目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

小さな幸せ

2024-12-05 15:44:25 | 東京都目黒区、世田谷区
「すこやか歩こう会」の11月30日は、呑川、化坂、秋山の森コース7.1㎞
集合場所は都立大学駅付近吞川緑道でした。スタート時間は13時ですが12時45分くらいに到着しました。
まだ誰も来ていない。「あれ、まちがったかな」と思っていたら、三々五々次々と集合。総勢12名になりました。
朝晩は寒いけれど昼間は暖かい。晩秋のこの日は絶好の散歩日和になりました。
集合場所の近くをよく見るときれいな葉っぱが目に留まりました。思わず写真に。

13時になりました。いつものようにみんなで輪になりストレッチ体操。
まずは呑川本流緑道へ。そして八雲氷川神社。誰かが「目黒で一番古い神社だよ」。
「そうなんだ。ところで、八雲神社は何の神様?」
ちょっと調べると、須佐之雄尊(スサノオノミコト)と稲田姫尊(イナダヒメノミコト)、大国主尊(オオクニヌシノミコト)だそうです。
日本の神話の世界そのものですね。
見上げると真っ黄色い銀杏に青い空。コントラストがとてもきれいです。これも写真に。

金蔵院、化坂へ。「昔はきっとこの辺は幽霊が出たんでしょうね」と話ながら、呑川本流緑道へ。
全コースの凡そ半分の深沢神社・三島公園でトイレ休憩。
休憩した時はいつも誰かにアメをいただきます。いつもいただいてばかりですみません。

一人で黙って歩いていると距離が長く感じます。
でも、「実は前に尻もちをついてからちょっとした拍子に腰が痛くなるんです。ただ歩くだけなら問題ないんですが」
「そうなんですか。実は私も8月にひどいぎっくり腰をして、2~3日歩けなかったんです」のような話をしながら歩いていると、
あっという間に目的地に着きます。
家の中にいたのではわかりませんが、紅葉は街中や神社のいたるところにあるんですね。
紅葉も楽しいのですが、誰彼となく気の置けない話をするのも楽しいです。

よそ見をしていて歩道を仕切るポールにちょっとぶつかりました。
後ろからすぐに「ちゃんと前を見て歩かないとダメよ」とやさしい声が飛んできました。
「そうだ、気を付けないと」と思い直しました。

三島公園での10分間の休憩の後、秋山の森から駒沢公園のうま公園まで来ました。
小さな子供連れの若いお母さんが多い。子供は走ったり、自転車に興じています。
お母さんはみんなとてもファッショナブルですね。駒沢公園らしいと感心。

1964年、今から60年前の東京オリンピックの聖火台を横目に見て、衾公園、桜修館中高のお隣を通り、
目黒区民キャンパスに着きました。13時に出発しちょうど15時の到着です。
10分の休憩を入れて7.1㎞を2時間きっちりで歩いたことになります。
そこでみんなでストレッチ体操をして解散。この日の歩数は11,465歩になりました。

「健康のためにもっと歩きましょう」とよく言われます。「1日に何歩、歩いているか」を、意識されることはあるでしょうか。
「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」の推奨は、成人男女では8,000歩/日、高齢者では6,000歩/日だそうです。
でも「健康になるためにもっと歩きましょう」と言われると、なんだか「試験勉強をがんばりましょう」と言われているような気になります。
「健康になるために歩く」というよりも、「歩くことは楽しい、何となく気持ちがいい、だから歩こう」と思っています。

青い空、街や神社の紅葉、気の置けない話。小さな幸せを感じる11月30日の「すこやか歩こう会」でした。

S.O.記載
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷川コース渋谷ストリーム経由 約6.2km

2024-12-01 11:11:08 | 東京都新宿区、渋谷区
渋谷川を源流から下ろうというコースです。渋谷駅周辺の開発が急ピッチで地元の人間でもわからないところがあり歩いてみようというのがコースを作ったきっかけです。そろそろ渋谷サクラテラス経由にしようかとも思ったのですが下見が十分でないので、今回もストリーム経由。


