東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

山形最上藩はなぜ分断されたか?

2016-02-09 | Weblog
山形は何度も通過したことがある。車では県内各地に行った。ただし山形駅で降りたのは初めてだ。霞城跡は公園になっていて、現在は石垣と堀の一部がある。

最上義光は傑出した人物で伊達政宗と戦ったこともある。最上義光といえば豊臣秀次に連座して愛娘を処刑された悲話が有名だ。関ヶ原では徳川方に付き57万石の大名になった。

義光の死後、10年も経たないうちに改易され、山形は幕府領となり、最終的には5万石まで分断され、縮小した。

一方、仙台の伊達藩は62万石で分断を免れた。地理的にも歴史的にも理由があって現在の山形と仙台の都市の基盤になっているのだろう。

最上藩が改易されたのはもちろんお家騒動あってのことだが、個人的な感想だが、幕府にとっては山形と仙台が隣接して2つの大きな大名が存在することを良しとしなかったのかも知れない。


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