多賀城は自宅からそんなに遠くはない。しかし45号線はいつも混雑している印象が強かった。塩釜や松島に行くには山の手を回って通称の利府街道や三陸自動車道を通ることが多い。
先日、用があったついでに前から気になっていた末の松山に行った。JR仙石線の多賀城で電車を降りた。ここは海岸から少し離れているが、平坦地に僅かに小高い丘がありそこに年代物の松の木がある。平安時代には枕言葉として、決してあり得ない例えとして引用されている。
旧来、歌人にとって末の松山を訪れることは憧れであったようだ。江戸時代には奥の細道で松尾芭蕉もこの地を訪れた。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
小倉百人一首四十二番 後拾遺集 清原元輔
きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ
古今和歌集 東歌
うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は こえじ物ぞと
源氏物語
浦ちかく ふりくる雪は 白浪の 末の松山 こすかとぞ見る
古今和歌集 藤原興風
西暦869年の貞観地震でも、今回2011年の東日本大震災でも、津波はこの末の松山は越さなかった。しかし周囲には津波が到達するということだ。
震災から3年と9ヶ月、宮城県の海岸沿いは津波による大きな被害を受けた。多賀城市も例外ではない。多賀城駅前の街並みも新しい街に生まれ変わっている。
末の松山を波は越さない。
生き物は、生きている間は前進あるのみ!
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