昨年11月のある日、2年くらい入院していた友人から電話があった。
明日から家に帰ることになったけど、ちょっと助けてほしいと。
聞くと、まだ体調が充分でなく食事の差し入れをしてほしいとのこと。
ちょうど同居しているお姑さんも入院されてしまったようだ。
向こうは5人家族、我が家も5人家族。
とても全部はまかなえないが、「少しでいいから家庭の手作りのものを
食卓に出してあげたいから(特に子どもに)」といわれ
週に何回かとにかく自分のできる範囲でお手伝いすることにした。
お料理を作るのは結構好きなので、それも自分を後押ししてくれた。
いつも思っている、困った時に手助けをしあえる社会を。
容量は人によって違うし、気の使い方も人によって違う。
もっとこうすればという視点も考え始めたら限りがない。
その中で無理せず自分のペースを作れないと重たくなってしまう。
それは頼んでくる相手にとっても本望ではないだろう。
そういう意味では、これは自分自身の容量を知る
修行のようなものだったかもしれない。
誰かのために何か手助けをしてあげられる今の自分に感謝だ。
自分が健康でないとこういうことも引き受けられないからね。
そして昨日、むこうの環境が整って私のこの差し入れの修行は終わった。
1ヶ月の予定が3ヶ月に延びたけど、
無事にフォローする時間が終わりほっとしている。
いいお天気の日、雪の日、雨の日、風の日、いろんな日があった。
帰り道に交通事故現場にも遭遇したっけ。
仕事でバタバタした日もあった。
最後には腰を痛めた母の入院もあってちょっとあせった。
充分満足してもらえるようなことができたかは自信はない。
でも今は何よりも、最近の彼女の
何かが軽くなったような笑顔がとてもうれしい。
(写真:煮込み途中の差し入れ用のロールキャベツ)
明日から家に帰ることになったけど、ちょっと助けてほしいと。
聞くと、まだ体調が充分でなく食事の差し入れをしてほしいとのこと。
ちょうど同居しているお姑さんも入院されてしまったようだ。
向こうは5人家族、我が家も5人家族。
とても全部はまかなえないが、「少しでいいから家庭の手作りのものを
食卓に出してあげたいから(特に子どもに)」といわれ
週に何回かとにかく自分のできる範囲でお手伝いすることにした。
お料理を作るのは結構好きなので、それも自分を後押ししてくれた。
いつも思っている、困った時に手助けをしあえる社会を。
容量は人によって違うし、気の使い方も人によって違う。
もっとこうすればという視点も考え始めたら限りがない。
その中で無理せず自分のペースを作れないと重たくなってしまう。
それは頼んでくる相手にとっても本望ではないだろう。
そういう意味では、これは自分自身の容量を知る
修行のようなものだったかもしれない。
誰かのために何か手助けをしてあげられる今の自分に感謝だ。
自分が健康でないとこういうことも引き受けられないからね。
そして昨日、むこうの環境が整って私のこの差し入れの修行は終わった。
1ヶ月の予定が3ヶ月に延びたけど、
無事にフォローする時間が終わりほっとしている。
いいお天気の日、雪の日、雨の日、風の日、いろんな日があった。
帰り道に交通事故現場にも遭遇したっけ。
仕事でバタバタした日もあった。
最後には腰を痛めた母の入院もあってちょっとあせった。
充分満足してもらえるようなことができたかは自信はない。
でも今は何よりも、最近の彼女の
何かが軽くなったような笑顔がとてもうれしい。
(写真:煮込み途中の差し入れ用のロールキャベツ)