日付が変わらない程度の時間に実家にたどり着いた私を待っていたのは、
体調が今一つおもわしくない姉の癇癪だった。
落ち着いて振り返って、話していたことを考えると、何より
「私を誰も気にしてくれないのよ」 というのがいいたいことのようだ。
その時は、わあわあ言うから、何が言いたいのやらさっぱりわからなかった。
姉の負担を減らしてやりたくて東京に出かけたつもりだったのだが・・・
「あんた(私のこと)だって、私のためじゃなくて、婆のために来たんじゃないの!!」
に、かっとなった。
3月15日 姉は定年退職を迎えた。
昨年12月に治療を受けて以来欠勤を重ね、この日を迎えた。
残念だが、ホッとした気持ちもあると思う。
「退職のために会社に行ってくれると助かる」という話だったので、それに合わせて予定を組んだ。
が、私が仕事先に調整を頼んだり、飛行機の手配を終えてから、
「人事の人が家まで来て手続きしてくれて、私物は宅急便で送ってもらうことにしたから
あんた、来なくてもいいわ」 と言ってよこした。
そう言われたってもう、仕事の代行の手配を頼んでしまったあとだ。
軽くそう言ってもらってもなあと思いながら、予定通りの日程で上京した。
私なりに呑みこんだ思いがあった上での姉からの一言で、
「15日に来てほしいといったのはあなたじゃない?」と言い返していた。
それは私の心のうちで、
まあまあまあまあ、あのばあさんはやっぱり飛んでもないやつで、
それに物言えぬ姉が欲求不満の矛先に選んだのが、うちの大学生3人と私だったんだなあ~~~。
今ならよーくわかる。
まったく、私の人生の中で、扱いに一番難しいばあさんだった。
これについては、また、頁を改めて語りたい。