ダイニング・ウィズ・ワイン そむりえ亭

料理にワインを
 06‐4963‐3098 
 樋口誠

介護日記:きっかけ編

2019年02月16日 02時51分12秒 | 日記
父の定年で両親は伊賀は大山田村という所に移り住みます。

母の「空気のきれいな所に住みたい」という希望からです。

当時の堺は全国屈指の大気汚染地域でしたから・・・

そこで暮らすには買い物に行くにも車が必要で、60を過ぎて免許をとり、実は86歳まで運転をしていました。

多少耳が遠かったのですが、歩くのも達者でした。

しかし弟が「運転はもうやめてくれ」と両親ともに堺に引き取ります。

父は88、母は86.

その辺りは買い物でも15分位平気で歩いて出かけ、時折アメ村の前店舗にも来ていました。

で、2015年6月に父が亡くなります。


それから3か月くらいでしょうか?

弟から「今の自分では母と暮らすのが難しくなった】と相談がありました。

「認知のようだ」と・・・

それから何度か堺の母を訪ねますが、確かに家の中の様子が変なのです。

長男としては「これまでホッタラカシだったので、ここで頑張らないと」となるのは当然の成り行きです。

ただ、すぐというわけにもいかず2016年1月まで待ってもらい、今の家を借りて同居が始まるのです。



さて、そこから母の介護生活が始まりますが、当初は「認知」といっても正しく把握しておらず、介護認定も弟といた堺で「軽症だった時点」での「要支援1」

週に一度1時間のヘルパーさんと週に一度のデイサービスでの運動。

仕事に行っている間も心配が絶えず。

手足が元気でも、いやむしろ元気だからこそ「やらかす」ことが危険なんですね。


どうぞ「あれ?認知かも・・」と感じたら可能な限り調べてみてください。

本人に「認知かどうか調べよう」なんて言っても受け入れるはずもありませんから、何人かで知恵を出し合ってください。


母は「レビー小体型認知症」と診断を受けました。

アルツハイマーは聞いたことがあってもレビー小体は初めて聞きました。

所謂【幻視】を見るのです。

「あそこから犬が三匹出てきた」

蛍光灯を指さし「中に人が閉じ込められている」等々、

戸惑いましたが「否定は禁物」と周囲から聞いていましたので「あ、さっき外に出いていったで」とか「僕が退治するからご飯食べてていいよ」とか、言葉を選んで対処するのです。
勿論、「今あったことが記憶にない」のが認知症ですから「今言ったでしょ」も通用しないんです。

そこは接客業をしていますので、さほど苦労なく出来たのではないかな、と思っています。

どうぞ、皆さんもそういうケースの時は「否定しない」を頭に入れておいてください。

あ、勿論医者にも通いました。

残念ながら認知の特効薬、というか治す薬は無いようです。

「遅らせる」程度だと・・・


いずれにせよ「認知」は早めに発見したいものですし、早めに診断と対処を始めたいですね。


ここまで書きながらも私は医者ではありませんし、介護のプロでもありません。

あくまで「体験の披露」です。

軽~く参考にしていただければと思います。

また来月にも何か書きたいと思います。


            樋口誠