東西圧縮回流記

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赤井遺跡 宮城県矢本 飛鳥奈良時代

2020-11-19 | 歴史散歩
 赤井遺跡は宮城県東松島市矢本赤井にある。

 赤井遺跡は7~8世紀にかけて古代陸奥国の牡鹿柵・牡鹿郡家と呼ばれる城柵官衙遺跡である。関東上総地方からの移住者によって営まれた集落跡で、後の道嶋氏につながっていく氏族が一帯を支配した。
 7世紀後半には、宮城県北部全体に関東地方北西部と東北南部から大量の移民が送り込まれたそうだ。これは明治維新後の北海道へ屯田兵派遣や日本各地からの集団移住とよく似ている。
 
 小生は、牡鹿柵は牡鹿半島にあるものと勘違いしていた。牡鹿半島ではなく東松島市矢本周辺だったのだ。

 西暦780年宝亀11年に伊治公呰麻呂の乱(宝亀の乱)が起きた。伊治公呰麻呂が陸奥按察使紀広純、牡鹿郡大領道嶋大楯を伊治城にて殺害した。道嶋大楯はもともと東北蝦夷の出身であるが、朝廷側に協力していて官位を授かっており、他の東北蝦夷の多くから恨まれていたようだ。

 その約100年後、平安時代西暦869年(貞観11年)に貞観三陸地震による大津波が三陸や仙台周辺を襲い大被害が発生している。2011年3月11日の東日本大震災は千年前の大津波の再来といわれている。グーグルマップによれば赤井遺跡がある公園には、今回の東日本大震災の津波被災者のための仮設住宅が設置されていたようだが、現在は撤去されている。





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