西向天神社 新宿
西向天神社
「新宿の女」藤圭子 歌碑
平成11年1999年 9月25日建立奉納
山上路夫さんの名前がある
新宿には藤圭子さんの歌碑が2か所の神社にある
西向天神社と花園稲荷神社
西向天神社には「新宿の女」
1969年9月発売1970年1月にブレイク
平成11年1999年9月25日建立奉納
花園稲荷神社には「圭子の夢は夜ひらく」
1970年4月25日発売オリコン1位
平成11年1999年12月19日建立奉納
歌碑建立奉納は同じ年の9月と12月だ
さて、発売された当時の記憶はそんなに強くはない
東大の安田講堂陥落は1969年(昭和44年)1月18日から1月19日
藤圭子がブレイクしたのはその1年後だった
村上春樹の1987年9月発行「ノルウエーの森」 はこの時代のことを書いているらしい
その頃はボクも忙しく私小説には全く興味が無く未だ読んでいない
ちなみに村上春樹は神戸高校の出身
ボクの両親が4~50年住んでいた神戸の灘から近い
藤圭子のデビュー曲「新宿の女」
1969年11月伝説の25時間キャンペーン
このイベントは新宿の西向天神社から始まる
安田講堂陥落の約1年後なのでシラケた時代が始まっていた
藤圭子の作られた暗さのイメージが時代にマッチしていた
ただ彼女の歌も時代のひとつの側面だった
当時はテレビもラジオもあまり見聞きしていない
そんなに興味は無かった
最近は藤圭子が凄い歌手だと見直して聴いている
彼女は演歌歌手だがロックやソウルも歌い
生い立ちに由来して浪曲を歌えば比類無く天下一品だ
五木寛之は「これは正真正銘の“怨歌”である」 と書いた
その後はみんな模索しながら一歩ずつ進んで行った
原子核学科問題とその後の大学紛争で荒れた2年間があった
ボクは就職しないで少し勉強してみたいと思った
大学院に行くことにした
「新宿の女」のころは学部の卒業論文に没頭していた
研究室で夜を徹したこともあった
花園稲荷神社 新宿
花園神社は同時代に唐十郎の紅テントで有名になった
前衛やハレンチや何でもありの時代だった
日本勧業銀行に就職した小椋佳さんは寺山修司の天井桟敷に出入りしていたそうだ
「初恋地獄篇」の作曲を担当した
趣味とはいえその後は音楽で身を立てた
みんな格闘し模索していた
花園稲荷神社
「圭子の夢は夜ひらく」藤圭子 歌碑
平成11年1999年 12月19日建立奉納
なかにし礼、船村徹、星野哲郎各氏の名前がある
ご訪問ありがとうございました。我流で拙作ですがよろしくお願いいたします。
簡単ですが、先ずはお礼まで・・・