決して暗い話をしたい訳ではありませんが・・・・・・・
人生悲喜こもごもなんて言いますね。
昨日は東日本大震災から2年を経て、沢山の哀悼の意が表されました。
これからも大事に引き継がなければいけない事です。
しかし、それだけではなく、まさに悲喜こもごもな事象が絶え間なく生じているのが「この世」というものでしょう。
私は結婚もせず(できず)、よって子供もなく、同い年どころか20歳以上若い人達より「子供な生活」を送っていますが、年だけは54と充分大人ですので沢山の別れを経験しています。
祖父母は別として、小学校の頃、同級生ヤブウチ君がある日、片足を失って登校したかと思えば、何時の間にか彼の葬儀にクラス揃って出ていた、というのが皮切りだったでしょうか?
腫瘍だったそうです。
高校のサッカー部の時、私は鉄欠乏性貧血で少し走るとゼイゼイ言っていたのを、横で支えてくれた当時3年生のキヨカワ先輩は私がその病気から立ち直る頃、つまり私が2年の後半位の頃、卒業されていて私の元気な姿を見ることなく脳腫瘍で亡くなりました。
高校を卒業すると直ぐに同級生の女の子サラちゃんがやはり腫瘍で世を去ります。
あれから何十年と経るうちに沢山の方々が天に召されます。
近い所ではソムリエ協会の前会長の小飼一至さん(享年66歳)が昨年の今頃。
ですから、ある意味「慣れている」はずなんですね。
今朝、目が覚めるとホテル時代からの後輩から着信がありました。
「アイツが脳腫瘍で亡くなりました」と・・・・・・
絶句です。
彼の結婚式ではサーベラージュをさせて頂きました。
友人のスピーチでは「マルビル3杯分のビールを一年で飲んだ」などと言われ、その元気で優しくて明るい振る舞いは替わりようのない人材です。
46歳。私より8つも若い。
しかし、彼は年上の私でも遠慮なく「先輩、それはあきませんでェ」と堂々と言える男でしたし、ホテルを辞めて親族のやっていた事業を引き継いでからも信頼を得て進んでいましたね。
私は彼の親友だったなどと言えません。もっと仲の良かった人が沢山います。
でも、今日ばかりは沈みましたねえ。
「あと20年位したら一緒にジョッキでビール飲もうな」って言わせてください。
何しろ明るい事が大好きなやつです。
しんみりしていると「ひぐっさん、ガラでもない!!!!パーッと行きましょうや!!!!!!!」て叱られそうです。
震災で亡くなられた方に留まらず、毎日沢山の方が命を落とされている「この世」です。
が、今日は彼「井上欣也」に思いを馳せ、夢の中で酒を酌み交わしたいな、と思います。
同時に悲喜こもごも、という事は喜ばしい事も沢山です。
元気に育った子供、少年少女、青年たちが巣立つ春。
或いは寿な幸せをつかむ人。
試練に打ち勝った人。
そして無事に生活できる人。
先立った人達の分まで、その命の分まで前に進みたいですね。