目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

奥澤大蛇お練りコース 約6.8km

2023-04-26 11:32:10 | 東京都目黒区、世田谷区
週末、雨の日が多かったり、都合が悪かったりして久しぶりのウォーキング参加でした。


目黒銀座児童遊園
蛇崩川緑道をさかのぼるのでこの日は中目黒ゲートタウンに集合でした。蛇崩川緑道を中目黒からさかのぼるのは久しぶりです。ずっとさかのぼり馬事公苑まで至るコースがあるのですが、東京大会2020で使用するため4年以上っと休苑しており再開を待ち望んでいます。


東横線ガードの橋脚
蛇崩川は中目黒駅付近では東横線の南側を流れていますが、少し上流にさかのぼるとガード下をくぐり西へ向かいます。東横線ガードは耐震補強をきっかけにガード下の店が入れ替わり、橋脚の数字は渋谷からの通し番号だと思います。


蛇崩川緑道
サクラの時期このあたりはきれい。


下馬の個人墓地

お猿庚申尊
蛇崩を過ぎ区界を越えて世田谷区下馬に。個人所有と思われる墓地がいくつかありふるい墓石も並んでいます。お猿庚申尊はきれいに整備され井戸が設置されました。目黒区内で現在残っている庚申塔は30を切るくらいですが、世田谷区にはその十倍くらいの庚申塔が残っています。


駒沢通り学芸大学駅付近

弁天様
お猿庚申尊から駒沢通りまでのまっすぐな道は車の通りも少なく歩きやすい道です。交差点付近の祠は弁天様だと通りがかりの人が教えてくれました。


碑文谷体育館
現在区が所有する体育館ですがかつては第一勧業銀行の施設で、勧銀女子バスケットボール部の拠点でした。こちらでトイレ休憩。


「泳心一路」の碑
古橋廣之進が文化勲章を受章した記念碑だそうで、碑文谷体育館隣にある日大水泳部寮の敷地にあります。


碑文谷公園 憩いと交流の広場

呑川柿の木坂支流緑道
環七を横断し緑道に沿って南へ向かいます。


常圓寺参道

目黒通り

呑川本流緑道
目黒通りの旧道「ふたご道」を西へ向かい、南に折れて目黒通りを横断。そのまま呑川本流緑道を南下します。


岡田家長屋門
中根小学校の角で西へ向かうと立派な長屋門がありました。岡田家長屋門は中根公園の一部と勝手に思っていましたが、今でも個人宅の門だそうです。


東急大井町線
長屋門から南へ方向を変え九品仏川緑道を西へ。




奥澤神社
奥沢二丁目公園脇の道を入り坂を上ってゆくと、奥沢大蛇通りにでて奥澤神社は目の前です。こちらの祭礼「大蛇お練り神事」は東京都の無形文化財に指定されています。
お参りの後境内をお借りしてストレッチをして解散となりました。


自由が丘へ向かう途中奇麗なバラ


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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烏山川緑道コース 約6.0km

2023-02-25 13:41:06 | 東京都目黒区、世田谷区
如月の観梅シリーズ第一弾は、羽根木公園を目指すコース。二月は梅見月ともいうそうです。


水面に映るナノハナ

ロウバイ
この日は集合場所へは向かわず、いつもストレッチをしている東京燃料林産を目指して大橋までバスに乗り、玉川通りを横断して目黒川緑道を歩きます。ポカポカ陽気のウォーキング日和でした。


目黒川緑道のカワヅザクラ

小鷺

烏山川緑道のせせらぎ
土曜日ということで燃料店のゲートが開いているのでこちらでのストレッチを断念して、上流で場所を探すことにしました。北沢川と烏山川の合流点で目黒川緑道は終わり、この日は烏山川緑道沿いに歩きます。四週連続で20人を超える参加者があり、感染症が終結したような勢いです。来月にはマスク着用も個人の判断に任され、世界的に見ても感染爆発は無いようですね。これで終結なのか嵐の前の静けさなのか、前者であることを望みます。


