたいにボタン押すんじゃなくてね、
ハンドルでエレベーター動かしてたんだよ。
東條閣下も何度も乗せたよ。
乗るたびに「ご苦労」って言ってくれてね。
あんな高飛車じゃない政治家は他にいないよ。
国会議事堂の真ん中の建物の最上階に何があるか知ってるかい?
先輩からあそこは立ち入り禁止って言われてたんだけど、
ある日東條閣下に行ってみたいとお願いしたら入らせてくれたんだ。
檜で造った立派な鳥居が皇居のほうに向かってあったよ。
素晴らしいものだった。
ねぇ、東條閣下は怖い人じゃないんだ。
日本を守りたかっただけなんだよ?
戦争に向いてない人だったと思うけどね。
本当はとっても優しい良い人だったんだ。
どうか忘れないでほしい、お願いだよ。
長く話してしまって悪かったね~。
来年も来るかい?
また会えたらいいね~。それじゃあね。
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おじいさんが泣き出しながら語った部分、胸に響きました。
戦後66年、本当にくやしい思いをしてきたのだと思います。
ありもしないことをでっち上げられ。
従軍慰安婦の件が朝日新聞のでっち上げというのはネットではかなり有名な話です。
実態はただの売春婦だったとのこと。
むろん私はその時代には生まれていないのでネットで情報を集めたわけですが、このおじいさんはでっち上げられる過程をリアルに見たきたのです。
その悔しさは相当なものだったと思います。
日本は戦争に負けました。
負けると、こういうふうにありもしないことをでっち上げられたりして、不利な状況に追い込まれます。
それが戦争というものです。
もう一つ、おじいさんの言っている「強制連行なんてしてないんだ、不法入国されたんだ」、これは在日朝鮮人(在日)のことです。
日本には在日朝鮮人という、朝鮮籍の方々が数十万人ほど住んでいます。
民団(在日本大韓民国民団)という組織を聞いたことがある人もいるかも知れませんね。
こういった方々は「日本軍に強制連行されてきたんだ」と言っているわけですが、このおじいさんは「強制連行ではない、不法入国された」と言っています。
つまり主張が食い違っているわけです。
私としては、実際にその時代を生きてきたこのおじいさんの発言は非常に重みがあると思います。
涙を流しながら語るこのおじいさんが、どれほど悔しい思いで「日本軍に強制連行されたんだ」という彼らの主張が通っていく様を見てきたのか。
日本は敗戦国なので、戦後何度も「謝罪しろ!賠償しろ!」と言われてきました。
立場が非常に弱いんですね。
そんな状況下ですから、どんどん日本が不利な状況になっていったんだろうなと思います。
いつの間にか「強制連行」ということになっていたり、いつの間にか「従軍慰安婦」なる言葉が登場したり。
「あの時死んでればよかった。
死んでればこんなくやしい思いをしなくて済んだんだ。
あの時なんで心臓じゃなく右足だったんだ」
この言葉はとても重いです。
死んでいたほうが良かったと思うくらい悔しいというのは、一体どれほど悔しい思いなのか。
戦後どれほど理不尽なことが行われてきたのか。
おじいさんの悔しさは無駄にしてはならないし、私達の世代はもっとその時代のことを知るべきなのではないかと思います。
亡くなった祖父からもっと戦争のこと、戦後のことを聞いておきたかったなと、今更ながらに思います。