なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

マイコプラズマ肺炎

2024年10月21日 | 呼吸器疾患

 10月18日(金)午後に40歳代後半の女性が発熱・咳・咽頭痛で外来を受診した。娘さんが10月初めにマイコプラズマ肺炎で当院に入院していた。

 発熱外来の扱いになるので、コロナとインフルエンザの迅速検査を行ってからの診察になる。両者陰性で診察に回った。

 血液検査では白血球5800・CRP2.8 と軽度の炎症反応上昇があった。画像検査では、右肺下葉背側に淡い陰影があり、肺炎だった。

 マイコプラズマの抗原迅速検査はキットが入荷困難になり、PCR検査になっている。PCR陽性でマイコプラズマ感染と診断された。

 入院するほどでないので、外来治療となる。担当した若い先生はマクロライド(アジスロマイシン=ジスロマック®)内服を処方していた。

 

 ただ、この女性の娘さんは10月初めにマイコプラズマ肺炎で当院に入院している。その経過は、内科医院でマクロライド系のクラリスロマイシン内服を処方されても症状が続いた。再受診時にはニューキノロン(ラスクフロキサシン=ラスビック®)を処方された。

 それを3日くらい続ければ軽快したかもしれないが、高熱が続くとして当院を受診した。肺炎の程度からは外来でもよかったが、希望で入院した。

 マイコプラズマ抗原迅速検査で陽性だった。テトラサイクリン系のミノサイクリン=ミノマイシン®点滴静注3日間で解熱軽快した。もっともミノマイシン点滴静注薬の入荷困難で3日分でなくなってしまった。ミノマイシンの内服は院内にあったが、担当医は内科医院で処方されたラスビック内服としていた。約1週間で退院している。

 

 ということはマクロライド耐性のマイコプラズマの可能性があり、母親の方もミノマイシン内服でよかった?。(住所からみると、当院は診療圏としてはちょっと違うが、娘が入院したということで当院に来たのだろう。)

 基本的にマイコプラズマはself-limitedなので、抗菌薬がなくても日数をかければ軽快する(はず)。

 

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CO2ナルコーシス

2024年10月20日 | 呼吸器疾患

 10月15日(火)に地域の基幹病院呼吸器内科から転院依頼がきた。当院の呼吸器科外来(大学病院からの応援医師担当)に慢性呼吸不全で通院している70歳代半ばの女性だった。在宅酸素療法(HOT)が導入されている。

 

 電子カルテ(2016年導入、それまではオーダリングだけ)で確認すると、2002年から2008年まで当院の呼吸器科外来に通院している。

 最初は非常勤医の外来で、気管支拡張症としてマクロライドのエリスロマイシン300mg/日が処方されていた。2年後の2004年から呼吸器科の常勤医が診ていて、クラリスロマイシン200mg/日に変更された。

 2008年に呼吸器科医が退職して閉科となり、市内の内科医院に紹介になったらしい(診療情報提供書の記録はなかった)。

 2022年に顔面神経麻痺で当院のい耳鼻咽喉科でステロイドを使用したが、2日後に肺炎があることに気づかれて、内科に紹介された。この時は当時相席した自治医大卒の義務年限の若い内科医が担当した。

 通常の肺炎としてセフトリアキソンを使用したが、原疾患として非結核性抗酸菌症が疑われて、その増悪の可能性も考慮していた。(できる先生だった)

 クラリスロマイシン・リファンピシンで開始していたが、呼吸器科外来に来ている先生に相談して、アジスロマイシン・エタンブトールに変更になった。

 おそらくセフトリアキソンが効いて肺炎は軽快して退院した。その後は、相談した呼吸器外来の先生に通院していた。現在は抗菌薬は中止となっている。

 ただ喀痰検査では非結核性抗酸菌症は証明されていない。喀痰塗抹・PCR・培養は陰性だった。画像診断からの判断になる。直近の胸部X線・CT像は下記の通り。

 

 今回は10月11日(金)の夜に意識障害(昏睡状態)が出現して、救急要請された。通院している当院に搬入依頼が来た。当直はバイトで来ている外部の病院の先生(外科医)だった。内科疾患による昏睡は診れないとしてお断りしていた。

