末っ子の陸上競技会があった。彼は運動会が大好きだった。足が速いわけでも、踊りが上手に踊れるわけでもなかったが、とても楽しそうに過ごしてくれた。だから、親も運動会をとても楽しみにすることができた。
陸上競技会になるとそれは、運動会ではなく体育実技という教科の延長にあるものだからこれは違ってくる。表情が硬くなり、参加しているだけという様相が強くなった。その様子を見ながら、仲の良いお母さん達とガールズトークをしてきた。
このごろの末っ子のへの私の接し方に疑問を持ったのだろう、一人が苦言を呈してくれた。
「その子その子で歩みに時間がちがうでしょう。●●君は時間がかかる部分があるけれど、必ずできるようになっているじゃない?」
その通りです。でも・・・・・・。
JKの担任の先生と進路のための個別懇談があった。
「7月のこの成績では、志望の大学に本当に願書出すの?と言わざるを得ません。8月の模試の結果がもう少しで出るので、そこで上がってくれていればいいのですが・・・」
4月に話を聞いた時には「十分に狙えますよ」と言われたのだが・・・・・・。
嵐のコンサートに行ってから、現実が見えて来たのか彼女の表情も暗い。涙を流して訴えることがあるようになった。
懇談に行った夜も恐る恐る「先生、なんて言っていた?」と聞いてきた。
この娘は本当に努力をして努力をして不足している力を補って、高校受験も「お前、バカだと思っていたけれど頭いいんだなあ?」と周りに驚かれるほどがんばって、二番手高と言われる今の学校に合格した。
6月までは部活を一生懸命にやっていた。それがいけなかったのか・・・・・・事情が許すなら、彼女の時計だけをゆっくり進めてやりたいと思う。娘は人と同じになるのに時間がかかる。それが分かっているだけに、今の恐怖が手に取るように伝わってくる。
さらにその不安もあってか、ようやく決めたはずの志望校に「私、何が何でもあそこに入りたいとは思えない」と言い出した。
大学受験で何が大事って、あそこに入りたいという気持ちが一番の力になると上の子どもたちの経験から感じている。
それさえあれば、受かっても、失敗に終わっても、進む道がおのずと見えてくる。
子どもそれぞれの時間の歩みがある。その子の歩みに合わせて、褒めたり、怒ったり、悩んだり、・・・・・・。
受験という節目の度に思うのは、これは子どもが試されているのではなく、親がその子どもをどうやってこの後どう見守っていくかが試されているのではないか。
努力の上に必死に積み重ねている娘・・・・・・苦手意識が強すぎて手を出さない末っ子。
それぞれに親のありようがあるのだろうと思うが、今、娘があまりに不憫で、末っ子に合わせて話をすることが難しい。もしかしたら、今こうして接していることが将来末っ子の傷になるかもしれない。そう感じたら、彼に正面から謝ろうと思っている。
わが子たちにしてあげられることが無くなってきている。でも、だからこそかな、親として必死にそれぞれの子どもに向かっている。その事だけは感じてほしいと願っている。