三宿神社
境内をお借りしてストレッチしました。


太子堂あたりの緑道


太子堂小学校
すこやか歩こう会本隊は先に行ってしまいましたが、この日は本体と一緒に歩けることを目指している前会長をフォローして、小学校前で日向ぼっこ兼休憩です。


フキノトウ

若林一丁目の公園
若林駅を目標に歩いてきましたが、ちょっと頑張りすぎたかな?公園で休憩です。


若林踏切

若林駅に世田谷線

山下駅
頑張って若林駅に到着し、世田谷線でショートカットします。本隊は烏山川緑道を世田谷三丁目まで歩き、世田谷城址でトイレ休憩。豪徳寺を見て宮の坂駅近くの踏切を渡り世田谷八幡宮。豪徳寺商店街を抜けると小田急線豪徳寺駅です。豪徳寺駅と世田谷線山下駅は接続していて、我々はここで待っていると本隊と合流できます。


豪徳寺駅の招き猫



羽根木公園世田谷梅まつり
ところが本隊を待たずに小田急線で梅ヶ丘駅へ向かい、羽根木公園を先に散策していました。この時本隊は世田谷八幡を出たところ。


渋谷のライオンで一部有志と合流して、美味しいビールを飲んで反省会。いつものことながら何を反省したのか全く覚えていません。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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下馬太子堂三宿コース 約6.8km

2023-01-25 15:53:32 | 東京都目黒区、世田谷区
下馬、太子堂、三宿はすべて世田谷区の地名ですが、スタートとゴールは目黒区内となります。


五本木児童遊園
祐天寺駅に集合しこちらの児童遊園をお借りしてストレッチをして出発します。


聴力障害者情報文化センター
ご近所のわりにはあまり知らない施設です。法人のホームページから引用します。
当法人は、聴覚に障害を持つ人々に対し、コミュニケーション、情報、文化等に関する各種の事業活動(字幕・手話付加映像作品の制作・貸出、手話通訳技能認定試験(手話通訳士試験)の実施並びに相談、各種講習会の開催など)を行い、聴覚障害者の人権を守り生活文化の向上と福祉の増進に関する啓発、普及に寄与することを目的としています。

2009年にこちらに移転してきたそうです。


謡坂

蛇崩川支流緑道



葦毛塚
葦毛塚
源頼朝が、葦毛の馬に乗ってこの地を通ったとき、その馬が何かに驚いて沢に落ち込んで死んだという。
また、一説に鎌倉将軍の世、この地の領主北条左近太郎が仏経をもってでかけたが、その葦毛の乗馬が突然たおれたのでここに埋めたともいう。
いずれにせよ、遠い昔から葦毛塚と呼ばれていたらしい。このあたりは古くから馬の放牧場であり、馬に関した地名や伝説が多い。
昭和五十三年三月
世田谷区教育委員会



ノボロギク?

バラ

スイセンとバラ

蛇崩川緑道
葦毛塚の後は蛇崩川緑道をさかのぼります。




駒繋神社

末社の稲荷

江戸・東京の農業
陸稲 の 藤蔵糯

 日本人の主食として大切な米は水田でつくりますが、田の少ない地方では陸稲 として畑で栽培し、畑作地帯の重要な作物で農家は、収量を少しでも多くするため熱心に品種改良にとりくみ、東京の農家が作りだしたものも数多くあります。
 陸稲の糯米「藤蔵糯 」は明治30年代はじめ、荏原郡駒沢村下馬引沢(現在の世田谷区下馬)の清水藤蔵氏が、それまで栽培していた尾張糯を改良してつくりだしたことから「藤蔵糯」と呼ばれました。
 田んぼで作る水稲に比べると粘りが弱い陸稲 は、赤飯に用いられ、餅には水稲が使われていました。しかし、この「藤蔵糯」は、水稲に劣らぬおいしい餅をつくることができ、収量が多く、病気にも強いので、東京都の奨励品種にも採用されました。
 また、その後に品種改良された、「陸稲農林1号 」をはじめ、優れた品種をうみだす母体ともなりました。