 患者さんは基幹病院に搬入された。肺炎を契機にしたCO2ナルコーシスと診断されて、NPPV(non-invasive positive pressure ventilation 非侵襲性陽圧換気)が開始された。

 転院依頼がきた段階でもNPPVは継続となっている。NPPVが外せない可能性があり、またいったん改善して外しても、再度NPPV装着になるかもしれない。入院が長期になる可能性があり、専門的治療をしても見込みがつかないので、後は通院している当院で診るようにということだった。

 「NPPVまでは行うが、気管挿管・人工呼吸まではしない」という慢性呼吸不全の患者さんに特有のDNARの方針になっていた。早急に転院の手配をしたが、最近は入院ベットが厳しいのと計画停電の予定もあって、18日(金)の転院予定となった。

 MEさんとも相談したが、NPPVの器械本体は小さいので装着したまま転院して来るんですかねえ、といっていた。後で器械は外して研修医が同乗して来ると連絡が入った。用手的にバッグバルブマスクで補助呼吸をして来るんだ、途中大丈夫かなあ、という話をしていた。転院時はすぐにNPPVを開始するのでMEさんもスタンバイすることにしていた。

 当日になって、前日から病状が悪化して転院はキャンセルになったと連絡がきた。持ちこたえられず悪化していくのか、改善したところでまた転院依頼が来るかわからない。

 

 呼吸器外来は週1回非常勤医担当で、在宅酸素療法の患者さんやステロイド使用の患者さん(急性増悪の可能性の高い患者さんたち)がいる。何度か入院した患者差はわかるが、常勤医が全部は把握していない。外来がある時に入院治療を依頼されるとわかりやすいが、時間外に増悪して受診されると、申し訳ないが日当直医によっては対応できないこともある。

 

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PTGBD後

2024年10月19日 | 消化器疾患

 消化器科のもう一人の入院患者は急性胆嚢炎の90歳男性だった。8月下旬に発熱・上腹部痛・嘔吐で近医を受診して、地域の基幹病院消化器内科に紹介された。

 急性胆嚢炎と診断されたが、年齢的に手術はリスクが高いとされて、抗菌薬投与で治療した。発熱の持続、炎症反応の著明な増加があり、PTGBD経皮経肝胆嚢ドレナージ(PTGBD:percutaneous transhepatic gallbladder drainage)が行われた。

 PTGBD後は解熱して、炎症反応も軽快していた。1か月経過したが、胆嚢周囲膿瘍があるため、PTGBDチューブは抜去しないで経過をみることになったそうだ。画像で肝細胞癌も発見されたが、それは経過観察のみとなった。

 9月下旬に紹介で当院に紹介転院となった。胆汁の排出は20~60ml/日程度だった。有意な発熱はなく、肝機能障害・炎症反応ともに軽度なので当院に来てからは抗菌薬は使用していない。

 感染に備えて?胆汁の培養が提出されていて、大腸菌・クレブシエラ・エンテロバクターが検出されていた。いかにもという菌種だった。

 本人も家族も自宅退院を希望しているが、一人暮らしであり、施設入所も勧めていた。また食事摂取が進まず、アミノ酸製剤の輸液と栄養剤(内服)を出して経過をみていた。

 

 送られてきた画像は発症時の造影CTとPTGBD後のMRIの2つだけだった。これだけでは現状がよくわからないが、当院では入院検査としての胸部単純X線のみで精査はしていないかった。

 PTGBDチューブは画像所見に改善があれば抜去可能ですと診療情報提供書にあるので、そのうち撮影するのだろう。挿入後の期間からは、チューブを自己抜去されても胆汁漏出はないので大丈夫だろう。(抗菌薬は必要になるか)

 

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肝細胞癌

2024年10月18日 | 消化器疾患

 消化器科の先生が遅めの夏休みをとるので、担当している入院患者さんのことを頼まれた。消化器科の入院は2名だけで少ない。

 基本的に内視鏡検査をしてもらうのが一番なので、あまり入院患者を診ることは病院としては期待していない。本人も、内視鏡検査をしている時が一番元気なのだった。忙しいといいながらも、臨時の内視鏡検査をしてくれる。