雷電稲荷神社

都立新宿高校

明治通りパイパス

内藤とうがらし
集合場所は新宿御苑大城戸門前で最寄り駅は丸ノ内線新宿御苑なのですが、時間的に新宿三丁目で乗り換えるメリットがあまりないので新宿三丁目から歩きます。



玉川上水

ホトトギス

センリョウ

水番屋
新宿御苑脇、かつて玉川上水が流れていたあたりは無料で通行できる散策路になっています。


新宿御苑旧守衛所



セコイアの紅葉

ツワブキ

菊花展開催中
守衛所前で邪魔にならない程度に広がってストレッチをして出発です。


四谷大木戸跡
大木戸とは江戸に出入りする通行人や荷物を監視するために街道に設けられた関所で四谷大城戸は1616年に設置されます。1653年に玉川上水が開通したため大木戸に隣接する形で水番所が設けられました。当初は夜になると木戸を閉めていたのですが、1792年には大木戸は撤去されました。江戸防衛の役割を終え経済面や社会の利便性から不要なものになったのでしょう。


渋谷川の起点
渋谷川は時代の変遷で様々な呼ばれ方をします。このあたりは現在使われなくなった穏田川と呼ぶのがしっくりするように思います。穏田川が渋谷西武A館B館の間を流れてくる宇田川と合流すると渋谷川に名前を変え、天現寺で笄川と合流し古川に名前を変えて東京湾に注ぎます。
穏田川の源流は新宿御苑の湧き水ですが、玉川上水の水番所ができ余った水を流すようになると源流から水量があってこの川幅になっています





多武峯内藤神社
神社の由来を「温故知しん!じゅく散歩」のサイトから引用します。
天正18年(1590)の徳川家康の江戸入府にあたり、内藤清成は先乗りして一帯を検分し、家康を迎えた。その功により広大な土地を拝領した清成は、現在の新宿御苑一帯に江戸屋敷を設け、寛永年間(1634~1643)屋敷内に藤原鎌足の分霊を勧請し多武峯神社として祀った。明治5年(1872)9月に屋敷が官有地となったため、明治16年(1883)9月に現在地へ遷座した。戦後、多武峯内藤神社と改称された。


鉛筆の碑

衣裳店


穏田川跡
鉛筆の碑は内藤神社の隣にあり三菱鉛筆創業の地です。明治時代に始めた鉛筆の製造に穏田川の水車を利用していました。


サザンカ



国立競技場

ビクタースタジオ
競技場の周りは広くて歩きやすくトイレも充実しています。


穏田川跡

裏原宿

表参道ケヤキ並木

表参道

キャットストリート
まだパイロット放送のブラタモリの初回、ここでたこ焼きを買って食べていましたね。


MIYASHITA PARK

スクランブルスクエア

宮益坂


渋谷ストリーム


渋谷川


東横線線路跡

渋谷川と渋谷のビル群
大きく変わった渋谷の街です。



渋谷ブリッジ
駅にあるような時計と天井に線路をモチーフにした照明。



都営住宅と都バスの車庫

渋谷川

蔵のような倉庫

恵比寿東公園
渋谷川沿いに南下をしてゴールの公園の一角をお借りしてストレッチ。解散となりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二回神田川遡上コース(支流日本橋川) 約6.3Km

2024-11-27 11:45:12 | 東京都中央区、千代田区
前回は神田川を水道橋まで歩いたので、今回は日本橋川を水道橋まで歩きます。「支流日本橋川」と書きましたが、仙台掘りの放水路ができる以前はこちらが神田川の本流、古典落語で魚河岸といえばこの川沿いにあった日本橋河岸のことで、江戸経済の大動脈といっていいでしょう。


