婆がいなくなって、我が家の家族会議を開いた。
実は、旦那も私に遅れながら上京してくれた。
婆は、養子縁組していないとはいえ、義理とはいえ、私の父の後妻さんだ。
これで最後になるであろう間柄であろうが、やはりけじめはつけるべきだろうと旦那は考えた。
手はあまりかからないが面倒くさい年頃の子どもを3人もあずかってもらった。
婆にあいさつをするために上京したのだが、婆は姉にかたくなに 「仕事があるらしい」 と説明したようだ。
ここでまじめな皆さんは、末っ子の行方が気になったのではないでしょうか?
当然、このときはまだ中学校は休みに入っておらず、三日ほど一人きりになるので思い悩んだ。
ここでもミニ家族会議を開いた。どうしたもんかと・・・。
結論は、仲の良い友達の家に夜だけお世話になることになった。
学校が終わったらいったん家に戻り、宿題を片付けて、翌日の支度を終え、
パジャマとゲームを持って歩いて15分ほどのその家まで向かう・・・ということを三日繰り返してくれた。
これには、後日談があって、親が帰って気が緩んだのか熱が出た。
高い熱はでなかったが、微熱がそのまま二日ほど続いた。
仲の良い友達の家とは言え、親がいなくて、緊張したのだろうなあ・・・。
ヤクルト戦に間に合うように元気になってくれたので、よかった。
で、話を元に戻して
東京での家族会議・・・いやあ、紛糾しました。
結論から言うと、婆と姉の相性の悪い仲立ちに、
この四年にわたってうちの子どもたちが立たされていたということ。
婆も、姉も、うちの子どもたちにそれぞれ何も説明しないけれど、
お互いの間を、子どもたちを介してどうにかしようとしていたのだということが感じ取れた。
ただそこも百歩譲って、お世話になった義理というものがあるので、
もう大学生なんだから丸く収めてもらいたいもんだと考えています。
長女はぶんむくれて、再び“家出” 私が在京中は家に帰ってこなかった。
まったくあいつは…と思うが、そんな育ち方をした傍に親がいたことも事実だ。
何とかまっすぐ生きていってほしいと願っている。
二十歳を超えて“反抗期”をしている長男も実に面倒くさい。
女所帯になって、病気闘病中の姉がいる実家で、長男が出入りしているのは重要なことかもしれない。
隣近所も高齢化してしまい、ほとんどの家がおばあさんの一人住まいの地域だ。
淡々と話す旦那の言葉をどう受け止めたのか 「ここに残りたい」 と言った。
今まで二階のふすまを境にした二間に三人で暮らしていたが、婆が使っていた部屋が空いた。
姉が一人一階というのも、何かあったときに都合が悪い。
クーラーのついていないこの部屋を次女にということになった。
そのために婆が残していったものを大車輪で処分した。
仏壇もここにあったのだが、姉の部屋に移動した。
今まで西向きだったのが、ちょうどいい塩梅に東向きになった。
実家は菩提寺が遠く、月参りにお坊さんが来るということもないからこれでよしだ。
線香をあげながら父親に願った 「ちょいとは化けて出て、姉ちゃんに喝を入れてやって頂戴!」
荷物持ちだった婆が拒否して、婆が使っていた部屋は、一度もふすまも畳も手入れがされていなかったため
これを機会にきれいにしようとなった。 気分一新だ。
そこまで来たころ、東京は桜が満開になった。
桜以外も・・・
沈丁花、この花は北海道では見かけません。
椿もこんなにしなだれかかったような姿はないですね。
雪が深いせいでしょう。枝が横に伸びるということはないです。
いやあ、きれいだったなあ・・・・!
そしていつものあの仔! 毎朝、欠かさず顔をのぞかせるそうです。
次女が 「父に似ている!」 と言いだし、“ちち”と呼ぶことになりました。
そして羽田空港でのいつものご褒美です。
「やっとここまでたどりついなたなあ~」と感じました。
大変な1週間でした!
まだまだやり残しや、子どもたちの思いも積み残しがいっぱいです。
ですがそれぞれが大人の話し・・・できないことを無理強いしても、仕方がありません。
だから、この激動の話はこれで打ち切り!
すべてを吐き出して、清々しました!さあ、明日に向かって前進です!