 どんな患者さんを診ているか確認した。ひとりはアルコール性肝硬変・肝細胞癌の80歳代後半の男性だった。病状は安定して施設入所待ちだった。

 もともとは糖尿病で糖尿病外来(外部の医師担当)に通院していた。治療は経口血糖降下薬+持効型インスリンのBOTだった。2年前に肝機能障害と血糖コントロールの悪化で内科常勤医に入院治療を依頼された。

 当時在籍していた自治医大卒の義務年限中の若い先生が担当した。腹部単純CTで肝臓内の腫瘤が疑われて、造影CTで確認すると肝細胞癌と診断された(放射線科の読影レポート)。

 地域の基幹病院消化器内科に紹介していた。肝動脈化学塞栓療法(TACE:transcatheter chemoembolization)が行われて、それが難しくなると放射線治療も行われた。

 その後は緩和ケアのみ(BSC)となり、今年の5月に当院消化器科の外来に逆紹介された。今回は発熱・肝機能障害があり、胆管炎として治療して軽快している。

 今回の入院時の腹部造影CTを見ると、治療後の状態と現在の多発巣がある。明らかな転移巣はなく、まだ経過をみられそうだ。

 

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尿から黄色ブドウ球菌

2024年10月17日 | 感染症

 10月16日別の内科の先生から、前日に尿路感染症からDICを来した80歳代の男性が亡くなった、といわれた。別の胆道感染症の患者さんのこともいわれた。

 こちらから訊いたのではなく、当方を見かけたので愚痴をこぼしたという感じだった。両者とも地域の基幹病院から療養転院(実際は治療継続)で来た患者さんだった。

 内科に転院してくるのは、入院となった原疾患が軽快してもそのまま退院できない80歳以上の高齢の患者さんたちだ。廃用が進んでリハビリにのらないことも多く、経過をみているうちに別の感染症が発症したり、脳血管障害や心不全が出現したりする。(当院で手に負えない患者さんの急性期を診てもらっているので、その辺は仕方がない)

 

 亡くなった患者さんは肺化膿症で先方の病院に入院して、抗菌薬投与は6週間にわたっていた。8月下旬に、廃用症候群のリハビリ目的で転院した。

 9月下旬から発熱があり、肺炎の悪化ではなかった。尿混濁を認めて、尿路感染症として治療を開始していた。発熱が続き、次第にDICを満たす検査値を呈して、バイタルの不安定になっていった。

 

 後で確認すると、尿培養からはメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が検出されている。バンコマイシンで治療を開始して、血中トラフ値も適切だったが軽快しなかった。

 尿培養でのブドウ球菌は二次的な細菌尿で、尿路感染症そのものではなく、黄色ブドウ球菌菌血症となった結果、尿からも検出された可能性がある。(感染症ではなく単なる定着菌のことも多いが)

 肺炎や肝胆道系感染は否定的で、感染性心内膜炎(明らかな心不全症状はなかった)、化膿性脊椎炎などの骨関節感染、感染性塞栓などが考えられる。経過をみると、どこかにMRSA の膿瘍があったかもしれないが、外科的に手が出せなければ治療・結果は同じだったとは思う。

 

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脳梗塞

2024年10月16日 | 脳神経疾患

 7月下旬に90歳代前半の女性が熱中症で救急搬入された。一人暮らしで敷地内の別棟に弟夫婦が住んでいるが、そちらも高齢なので毎日は訪問していなかった。

 別の弟が自宅を訪問して、室内で倒れているのを発見して救急要請した。室内はエアコンは付いているが使用していなかった。というか、最近新しいエアコンが設置されたが、使い方がわからなかったそうだ。

 室内は暑く、前日から動けなくなっていたようだ。会話はできて、特に麻痺など脳血管障害を来したような症状はなかった。画像検査では異常がなく、血液検査では感染症は否定的だった。

 控えめな量の点滴をして経過をみると、食事摂取は良好だった。普通ならそこで退院だが、介護できる人がいなかった。そもそも介護保険申請もしていなかったので、そこから始めることになった。

 高齢の弟さんたちは、病院から施設に入れてください、ということだった。地域包括ケア病棟は入院期間60日で、その間の施設入所は難しい。急性期病棟に少し長くいてもらってから、地域包括ケア病棟に転棟となった。

