昨日3月8日は母の誕生日でした。
大正13年生れですから94歳を迎えた訳です。
2015年6月に父が92歳で亡くなり、それから母の認知が始まって同居することになりまして、その時の母の年齢91歳から3つ歳を重ねたことになります。
歩けなくなりましたし、勿論認知ですので介護は手がかかります。
しかし、昨日の会話
私「今日は誕生日やで」
母「誰の?」
私「あんたの誕生日」「いくつになったと思う?」
母「24歳」「あ、54かな」
私「なんと94歳になったんやで」
母「長生きな人もいるんだね」
・・・・・てな「とぼけた」会話。
まだまだ長生きしそうです。
100歳近くなってもバリバリ元気な人も少なくありませんので、母は若干負けてますが・・・(笑)
ま、戦火をかいくぐって東京から大阪に幼い弟や里子の妹など合わせて4名を引き連れてきて72年。
あとは夢の中のような会話でもしてください。ってことなんだろうな、と思っています。
ちなみに昨日の食事です。
昼は焼き飯をお茶碗半分に牛ステーキの細切れ50gと服薬用のゼリー
3時にヘルパーさんがケーキ1個と野菜ジュース
夜はシーフードと春雨、野菜の白味噌仕立て、そして服薬用のゼリー
少ないようですが、この年齢にしては多いらしいです。
何を食べても「良く噛む」ことには感心します。
あと何年もない母の誕生日。
せめて95歳=「アラ100やで」とか言ってあげたいな、と思います。
樋口誠
大正13年生れですから94歳を迎えた訳です。
2015年6月に父が92歳で亡くなり、それから母の認知が始まって同居することになりまして、その時の母の年齢91歳から3つ歳を重ねたことになります。
歩けなくなりましたし、勿論認知ですので介護は手がかかります。
しかし、昨日の会話
私「今日は誕生日やで」
母「誰の?」
私「あんたの誕生日」「いくつになったと思う?」
母「24歳」「あ、54かな」
私「なんと94歳になったんやで」
母「長生きな人もいるんだね」
・・・・・てな「とぼけた」会話。
まだまだ長生きしそうです。
100歳近くなってもバリバリ元気な人も少なくありませんので、母は若干負けてますが・・・(笑)
ま、戦火をかいくぐって東京から大阪に幼い弟や里子の妹など合わせて4名を引き連れてきて72年。
あとは夢の中のような会話でもしてください。ってことなんだろうな、と思っています。
ちなみに昨日の食事です。
昼は焼き飯をお茶碗半分に牛ステーキの細切れ50gと服薬用のゼリー
3時にヘルパーさんがケーキ1個と野菜ジュース
夜はシーフードと春雨、野菜の白味噌仕立て、そして服薬用のゼリー
少ないようですが、この年齢にしては多いらしいです。
何を食べても「良く噛む」ことには感心します。
あと何年もない母の誕生日。
せめて95歳=「アラ100やで」とか言ってあげたいな、と思います。
樋口誠