平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業
世田谷目黒農業協同組合



西澄寺近くの墓地
かなり古い墓石も並んでいます。


西澄寺

弘法大師

お地蔵様

武家屋敷門

末社の稲荷


寺務所
野沢通り沿いにある大きなお寺です。弘法大師の文字がなぜ赤?考えてみれば御大師様は高野山の奥の院で生きていらっしゃるんですね。


節分
西澄寺の塀に貼ってありましたが、豆まきが行われるのは駒繋神社。


世田谷区商店街連合会
キャラクターは世田谷区特別住民票が発行されているそうです。
名前 が~やん
住所 世田谷区太子堂2丁目16番7号
   世田谷産業プラザ2階
生年月日 平成20年4月1日
交付日 平成25年10月19日



店頭のタヌキ

レトロな喫茶店

大山道道標

キャロットタワー

世田谷線
西澄寺の裏を西へ向かうと道なりに北西に向かい、商店街を抜けて玉川通りを横断します。


目青不動尊 教学院最勝寺



獣魂塔のいわれ
人類が地球上に生息するようになったのは いまより約二千五百萬年以前といわれ 原始時代における人類の食生活は 山野の「けもの」をとりかつ 草木の芽や実などを獣類の肉とともに「なま」でたべてきました 時代の進化と共に 人類は火を使用することをおぼえ 食べ物にも火を利用するようになり米や麦野菜なども栽培し 獣類を飼育 家畜として食料とするようになりました。
人類の食生活に最も重要である動物性蛋白質は 獣類の肉などによって摂取されております 人類が長い年月獣類より受けた恩恵は 誠に大きいものがあります 私達は 人類に貢献してきた獣類の霊を慰め心から感謝し祈念するために建立しました。
本碑は 昭和三十七年春彼岸に 三軒茶屋「奥吉」こと故斎藤菊三郎氏が生前に 食肉協同組合世田谷支部にはかり支部員一同の協力によってこれが建立され衆議院議員賀屋興宜氏が揮毫したものであります。
 昭和四十三年四月八日
この獣魂塔のいわれ は故斎藤菊三郎七回忌を記念し建立奥吉会建之
  奥吉会建之



イイギリ

辨天社(太子堂弁天)



太子堂八幡神社

どんど焼き終了

御神木

紅梅
この日はどんど焼きをやっていたようで後片付けをしていました。


茶沢通り

東京ワンタン本舗跡
まだ就学前の記憶だと思うけど祖父が聴いていたラジオ(競馬中継)でこの会社のCMが流れていました。本社は上尾に移ったようです。





圓泉寺
こちらの太子堂が地名の元となっています。下馬は源頼朝が馬から降りて通行するように命令した馬引沢が上馬引沢、中馬引沢、下馬引沢となり、短くなって上馬と下馬だけ残り、中馬引沢は三軒茶屋という地名になりました。三宿は池尻同様湿地で水宿が由来とありますがいまいち納得できない感じがしています。


東京都道420号鮫洲大山線
環状六号線と環状七号線を補完するためその間にあり、「環状6.5号線」としてタモリ倶楽部で取り上げられていました。南に行くと三宿通り、北へ行くと中野通りですがまだ開通していません。この部分が開通したのも初見です。




騎兵第一連隊址
「騎兵第一連隊長秋山好古謹記」とあります。騎兵山の南西側にありますが案内はなく地図にも載っていないのでたどり着くのは難しいかも。


ロウバイ
今年初めてのロウバイでした。

この後有志でオンセに繰り出し、初場所中日の取り組みを観戦しました。ワールドカップクロアチア戦の後半をビデオで見せてもらいましたが、日本のサッカーもうまくなりましたねぇ。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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すこやか歩こう会活動スケジュール
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【散歩】下馬、上目黒

2023-01-04 14:17:51 | 東京都目黒区、世田谷区
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

三が日ほとんど歩いていないので散歩へ。でもないのですが、駒沢の日産ディーラーに車検で車を預けに行った帰り道です。数えてみれば今回が16回目の車検。いつまで乗れることやら。


白梅
ロウバイでも咲いていないかとカメラを持って出かけたのですが見つけたのは白梅で香っていました。植物の名称はカタカナで書くようにしているのですが、「ハクバイ」では雰囲気が出ないので白梅ですね。