 住所は地域の基幹病院の方がずっと近いが、先方に入院したとしても介護の関係で自宅退院できなければ当院転院になる。最初から当院向きの患者さんではあった。

 今週末(18日)に施設入所が決まっていたが、15日(火)の午前中にリハビリスタッフが左半身麻痺に気づいた。下肢はほとんど動かない(MMT1)、上肢はわずかに動いていていた(MMT2、午後には3)。

 朝食時も症状が出ていたと思われるが、食事はベットのギャッジアップで介助なので気づかなかったらしい。明らかなムセはなく、会話はほぼ普通に聞こえる。

 心房細動はなく、陳旧性ラクナ梗塞で通院している医院から抗血小板薬が処方されていて継続していた。就寝中の脳梗塞発症と判断された。週開けのMRIは混んでいたので、頭部MRI検査は昼直前になった。

 MRIの拡散強調画像で右放線冠に梗塞巣を認めた。水平断だとそれほどでないように見えるが、矢状断だと結構目立つ。

 退院・施設入所は延期として、脳梗塞急性期の治療を開始して経過をみることにした。

 

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硬膜下血腫

2024年10月15日 | 脳神経疾患

 先週末は土曜から月曜まで3連休だったが、日直・当直に入っていなかったので3日間の休みとなった。月曜日に入院中の超高齢者がCVカテーテルを抜去してしまったという連絡があっただけだった(末梢静脈から点滴へ)。

 

 今日3日間の外来受診・入院をざっと確認した。日曜日の午前8時過ぎに、昏睡(JCS300)の100歳代女性が救急搬入されている。土曜日の当直だった内科の先生が対応した。

 自宅で生活している方で、朝に家族がベットサイドのポータブルトイレの前で倒れているのを発見した。訪問看護に連絡して、当院への救急搬入を指示された。

 血圧は179/89と高値で、酸素飽和度は問題なく、発熱もない。脳血管障害が疑われた。

 頭部CTで右硬膜下血腫を認めた。くも膜下出血も伴っている。これは急性の変化に見える。

 今月の3日か4日に転倒して、頭部を打撲していたそうだ。そこで血腫ができて進行したのか、いったん出血があったところにまた出血したのかはわからない。(放射線科ではどのように読影するのだろうか)

 家族と相談して、高次医療機関への搬送は希望しなかった。(昏睡であることと年齢で受けてもらえない可能性がある)当院入院で経過をみることになった。

 入院後は、翌日の早朝に亡くなられた。DNARの方針だったので、死亡確認は日曜日の当直医が行った。

 患者さんや家族には関係ないことだが、当直明けの午前8時前に昏睡の救急搬入を受けることになるのは(当直は翌日午前8時30分まで)、身体的にも精神的にもきつい。その日は少なくとも午前中いっぱいは病院にいたのだろう。

 

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血小板減少症

2024年10月14日 | 血液疾患

 3連休明けにがんセンター血液内科から80歳代後半の患者さんが転院してくることになった。地域医療連携室では内科の若い先生に担当を依頼していた。

 どんな患者さんか確認すると、当方も関わった方だった。8月の土曜日で、その日の日当直は外部の先生だった。(東京の有名病院で内科専攻医をしている先生のバイト)

 その日は内科当番が当方で、その先生から連絡が入った。80歳代後半の男性が発熱で受診して、肺炎はなく膿尿から尿路感染症と診断していた。血液検査で血小板減少があるが、時間外で輸血はできますかと訊かれた。

 当院は時間外は検査技師の対応はなく、輸血はできないとお答えした。すると地域の基幹病院に当たってみますという。後で連絡が来て、受けてもらえたので搬送しましたと報告があった。

 週明けの月曜日に確認すると、血液検査の結果は血小板2.3万だった。白血球4500・CRP2.7で炎症反応はまだ初期像を呈していると思われた。

 既往がなさそうなので、血小板の減少は感染症によるものだと判断されたのだろう。この値では大至急血小板輸血ではないので、経過をみて再検しての判断だろうと思われた。そこまでみて、後は忘れていた。

 

 まず地域の基幹病院から返事がきていた。感染症の治療が開始されたが、血小板数は2000まで減少たそうだ。血小板輸血(15単位)をしたが、反応しなかった。

 感染症の影響としてはおかしいということになり、がんセンター血液内科に相談して、そちらに転院した。(当院受診・転送から3日後)

