東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

クアラルンプールから天童へ 信長の肖像

2016-09-23 | Weblog
先日の小旅行でクアラルンプルから成田へ向かう787の機内でロクヨンの前編を観た。横山秀夫原作、監督瀬々敬久、佐藤浩市主演で昭和64年の少女誘拐をテーマにした「64-ロクヨン」だ。なんとも重いテーマだったが、機内のDVDは前編のみだった。
後編を観なくてはと思ったものの、もはや後編が公開されていたのは東北では天童と青森?の2館のみだった。天童といえば、信長の末裔がいた天童藩と信長の肖像が気になっていたので、2つの課題を一挙に解決しようと急遽、高速で車を飛ばし天童市のイオンモールのシネコンへ行った。

1.安土城
 今年の4月、石田三成の居城だった滋賀県の佐和山城址へ行った。また近くの信長の安土城に上り、城下に最近建設された「安土城天主 信長の館」を訪れた。そこで今までのイメージと違う信長の肖像に新鮮な衝撃を受けた。また山形県天童市にその肖像が発見された菩提寺があり、同市が信長の子孫がいる天童藩であったことを知った。

2.織田信長
1534年 誕生
1575年 長篠の戦い勝利(信長41歳) 
1579年 安土城完成(45歳)
1582年 本能寺の変 自害(48歳)

3.織田信雄(次男)の子孫
1615年 織田信雄 上野小幡藩2万石(小幡藩152年間)
1767年 高畠藩 上野国小幡から出羽高畠へ移封(高畠藩63年間)
1830年 天童藩 出羽天童へ移封(天童藩41年間)
1871年(明治4年)廃藩置県 天童藩廃藩

4.三寶寺(天童)
1830年 出羽高畠から天童への移封に伴い、織田宗家の菩提寺となる。
同寺内には「織田宗家御廟 仰徳殿」があり、信長の肖像画の写真のみが残っている。この肖像画は信長の時代に宣教師が描いたそうだ。この絵からは信長の凶暴なイメージは微塵もなく、女性的な柔和で知的な感じさえする。あれだけ無数の連戦を仕掛け勝利を重ね続けるには、知力と戦略のみが必要だったのだろう。

5.建勲神社(天童)
1870年(明治3年)明治新政府 織田信長に神号下賜
 天童舞鶴山に建勲(たけいさお)神社 建立

6.エピローグ 女子学生との会話
 天童市の建勲神社にたどり着いた時、山中の神社で見知らぬ女子学生と2人だけになってしまい、織田信長の前であるにもかかわらず、どちらからともなく互いに話しかける羽目になった。

地元の出身で夏休みのようだった。
「どちらから来られましたか」
「仙台です」
「エー 仙台はいいですね」 
「仙台はいいですか?」
ナントカ、カントカ・・・
「下宿は大変で親に負担をかけています」
「いや親は大変でも子どもの学費や生活費を稼ぐことは苦にならず、生き甲斐をすら感じるものですよ」
「バイトも必要でしょうが、本を読むこと、よく勉強してくださいね」
などと教師のようなことを口走ってしまい、別れた後で気恥ずかしくなった次第です。

正確に言うと実はあと一人、我が家のゴールデンレトリバー嬢が横にいて会話には入れませんでしたが、犬を挟んで円滑な会話が進んだのでした。




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