お猿庚申
お猿庚申(庚申塔二基・供養塔一基)
 台座の上に猿が座っている石像は通称お猿庚申といわれ、寛文十一年(1671)の銘があります。青面金剛と三猿が刻まれてるものは、もとあった地域の名から東山谷(ひがしさんや)庚申と呼ばれ、元禄七年(1694)に造られました。もう一基は「供養塔」と彫り込まれていてこれも江戸時代のものです。
 かつての下馬引沢村では、庚申講といって春と秋の「かのえさる」の日の夜に集まり、眠らず過ごす行事がありました。徹夜するのは、庚申の日の夜には三尸という虫が人体を抜け出て天上の神にその人の悪事を告げに行き、長命を妨げると信じられていたためです。
 ここにある石造物は、何らか紀念する目的で造られたと考えられます。近代の区画整備事業などで元の場所から移設されながらも地域を見守ってきました。このたび公園整備をきっかけに再び設置されました。
  令和四年三月  世田谷区教育委員会


駒沢通りの西に五本木と下馬を分ける区界の道があり、散歩道はさらに一本西になります。一方通行が相対していて世田谷観音通りはどちらも一方通行出口になるので裏道にはなりずらく車の通行はほとんどない歩きやすい道です。区界のバス通りも渋滞知らずなので裏道不要といった感じです。
お猿庚申、前回通った時は立ち入り禁止になっておりその後整備されたようです。説明看板の日付が昨年三月になっているので、一年近くこの道を歩いていなかったのかな?いつかルートに組み込みたいと思っている道です。


フクギ?

足毛橋
蛇崩川緑道の再整備が終わり奇麗になっています。世田谷区の公園課は仕事が早い。「あしげばし」とあったので「芦毛橋」だと思って写真に撮り、家に帰って写真を確認したら字が違っていたのでびっくりしています。近くに下馬の字名の由来となった芦毛塚(Googleマップの表記は「葦毛塚」)があるのでこの橋も元は芦毛だったのだと想像します。葦毛塚の真ん中に区界があり、塚の説明看板を設置しているのは世田谷区教育委員会です。すぐわきの公園は「目黒区立芦毛塚街かど公園」なので、目黒区と世田谷区で見解が対立している?ってなわきゃないか!



六畝橋
この橋の名も意外だったので撮っておきました。目黒区南部に羅漢川の支流で六畝川があります。恥ずかしいことにこれを「ろくうねがわ」と説明していたのですが調べてみると「ろくせがわ」が正解です。「畝」は広さの単位で六畝を「ろくせ」と読んでも「むつせ」と読んでもどちらが正解ということはないということでしょうか。
調べたついでなので六畝割について目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 六畝割(ろくせわり)
更新日:2014年2月3日

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 六畝割
六畝割(ろくせわり)は、今日の目黒本町一丁目地域をいう。かつては「こなべの」と呼ばれていたというこの地域が、いつから六畝割(ろくせわり)になったのであろうか。
明治21年に碑文谷村戸長役場が編さんした「碑文谷村村誌」に字六畝割という地名が記されている。以後、昭和7年の市郡合併により目黒区となった際に、周辺の字谷頭、池ノ上、東池下を含めた地域が清水町と改称されるまで、六畝割の地名は残っていた。さらに、昭和41年3月施行の住居表示により旧六畝割地域は目黒本町一丁目となったのである。
ところで、畝とは尺貫法でいう田地面積の単位で、一畝は一反(段)の十分の一、これをメートル法で換算すれば約一アール、百平方メートルである。従って、六畝は六百平方メートルの田地ということになる。ちなみに、同町一丁目11番の区立清水東児童遊園の敷地面積が四七六・九三平方メートルだから、それに約百二十平方メートルを加えた広さということになる。
さて、六畝割(ろくせわり)の由来だが、江戸末期まで、この地域付近一帯は樹木で覆われ開墾する者もいなかった。そこで、明治十何年ごろか、時の碑文谷村戸長、角田長広氏が村の共有地であったその一帯を六畝ずつに区切って村の農民に与え、強制的に開墾させたことから、この地域を六畝割(ろくせわり)と呼ぶようになったといわれている。



