生麦のキリンビール工場を訪れるコースです。2016年まで妙蓮寺駅から生麦を目指すコースを設定していたのですが、このコースは横浜特有のアップダウンがあり、会員の高齢化に伴いだんだんと「きつい」という声が多くなってきました。そこで尻手駅から生麦を目指す平坦なコースを作ったのですが、昨年は雨で中止となり今回初のお目見えです。
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尻手駅前の秋田料理屋
中目黒→東横線→武蔵小杉→南武線→尻手と乗り換えてきました。二年前の下見の時に「こんなところに秋田料理?」と思って写真を撮ったお店ですが健在です。
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国道一号線尻手駅前
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公園のヒガンバナ
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遊具の年齢制限
国道一号線(東海道)を渡り、南武線の高架下を通りその先にある小さな公園をお借りしてストレッチをしました。この秋初めてヒガンバナを見ました。白い種類は赤よりも少し早く咲くようです。私が子供の頃は遊具の年齢制限なんか明示されていなかったのですが、今はこんなシールが貼ってあります。
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市場小学校の通学路
西には国道一号線、東には旧東海道が走る間にあるまっすぐな道です。心情的には歴史ある旧東海道を歩きたいのですが、見通しが悪い割に車の通行が多いのでこちらを歩いています。市場小学校の名前は「鶴見市場」に由来するものと思われますが、京急鶴見市場駅からは微妙に遠い。鶴見市場をWikipediaで調べても駅の項目しかないので他のページを見てみると、市場という施設があったわけではなく戦国時代に市が立つ場所があったそうです。この周辺では「市場」がつく町名も多く、地域では市場の記憶がずっと引き継がれてきたのでしょう。
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鶴見川のレガッタ
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森永製菓鶴見工場
このあたりは横浜市営鶴見漕艇場の最下流部になるようです。
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クレーンで吊り上げられるレガッタ
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貨物線の電気機関車
レガッタを吊り上げるためにクレーン車をレンタルするのならば高くつくだろうと思っていましたが、漕艇場ということでクレーン車は常設なのかもしれません。構造物としてクレーンを設置するより、クレーン車を使うことにメリットがあるのかな?大水の時には避難できそうだし。
電気機関車は1000形だか2000形だかわかりませんが、EF65です。Eは電気機関車であることを表し、Fは車軸が6本あることを表しています。D51形蒸気機関車は4軸、C62は3軸です。時々見かける桃太郎は6軸ですが、金太郎は8軸だそう。金太郎とD51形を比べると車軸が倍で、出力は4倍以上。
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豊岡商店街
鶴見駅前から続く商店街です。商店街のページから一部引用します。
商店街近くにある曹洞宗大本山「総持寺」つながりで、2013年2月に輪島市と鶴見区が友好交流協定を結び、豊岡商店街と能登 輪島市門前の総持寺祖院に連なる商店街「総持寺通り商店街」や地元の鶴見大学との連携など、活動の幅が広がっています。
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門前の石屋さん
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総持寺
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参道
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三松関(さんしょうかん)
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三門(さんもん)
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百間廊下(ひゃっけんろうか)
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大祖堂(だいそどう)
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仏殿(ぶつでん)
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放光堂(ほうこうどう)
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回廊下の通路
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雲水像
広大なお寺で初めて訪れた時はびっくりしました。能登の総持寺との関連をお寺のページから引用します。
鶴見ヶ丘への御移転
瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能登に於いて570余年の歩みを進めてまいりました。
しかし、明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。
明治38年5月、本山貫首となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、明治44年(1911)に寺基を現在の地に移されたのであります。
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ヤマボウシのようだが
実の形が違うので、ヤマボウシの種類なのか、違うものなのかわかりません。
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ヒガンバナ
奇麗だけど何かもの悲しさもあり、花期が短く彼岸の頃なのでとても印象に残る花ですね。
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駐車場わきの公衆電話
レトロな外観で目を引くので中を見てみると使用できないようです。以前は古い電話機の下に普通の公衆電話が設置されていたものと想像できます。
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石碑の集積所
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椎木?
