ダイニング・ウィズ・ワイン そむりえ亭

料理にワインを
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 樋口誠

そこは拘らない

2018年03月18日 02時11分44秒 | ちょっと休憩
拘り(こだわり)は大切なことです。

「そこだけは譲れない」

「これは背骨のようなものだ」

「あれをやめると名前を変えなければならない」

という様に何事にも拘りは大事なのです。


拘ることで目標が確固たるものになるのでしょうし

拘らなければウヤムヤになってしまうことも多いことは自明の理。


しかし「そこは拘らない」という所を知っておかないと「一番の目的達成の障壁になる」ということも忘れてはいけません。


例えば・・・・

フランス料理を普及したい、という時に「料理名も全てフランス語で」「現地での伝統的な食べ方に拘って」とやったり

イタリア料理には「イタリア野菜でないとダメ」とか

どの国の料理を推進したくても「その国のワインしかダメ」と訴えたり・・・・

は、私はお勧めしません。


日本語で解りやすいほうが初めての方にも美味しく召し上がっていただけますし

現地と同じ食べ方では「とっつきにくいまま」で終わるかもしれません。

「現地と同じ野菜」は種類は同じでも実際は日本の気候では同じはずもなく、別の野菜がいい仕事をすることもあります。

「その国のワインしかダメ」とした場合、その方のご自宅にチリ産のワインがあった場合、フランス料理やイタリアンを食べることも出来なくなります。

「そこは拘らない」ことも必要なのですね。


「いや、俺はフランス料理もフランスワインも全てのフランス文化を広めたいのだ」

「イタリアのすべてを知って欲しいのだ」


私の経験ではそれを実践、或いは成している人は「取捨選択」に優れているように思います。

「ジュードブッフブレぜ オ ヴァンルージュ」でなく「牛頬の泡ワイン煮」で良いし

添え物のジャガイモを里芋でやっても「普及」に差し支えないのではないでしょうか?

家で秋刀魚を食べる時にフランスワインやイタリアワインを飲んだっていいわけですし

あんな美味しい食材を「本国では使っていないから」では普及の名が泣きます。


「遠回り」という「近道」です。


頑(かたく)なになると「排除の論理」が気が付かないうちに発動されてしまう、ということは政治の世界を見て感じた今日この頃です。


           樋口誠