蛇崩川緑道

ハクモクレンの花芽

違和感がある時計
公園にあるような時計がなぜマンションの敷地にあるのか不明です。時刻は正確なようです。この前のみち、北へ行くと三宿病院南へ行くと下馬通り経由で芦毛塚へ至る区界の道です。かつての鎌倉街道は蛇崩交差点から五本木通り経由芦毛塚ではなく、こちらだったと思います。


蛇崩下橋(じゃくずれしもばし)

小川坂
 かつて、この一帯を「小川」といい、坂下に広がっていた田んぼを「小川田んぼ」と呼んだ。この辺りの旧家小川家が地名の由来といわれる。また、この坂のある道は、鎌倉へ通じる道として中世の頃開かれた鎌倉道であった。
  平成二十一年三月
  目黒区教育委員会



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呑川、化坂、秋山の森コース 約7.1km

2022-12-10 14:30:14 | 東京都目黒区、世田谷区
都立大学駅をスタート・ゴールにして呑川を歩くコースは古くから設定されているのですが、八雲にある「化坂」、深沢の「秋山邸」をめぐるコースとして新たに設定しました。駒沢公園内の歩き方も普段通らないようなルートに変えています。


八雲氷川神社一の鳥居

二の鳥居と紅葉

拝殿

アカガシ
「めぐろ風景」から引用します。
旧衾村の鎮守様。昔から「癪封じの神様」として知られ、健康を願って、わざわざ遠方から参詣に来る人のための宿泊所まで設けられていた。御神木である境内のアカガシをけずりとり、煎じてのむと咳や腹痛がなおると信じられていたそうで、そのご利益にあやかろうと木の皮をはぐ人が絶えなかったという。
昔のご神木はすでに枯れてしまったが、樹齢数百年にもなるアカガシの根株が今も神殿の裏手に残っている。また神社には八岐の大蛇退治にちなんだ「剣の舞」が伝わり、祭礼の折には二百年あまりの歴史を持つ古式豊かな舞いが奉納される。



氷川神社の紅葉

皇太子殿下御降誕記念
現在の上皇さまでしょうか?


金蔵院

古いガラス


氷川神社に隣接するお寺で江戸時代は神社の別当寺でした。


八雲茶寮

化坂

ユズ

エチオピア連邦民主共和国大使公邸
金蔵院の北を東西に通る道が化坂です。呑川が削った崖から水がしみだしていた「ハケ」が名前の由来との一説があります。元来の化坂は耕地整理でなくなってしまっているので正確には化坂跡でしょうか。
アベベのイメージしかないのですがエチオピアは連邦共和国なのですね。世界最古の独立国の一つだそうです。


竹林

橙?

姫りんご

ハゼノキかな
公邸の角を北へ、その先の十字路に竹林がある広い敷地の家で西へ行くと駒八通りに当たり、呑川本流緑道へ戻ります。駒八通りの「八」は何?と調べてみると、環八説が有力なようです。斬新だなぁ!


深沢神社

秋山邸のご当主?

だまし絵
三島公園でトイレ休憩を取り皆さん深沢神社を訪れるかと思いきや、それほどの人気はありませんでした。神社はかつて三島神社と呼ばれ、三島公園の名前の由来となっています。寄贈主の秋山さんはこれから行く秋山邸のご当主と思われます。


カフェテナンゴで柿無料配布


醫王寺


秋山邸

秋山の森
「せたがや地域風景資産 秋山の森と旧秋山邸」となっていますが公開はされておらず、ときどき中に入ることが出来るイベントが開催されるようです。


駒沢大学
この場所に三越エレガンスがあったのはもうずいぶん前のことになるでしょうか。


うま公園

サンタラン

紅白のサザンカ

リス公園
駒沢公園内のぶた公園は時々トイレ休憩をするのですが、うま公園、リス公園はあまりなじみがありません。サンタランには初めて遭遇しましたが、医療系の大学が中心となって難病の子供たちのために行われるイベントのようです。


衾町公園児童交通施設の信号

東京都立桜修館中等教育学校の紅葉

目黒区民キャンパスの万葉歌碑
八雲十中通りを南下してやくも文化通りへ。区民キャンパスではだしおかっぱ少女の応援を背に、ストレッチをして解散となりました。


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