Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

薔薇と紅葉の庭園

2012-11-25 12:13:21 | おでかけ

11月の三連休、関東はまずまずのお出かけ日和。

紅葉狩りに出かけた方も多かったことでしょうね。

かく言う私、会社自体は土曜日も営業なので、三連休になるかどうかは 「賭け」 でもあったわけですが、今年は無事 (笑) 三連休が GET できました。

なので・・・行ってきましたよ。 

紅葉と秋薔薇と洋館のコラボレーション、旧古河庭園へ!

 

 

 

以前、湯島にある  「旧岩崎邸」 へ行った際 、都内にやはりジョサイア・コンドル氏が設計した洋館 「旧古河邸」 があることを知り、いつか薔薇と紅葉の季節に行ってみたいと思っていたことがやっと実現いたしました。

11/17~12/2 は 「バラと紅葉とハーモニー」 と称されたイベント期間で、私が行った24日は、芝生広場で 「二胡」 の演奏会も行われておりました。

 

 

 

小高い丘の上に洋館、そこから南側の斜面を下りていくように、秋バラが咲く西洋庭園、その先には心字池を中心とした広大な回遊式日本庭園。 

平成18年に国の名勝指定を受けた、この大正初期の原型を留める貴重な庭園は、元々明治の元勲・陸奥宗光の邸があった場所でしたが、宗光の次男が古河財閥創業者の古河市兵衛の養子となった時に古河家に譲られたものだそうです。

 

 

 

その後、三代目の古河虎之助が隣接する土地を買い足し、旧岩崎邸の設計者と同じ、ジョサイア・コンドル氏に洋館と西洋庭園の設計を、また京都平安神宮神苑や円山公園を手掛けた京都の庭師、小川治兵衛に日本庭園の作庭を依頼して造らせたものなので、陸奥宗光はここに住んではおりません。

(そういえば、岩崎邸も岩崎弥太郎が住んでいたワケではありませんでしたね/笑)

 

 

 

大正6年に古河家の本邸として建てられた洋館ですが、その後、この邸宅は様々な時代の荒波に揉まれることになります。

大正12年の関東大震災では、広大な庭園に約2千人の避難者を収容し、大正15年に虎之助夫妻が転居した後は古河家の迎賓館として、また第二次世界大戦末期には、陸軍の将校宿舎としても使われておりました。

戦後は、英国大使館駐在員の邸宅に使用されておりましたが、財産税を物納する形で国有地となった後は、国が都に無償で貸し出し、昭和31年に都立公園として開園。 

連合軍の撤収後、30年ほど放置されていた洋館は、天井が抜けて雨漏りし、建物全体には蔦が生い茂り、周囲からは 「お化け屋敷」 と言われるようなスゴイ屋敷となっていたそうですが、昭和57年から平成元年にかけて行われた修復工事により現在の状態まで復元されました。

 

さて、この建物。

洋館内の見学は事前予約が必須です。 (もちろん予約済♪)

 

 

 

 

 

1階は洋風建築のパブリックスペースになっております。

石造りのアーチをくぐり、ステンドグラスがはめ込まれたドアを開けると、玄関ホール。

そこから、サンルーム付きのビリヤードルームや、作り付けの重厚な書棚がある書斎に続きます。

食堂の暖炉の上や入り口上部には、一枚板を彫って作り上げられた彫刻が飾られ、天井には、脚立に乗った職人さんたちが天井に直に彫刻した、たくさんの果実の漆喰彫刻。 

あああ、建物内が撮影禁止なのが残念!

ちなみにこの場所、制約は多いけど、結婚式場として使うことも可能だそうですよ♪

 

階段をあがった2階ホールには、やはり重厚な西洋風のドアが設えられています。

そしてその西洋風のドアを開けた瞬間、純和風の仏間が現れたときの新鮮な驚きったら!

二間続きの床の間付き客間や、家族のプライベートな和室の居間。 子供部屋。 

夫妻の寝室の次の間は、畳敷きのウォーキングクローゼット。 (お着物を着る奥様のために、もともとフローリングだったところを畳にしたそうです)

 

岩崎邸も和洋折衷ではありましたが、洋から和に移る部分には相応のアプローチもあったのですが、古河邸のように、洋風なドアの後ろにある和室は面白い!

それにしても、外観から考えると日本間があること自体が信じ難い、不思議な物件 (笑) でありました。

 

コメント
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