東福寺(総持寺の塔頭だと思ったら真言宗のお寺でした)の山門近くにあった石碑の集積地。東海道に近いのでこのようなものがあちらこちらにあったのかもしれません。
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花月園跡
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花月園駅前ペデストリアンデッキから新宿湘南ライン
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花月園駅前ペデストリアンデッキから貨物列車
名前は聞いたことがあるけど実態を知らない花月園についてWikipediaから引用します。
歴史
開園
1914年(大正3年)に平岡廣高によって「花月園」の名称で開園された。花月園はフランスのフォンテンブローにあった遊園地をモデルに造成したとされており、当初の敷地は2万5千坪であった。動物園、噴水、花壇、ブランコなどの施設から始まり、「大山すべり」、「豆汽車」などのアトラクションが追加されていった。また近隣を走る京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄本線)に花月園前駅が開設され、来場客のアクセスとした。
当時、園内の売店では花月園名物のまんじゅうが飛ぶように売れた記録が残っている。また場内のダンスホールは谷崎潤一郎の「痴人の愛」の舞台とされている。宝塚遊園地の宝塚歌劇団にならって花月園少女歌劇団を結成し、宝塚との交流も行ったことから『西の宝塚・東の花月園』とまで評されるようになった。
1925年(大正14年)に入場者数はピークを迎え、拡大を続けた敷地は国内有数の規模となる7万坪程度にまでなったが、当時は10万坪と公称していた。
人気の衰えと譲渡
しかし近隣に多摩川園や三笠園が開園してからは人気が衰退し、1933年(昭和8年)には600万円の負債を抱えて経営権が京浜電気鉄道や大日本麦酒などが中心となって設立した株式会社花月園に譲渡された。
以降の花月園遊園地は主に京浜電鉄の集客遊戯施設として存続した。その後、株式会社花月園の経営権は多摩川園を経営する東京急行電鉄、続いて日本鋼管などが設立した京浜工業協会(後の鶴見工業会)に移譲されることになり、各社従業員の慰安施設として使われた。また高台にあったことから高射砲陣地としても活用され、各遊具の部品は工業用品に流用された。
閉園
終戦後は事実上放置状態にありながら運営が続けられていたものの、1946年(昭和21年)11月に閉園となる。その後、跡地に競輪場が設置されることになり、神奈川県に買収される形で1950年(昭和25年)1月に株式会社花月園は解散した。花月園遊園地の跡地は、改めて設立された現在の花月園観光により花月園競輪場となったが、2010年(平成22年)3月をもって開催廃止となった。
のちに女優の五大路子が、自身が座長を務める演劇劇団『横浜夢座』において、花月園全体の歴史を舞台化した『ジャンジャン花月園』を2010年(平成22年)11月に公演している。
デッキから見る線路に踏切があり、いかにも開かずの踏切です。JR東日本の線路は左から横須賀線、東海道線、京浜東北線。JR貨物の線路があり、別の踏切になりますが、京浜急行の線路が見えます。
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第一京浜の生麦交番
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生麦魚河岸通り
第一京浜を横断すると漁師街の雰囲気が漂ってきます。日テレのページから引用します。
生麦魚河岸通り
お寿司屋さんが買いに来る魚河岸
江戸時代から続くと言われる魚河岸通りは旧東海道に沿って200メートル程の長さ。魚河岸と言っても一般客にも小売りをしてくれるので便利朝7時半から9時位がピークで、その時間を過ぎると次々にお店が閉まってしまうので要注意。東京中のお寿司屋さんが仕入れに来る程、ネタは新鮮
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鶴見川下流域
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ハナミズキ
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水神宮
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稲荷神社
水神宮の社務所で酒盛りをしていた地元の人が出てきて、「なまむぎ今は昔 1984.9.1 No.9 水神宮」というコピーをいただきました。テキストでネットに上がっていれば引用したいところですが、紙の資料は何とも融通が効きません。要約すると水神宮は地元漁師の信仰を厚く集めていたということです。漁師さんたちの職場は命懸けだし、漁も運を天に任せるところがあり、神頼みは大事だったことが想像できます。「なまむぎ今は昔」本となり出版されましたが、現在は絶版になっています。地元の図書館で読むことができるでしょう。
稲荷神社は奥まったところにありますが、参道は旧東海道に面しています。
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生麦事件発生現場
歴史にタラレバはないと言われますが、この事件がなければ明治維新の形が大きく変わっていたかもしれません。そういった意味では坂本龍馬の死と並ぶくらい、歴史的な大きな転換点だったと思っています。他国の文化を理解しない一人の商人の死に対し、日本政府(徳川幕府ですが)は現在の価値で百億円の賠償を払ったうえ、さらなる賠償金の上積みをもくろんだイギリスと薩英戦争になり、鹿児島の街が焼かれました。薩英戦争についてWikipediaから引用します。
薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年旧暦7月2日-4日(1863年8月15日-17日))は、イギリスと薩摩藩の間で戦われた戦闘。文久2年旧暦8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、攘夷実行の名目のもとに兵制の近代化で培った実力でこれを阻止しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。
薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死や戦艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて英国と薩摩国の双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。
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神明社の石仏
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蛇も蚊も
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生麦神明公園の大蛇
横浜市指定無形民俗文化財 蛇も蚊も
平成四年十一月一日 指定
行事の日 六月第一日曜日
保存団体 本宮蛇も蚊も保存会
蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、旧暦の端午の節句の行事とされていましたが、明治の半ば頃から太陽暦の六月六日になり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
萱で作った長大な蛇体を若者・子どもがかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町中をかついで回ります。ものは、原地区(神明社)が雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。
平成二十四年二月
横浜市教育委員会
神明社の石仏は下に三猿がいて珍しいタイプだと思います。蛇も蚊も祭り珍しいですね。この説明には「蚊」についての言及がありませんが、昔から蚊が媒介する病気が最も怖いことがわかっていたのでしょうね。
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生麦事件碑
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キリン生麦工場
首都高速神奈川7号横浜北線の工事により場所が移されていましたが、キリン横浜工場構内に落ち着いたようです。雨除けになるかもしれませんが、高速道路の下で少し気の毒です。生麦事件の碑は歴史の大きな転換点の割には、こじんまりした碑があるだけです。
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キリン生麦工場見学
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スプリング・バレー・ブリューワリー
近くの空き地でストレッチをして解散です。この日は工場見学の予約をしてあったので、みんなで工場見学をして、十数名はSVBで食事をしました。クラフトビール飲み放題で、料理もおいしかったので、これけっこういいかもしれません。
ほろ酔い気分で生麦駅まで歩き、横浜駅についたら東横線が運転見合わせ。大井町、自由が丘経由で帰ったけど、冷静に考えると湘南新宿ラインだったかな?ちょっと酔いがさめ、ONCEで二次会のおまけ付きでした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/22/1bfc0db3a504d13fcc93e0c293377c7a.jpg)
尻手駅前の秋田料理屋
中目黒→東横線→武蔵小杉→南武線→尻手と乗り換えてきました。二年前の下見の時に「こんなところに秋田料理?」と思って写真を撮ったお店ですが健在です。
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国道一号線尻手駅前
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公園のヒガンバナ
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遊具の年齢制限
国道一号線(東海道)を渡り、南武線の高架下を通りその先にある小さな公園をお借りしてストレッチをしました。この秋初めてヒガンバナを見ました。白い種類は赤よりも少し早く咲くようです。私が子供の頃は遊具の年齢制限なんか明示されていなかったのですが、今はこんなシールが貼ってあります。
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市場小学校の通学路
西には国道一号線、東には旧東海道が走る間にあるまっすぐな道です。心情的には歴史ある旧東海道を歩きたいのですが、見通しが悪い割に車の通行が多いのでこちらを歩いています。市場小学校の名前は「鶴見市場」に由来するものと思われますが、京急鶴見市場駅からは微妙に遠い。鶴見市場をWikipediaで調べても駅の項目しかないので他のページを見てみると、市場という施設があったわけではなく戦国時代に市が立つ場所があったそうです。この周辺では「市場」がつく町名も多く、地域では市場の記憶がずっと引き継がれてきたのでしょう。
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鶴見川のレガッタ
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森永製菓鶴見工場
このあたりは横浜市営鶴見漕艇場の最下流部になるようです。
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クレーンで吊り上げられるレガッタ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/39/5f8db2d208c11d37ff6801e99afbccbd.jpg)
貨物線の電気機関車
レガッタを吊り上げるためにクレーン車をレンタルするのならば高くつくだろうと思っていましたが、漕艇場ということでクレーン車は常設なのかもしれません。構造物としてクレーンを設置するより、クレーン車を使うことにメリットがあるのかな?大水の時には避難できそうだし。
電気機関車は1000形だか2000形だかわかりませんが、EF65です。Eは電気機関車であることを表し、Fは車軸が6本あることを表しています。D51形蒸気機関車は4軸、C62は3軸です。時々見かける桃太郎は6軸ですが、金太郎は8軸だそう。金太郎とD51形を比べると車軸が倍で、出力は4倍以上。
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豊岡商店街
鶴見駅前から続く商店街です。商店街のページから一部引用します。
商店街近くにある曹洞宗大本山「総持寺」つながりで、2013年2月に輪島市と鶴見区が友好交流協定を結び、豊岡商店街と能登 輪島市門前の総持寺祖院に連なる商店街「総持寺通り商店街」や地元の鶴見大学との連携など、活動の幅が広がっています。
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門前の石屋さん
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総持寺
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参道
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三松関(さんしょうかん)
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三門(さんもん)
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百間廊下(ひゃっけんろうか)
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大祖堂(だいそどう)
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仏殿(ぶつでん)
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放光堂(ほうこうどう)
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回廊下の通路
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雲水像
広大なお寺で初めて訪れた時はびっくりしました。能登の総持寺との関連をお寺のページから引用します。
鶴見ヶ丘への御移転
瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能登に於いて570余年の歩みを進めてまいりました。
しかし、明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。
明治38年5月、本山貫首となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、明治44年(1911)に寺基を現在の地に移されたのであります。
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ヤマボウシのようだが
実の形が違うので、ヤマボウシの種類なのか、違うものなのかわかりません。
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ヒガンバナ
奇麗だけど何かもの悲しさもあり、花期が短く彼岸の頃なのでとても印象に残る花ですね。
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駐車場わきの公衆電話
レトロな外観で目を引くので中を見てみると使用できないようです。以前は古い電話機の下に普通の公衆電話が設置されていたものと想像できます。
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石碑の集積所
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椎木?
東福寺(総持寺の塔頭だと思ったら真言宗のお寺でした)の山門近くにあった石碑の集積地。東海道に近いのでこのようなものがあちらこちらにあったのかもしれません。
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花月園跡
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花月園駅前ペデストリアンデッキから新宿湘南ライン
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花月園駅前ペデストリアンデッキから貨物列車
名前は聞いたことがあるけど実態を知らない花月園についてWikipediaから引用します。
歴史
開園
1914年(大正3年)に平岡廣高によって「花月園」の名称で開園された。花月園はフランスのフォンテンブローにあった遊園地をモデルに造成したとされており、当初の敷地は2万5千坪であった。動物園、噴水、花壇、ブランコなどの施設から始まり、「大山すべり」、「豆汽車」などのアトラクションが追加されていった。また近隣を走る京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄本線)に花月園前駅が開設され、来場客のアクセスとした。
当時、園内の売店では花月園名物のまんじゅうが飛ぶように売れた記録が残っている。また場内のダンスホールは谷崎潤一郎の「痴人の愛」の舞台とされている。宝塚遊園地の宝塚歌劇団にならって花月園少女歌劇団を結成し、宝塚との交流も行ったことから『西の宝塚・東の花月園』とまで評されるようになった。
1925年(大正14年)に入場者数はピークを迎え、拡大を続けた敷地は国内有数の規模となる7万坪程度にまでなったが、当時は10万坪と公称していた。
人気の衰えと譲渡
しかし近隣に多摩川園や三笠園が開園してからは人気が衰退し、1933年(昭和8年)には600万円の負債を抱えて経営権が京浜電気鉄道や大日本麦酒などが中心となって設立した株式会社花月園に譲渡された。
以降の花月園遊園地は主に京浜電鉄の集客遊戯施設として存続した。その後、株式会社花月園の経営権は多摩川園を経営する東京急行電鉄、続いて日本鋼管などが設立した京浜工業協会(後の鶴見工業会)に移譲されることになり、各社従業員の慰安施設として使われた。また高台にあったことから高射砲陣地としても活用され、各遊具の部品は工業用品に流用された。
閉園
終戦後は事実上放置状態にありながら運営が続けられていたものの、1946年(昭和21年)11月に閉園となる。その後、跡地に競輪場が設置されることになり、神奈川県に買収される形で1950年(昭和25年)1月に株式会社花月園は解散した。花月園遊園地の跡地は、改めて設立された現在の花月園観光により花月園競輪場となったが、2010年(平成22年)3月をもって開催廃止となった。
のちに女優の五大路子が、自身が座長を務める演劇劇団『横浜夢座』において、花月園全体の歴史を舞台化した『ジャンジャン花月園』を2010年(平成22年)11月に公演している。
デッキから見る線路に踏切があり、いかにも開かずの踏切です。JR東日本の線路は左から横須賀線、東海道線、京浜東北線。JR貨物の線路があり、別の踏切になりますが、京浜急行の線路が見えます。