豊海橋近くのビルの公開空地
こちらをお借りしてストレッチをしてスタートします。集合は茅場町駅でした。




豊海橋

日本橋川

永代橋

日本銀行創業の地
日本橋川最下流の橋が豊海橋でその先は隅田川です。日本銀行創業の地も豊海橋のすぐ近くにありました。


日本橋水門

富士山の壁画

東京証券取引所

三越本店

日本国道路原標レプリカ

日本国道路原標

日本橋麒麟像

日本銀行

常盤橋

外堀の石垣

渋沢栄一
このあたり説明いりませんね。日本橋川沿いは見所満載です。


太田圓三君像
Wikipediaから引用します。
静岡県田方郡伊東町(現在の伊東市)出身。東京府立一中、一高を経て、1904年に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。大学では広井勇に師事。逓信省鉄道作業局(後の鉄道院→鉄道省)に入省。1910年から2年間、欧米に留学。1923年の関東大震災後、帝都復興院土木局長に抜擢される。
帝都復興院では、隅田川六大橋(下流から相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)をはじめとする「震災復興橋梁」の建設を、橋梁課長の田中豊と共に主導した。
また、弟(木下杢太郎)が詩人であり、自身も文学を志したことがあったことから、橋梁のデザインについて文学者・画家などの意見を聴いたり、山田守・山口文象ら建築家との協働も行った。
また、アメリカ人技術者を雇って、ニューマチックケーソン工法を橋梁の基礎工法として本格的に導入した。
親友の十河信二とともに巻き込まれた、土地売買に関わる贈収賄疑惑(復興局疑獄事件)にて自殺した。 復興局跡地のそばに架かる神田橋近くに記念碑が残る。



豊展観守像
金銅鎚起 豊展観守像
 この彫刻は、活気とやすらぎ・教育と文化の町として知られる千代田区に住む人々の豊かさと発展する町を観守する姿を、こがね虫と人間の擬人化により、造形表現をして製作されたものであり「彫刻のある町・千代田区」として潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した写真集、神田っ子の昭和史「粋と絆」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。
平成三年九月
千代田区



ツワブキ

フユザクラ

雉子橋

共立女子中学校・高等学校

まないたばし

専修大学10号館
俎橋で靖国通りを横断して堀留橋わきのビルの公開空地をお借りしてストレッチ。



讃岐高松藩上屋敷の庭園跡

三崎橋
神田川と日本橋川が分かれる新三崎橋まで歩いてこの日はゴールです。

ニュー神田屋水道橋西口店で反省会をしてお開き。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田川遡上コース(人形町~水道橋) 約5.1km

2024-11-23 15:48:04 | 東京都中央区、台東区、千代田区
9月15日に歩いたコースです。書き漏れていたのですが神田川シリーズの一回目なので写真を載せておきます。
玉川上水を羽村の堰からずっと歩いてくるシリーズを終えてシリーズ物の第二弾で、実施したのは十年以上前になります。このコースを歩いたことがない会員も増えてきたのでまた実施してみることにしました。


人形町交差点
集合は人形町駅。


名所・旧跡案内
・賀茂真淵県居の跡
・谷崎潤一郎生誕の地
・富塚碑
・玄治店跡
・蛎殻銀座跡
・鉄造菩薩頭
さすが下町、名所がいろいろあるようです。


久松児童公園
運河を埋め立てた場所でしょうか、こちらをお借りしてストレッチを行いました。


金座通り


堤防を越えて墨田川へ



隅田川テラスから

日本橋中学校
金座通りを北東へ向かい隅田川にぶつかったら、隅田川テラスを両国橋まで北へ。


両国橋からスカイツリー

柳橋

神田川
柳橋が神田川にかかる最後の橋で、その先で隅田川に合流します。


浅草橋

アイリスボタン
浅草橋は日本人形、玩具、文具、アクセサリー、装飾資材などの問屋街


神田川

和泉橋

風情のある建物

秋葉原萬世橋

神田川

ビリヤード淡路亭
秋葉原を抜けてお茶の水へ。


湯島聖堂

神田上水懸樋(掛樋)跡の石碑

東京都立工芸高等学校

東京ドームホテル
この日歩いた神田川は外堀として開削された放水路で湯島聖堂あたりは仙台藩が開削し仙台掘りと呼ばれます。神田上水と外堀が交わるので上水には掛樋の橋がかけられたことから水道橋の地名が生まれました。この日は水道橋駅がゴールでした。