 がんセンターで骨髄検査と血液のマーカー(PA-IgG高値)などが検査されて、特発性(免疫性)血小板減少性紫斑症(ITP)と診断された。プレドニン30mg/日(0.5mg/kg)で血小板数は漸増して、直近では20万になっている。

 まだプレドニン25mg/日で、食事は出ているが高カロリー輸液にもなっているから、もうしばらく当院で治療継続が必要なようだ。高次医療機関に送ってもらって助かった、という症例だった。

 

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大動脈ステント感染の疑い

2024年10月13日 | 感染症

 7月に60歳代前半の患者さんがグラフト感染疑いで入院していた。幸いにも、抗菌薬長期投与で軽快して退院していた。

 その後近くの医院に通院していたが、2~3週間の食欲不振と体重減少があった。医院の検査で貧血・低蛋白血症・炎症反応の上昇があった。前回のことがあるので、入院の時に担当した先生に紹介された。

 胸部大動脈のステント挿入と腸骨動脈のグラフト置換術を、それぞれ大学病院と地域の基幹病院で受けた既往がある。前回はグラフト周囲に軟部組織陰影を認めて、そこが感染巣と推察された。

 今回はその部位は軽快していて、胸部大動脈の弓部から下行大動脈近位部の周囲に軟部組織陰影を認めた。放射線科の読影レポートは感染か出血かということだった。

 胸部単純X線でも、ステントが大動脈石灰化のような役割を果たして、いわゆるcalcium sign、egg shell signのようになっている。

 

 血液培養を提出すると、翌日には菌が検出された。グラム陽性桿菌だった。前回の菌種(グラム陰性球桿菌)とは違う。外来診療に来ている大学病院感染症内科の先生に相談して、Corynebacteriumを想定してバンコマイシンが開始された。

 まずは菌種の確定と抗菌薬にどれだけ反応するかみての判断になる。思わしくない時は大学病院紹介というのは前回と同じだった。手術だと大手術になってしまうので、何とか抗菌薬でやれないだろうか。

 

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踵骨骨折

2024年10月12日 | 整形外科疾患

 10月9日(水)の午後は救急当番をしていた。ふだんは大学病院から来ている外科医が担当するが、その日は学会か何かで不在だった。

 救急隊から搬入依頼が入った。50歳代後半の男性が机に上がって作業をしていて、バランスを崩して転落した。左足を打撲して痛がっているという。見た目は腫脹がなく、骨折があるかどうかは判断できなかった。

 整形外科医は手術が3件あり、手術室に入って夕方まで出てこない。検査をして、手術の合間にX線を診てもらうか、夕方まで待つようになる。その旨を患者さんに伝えてもらった。

 

 搬入された患者さんは左足以外の症状はなかった。開放骨折ではなく、見た目は腫脹がなさそうに見える。X線で確認しないと判断がつかないが、痛みの程度からはありそうだ。

 通常のX線で見ても左踵骨の骨折がわかったが、CT骨条件で確認した。一か所の骨折ではなく、踵骨が砕けている。他に下腿骨・足根骨に骨折はないようだ。

 手術の合間に手術室の画面で確認してもらって入院になった。夕方整形外科医に会った時に、ここでは難しいので地域の基幹病院に紹介することになるといわれた。翌々日の11日(金)に基幹病院整形外科に転院となった。(左足を付かなければ動くことはできる。自宅の車で向かった。)

 机は1m20㎝くらいらしい。机の上に上がってする作業はふだんもしているのか、たまたまなのかは訊かなかった。術後のリハビリも含めると結構かかるかもしれない。

 

 先方の病院派生形外科医は6名いるが、半分は若い先生方だそうだ。今年度はメンバーが大幅に入れ替わった。開業で2名辞めていて、整形外科は開業しやすい診療科だった。

 もう1名は仕事に疲れたので、一旦仕事を離れることにしたそうだ。世界中を旅行して、好きなスキューバダイビングをするのだという。(さすがに独身)お金がなくなったら、また仕事に戻るのだろう。(当院の整形外科医に聞いた話)

 

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