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第一京浜の生麦交番
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生麦魚河岸通り
第一京浜を横断すると漁師街の雰囲気が漂ってきます。日テレのページから引用します。
生麦魚河岸通り
お寿司屋さんが買いに来る魚河岸
江戸時代から続くと言われる魚河岸通りは旧東海道に沿って200メートル程の長さ。魚河岸と言っても一般客にも小売りをしてくれるので便利朝7時半から9時位がピークで、その時間を過ぎると次々にお店が閉まってしまうので要注意。東京中のお寿司屋さんが仕入れに来る程、ネタは新鮮
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鶴見川下流域
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ハナミズキ
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水神宮
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稲荷神社
水神宮の社務所で酒盛りをしていた地元の人が出てきて、「なまむぎ今は昔 1984.9.1 No.9 水神宮」というコピーをいただきました。テキストでネットに上がっていれば引用したいところですが、紙の資料は何とも融通が効きません。要約すると水神宮は地元漁師の信仰を厚く集めていたということです。漁師さんたちの職場は命懸けだし、漁も運を天に任せるところがあり、神頼みは大事だったことが想像できます。「なまむぎ今は昔」本となり出版されましたが、現在は絶版になっています。地元の図書館で読むことができるでしょう。
稲荷神社は奥まったところにありますが、参道は旧東海道に面しています。
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生麦事件発生現場
歴史にタラレバはないと言われますが、この事件がなければ明治維新の形が大きく変わっていたかもしれません。そういった意味では坂本龍馬の死と並ぶくらい、歴史的な大きな転換点だったと思っています。他国の文化を理解しない一人の商人の死に対し、日本政府(徳川幕府ですが)は現在の価値で百億円の賠償を払ったうえ、さらなる賠償金の上積みをもくろんだイギリスと薩英戦争になり、鹿児島の街が焼かれました。薩英戦争についてWikipediaから引用します。
薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年旧暦7月2日-4日(1863年8月15日-17日))は、イギリスと薩摩藩の間で戦われた戦闘。文久2年旧暦8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、攘夷実行の名目のもとに兵制の近代化で培った実力でこれを阻止しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。
薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死や戦艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて英国と薩摩国の双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。
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神明社の石仏
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蛇も蚊も
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生麦神明公園の大蛇
横浜市指定無形民俗文化財 蛇も蚊も
平成四年十一月一日 指定
行事の日 六月第一日曜日
保存団体 本宮蛇も蚊も保存会
蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、旧暦の端午の節句の行事とされていましたが、明治の半ば頃から太陽暦の六月六日になり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
萱で作った長大な蛇体を若者・子どもがかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町中をかついで回ります。ものは、原地区(神明社)が雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。
平成二十四年二月
横浜市教育委員会
神明社の石仏は下に三猿がいて珍しいタイプだと思います。蛇も蚊も祭り珍しいですね。この説明には「蚊」についての言及がありませんが、昔から蚊が媒介する病気が最も怖いことがわかっていたのでしょうね。
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生麦事件碑
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キリン生麦工場
首都高速神奈川7号横浜北線の工事により場所が移されていましたが、キリン横浜工場構内に落ち着いたようです。雨除けになるかもしれませんが、高速道路の下で少し気の毒です。生麦事件の碑は歴史の大きな転換点の割には、こじんまりした碑があるだけです。
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キリン生麦工場見学
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スプリング・バレー・ブリューワリー
近くの空き地でストレッチをして解散です。この日は工場見学の予約をしてあったので、みんなで工場見学をして、十数名はSVBで食事をしました。クラフトビール飲み放題で、料理もおいしかったので、これけっこういいかもしれません。
ほろ酔い気分で生麦駅まで歩き、横浜駅についたら東横線が運転見合わせ。大井町、自由が丘経由で帰ったけど、冷静に考えると湘南新宿ラインだったかな?ちょっと酔いがさめ、ONCEで二次会のおまけ付きでした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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