JRで渋谷に出て山家で反省会。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【番外】目黒多摩川ウォーキング

2024-11-12 12:10:01 | 東京都目黒区、世田谷区
「目黒区立砧野球場/砧サッカー場、協栄・目黒体育協会グループ」主催によるウォーキングイベントをお手伝いしました。目黒ウォーキング協会が協力しているイベントです。「オリンピックを歩こう!」~オリンピックの史跡をたどる道のり~とのサブタイトルがつけられています。


碑文谷野球場
碑文谷体育館に集合しストレッチをしてスタート。野球場ではこの日グランドゴルフの大会が開かれていました


泳心一路 古橋廣之進 石碑
碑文谷体育館のすぐわきにプールと学生寮があり、その前にこの碑が設置されています。終戦の混乱で古橋さんはオリンピックには参加していないようです。



駒沢オリンピック公園のメタセコイア

東京オリンピック1964のサブ会場聖火台

東京オリンピック1964の皇居二重橋前集火式聖火台
東京オリンピック1964のサブ会場になった駒沢オリンピック公園。まず聖火についてWikipediaから抜粋引用します。
10月7日から9日にかけて東京都庁に到着した各コースの聖火は、9日の夜に皇居二重橋前で集火式が行われた。オリンピックの開会式が催される翌10日、皇居前から国立競技場まで最終聖火リレーが行われた。

聖火の最終ランナーは、1945年(昭和20年)8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則(当時早稲田大学競走部所属)であった。原爆投下の日に広島市に程近い場所で生を享けた若者が、青空の下、聖火台への階段を駆け上る姿はまさに日本復興の象徴であった。


つぎに駒沢オリンピック公園総合運動場・バレーボールコートについて日本オリンピック委員会のサイトから引用します。
1964年10月23日、日本中の視線は駒沢のバレーボールコートに集まりました。東京オリンピックバレーボール女子決勝・日本対ソビエトは、日本のスポーツ中継史上最高視聴率66.8%を記録。「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子日本代表は3-0でソビエトを下し、悲願の金メダルを獲得しました。コートは現在もバレーボールをはじめ、屋内競技を中心に活用されています。


駒沢オリンピック公園
秋色に変わってきました。


桜新町一丁目緑地(サザエさん公園)
駒沢通りを西へ進み、呑川橋で右折して呑川本流に沿って北へ、玉川通りをまた西へ進み、ちょっと北側の路地に入りサザエさん公園へ。



寶泉山玉眞院(玉川大師)
再び玉川通りを西南へ進み、階段を下りて玉川大師へ。


岡本公園民家園
丸子川沿いを西へ向かい岡本公園。


野川

駒澤大学玉川キャンパス

多摩川の向こうにうっすらと富士山
多摩川の堤防に出て目黒区立砧球技場管理事務所まで西へ向かいました。目黒区立砧野球場/砧サッカー場は台風の影響により使用できない状態で、改修工事に取り掛かるそうです。


リコー 総合グラウンド
多摩川の堤防を折り返し東へ向かい、ゴールの二子玉川を目指します。だいぶ昔になりますが、わきを通った時にグランドの片隅で子豚を丸焼きにしている外国人選手を見たことがあります。

二子玉川に到着し、ストレッチをして解散となりました。最終盤が単調でちょっと疲れましたが、天候に恵まれ暑くもなく寒くもなく、良いウォーキングでした。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする