写メを撮ればよかったのだが、
自分の中に起こったもやもやに気を取られ、旦那に注意を向けることしかできなかった
道すがらにあった床屋さんののぼり旗に大きく書かれた文字
「男なら床屋だろ!」
それだけが大きく書かれた旗だった
どこがどうとは言えないがもやもやと不快感を抱き、気になった…
それがどういうことなのか、何なのか考え始めた
この旗はおそらく美容院に流れる男性客に向けてアピールしているんだろうけれど、
男は床屋… では、女は美容室と決まっているのか?
それって、なんだか根底に男女差別を感じないか……?
それがもやもやの種かな?
性差があるので更衣室などを分ける、区別は必要ですが、
髪を切るのに床屋か美容室かという区別は必要だろうか?
否、私のママ友の一人は、時間がかからないからとずっと理容室を愛用している
子どものころ床屋さんに通った記憶のある女性は結構いるのではないか?
かくいう私も覚えがあるし、病気治療で脱毛してしまった時は旦那の行きつけの床屋さんに頼んで丸刈りにしてもらった
理容室に行くのは圧倒的に男性が多いのだろう…でも、髪を切りに行くのは誰でもいいはずなのに、
そこをあえて“男”とあげてしまう
悪気のない、なあんにも意識のない、あえて言えば自分は差別意識はないと言い切ってしまうだろう人たち
こういう善意の思い込みの、こういう差別が一番厄介なように感じます
物事を過大に感じ取りすぎているのかとも危惧するが、
この国の政治家も、役人も、マスコミも、
自分はまっとうだ、差別はないと思い込んでいる人が結構いるようだ
うちの旦那もこの手の端くれで、何かの拍子にああこの人も差別があるんだと感じることがある
小さな違和感をほっておくのではなく、こんなことからも差別を感じるのですよと
それを言うことは本当は大事な行動なのかもしれない
次に続く若い世代が、もっともっと平然と生きていけるようにできればと思います
旦那が教えてくれたキング牧師の言葉を最後にここに紹介する
「最大の悲劇は善意の人々の沈黙である」。
運動を通じてキング牧師が実感したのは、悪意のある反対者より、
善意の人たちの沈黙が社会の前進を止めているということだった。
黒﨑真「「非暴力」という抵抗――キング牧師の戦い」