目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 南東部公園コース 約7.0km

2019-06-10 11:15:10 | ウォーキング
雨が予想されていたので気をもんでいましたが、やませの影響で湿度は高いものの涼しく、雨にも降られず快適なウォーキングとなりました。


近所のブドウ
つい先日小さな実をつけていたと思ったらすくすく育って葡萄らしくなってきました。いつものように中目黒GTに集合し、時間になると中目黒舟入場へ移動してストレッチを行います。



アメリカデイゴ
先週はまだ蕾だったアメリカデイゴが一週間たって奇麗に咲いています。デイゴを見るとやっぱり島唄を口ずさみたくなります。島唄に歌われているデイゴは沖縄県の県花でこれとは種類が異なるようです。デイゴについてWikipediaから引用します。
県花
沖縄県の県花でもあり、1967年(昭和42年)に県民の投票によって「沖縄県の花」として選定された。デイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年で、天災(干ばつ)に見舞われるという言い伝えがある(THE BOOMの楽曲「島唄」の歌詞にも書かれている)。また、県内では「やしきこーさー(屋敷壊さー)」とも呼ばれることもあるが、これは根の力が強く、家の近くに植えると根が伸びて家を傾かせてしまうからであるという。
琉球大学で学生が配る合格電報の文面は、「デイゴ咲く」となっている。


アメリカデイゴは鹿児島県の県花です。こちらもWikipediaから引用します。
特徴
南アメリカ原産の落葉低木。日本では庭木として使われる。寒さに弱いため関東以南で栽培可能。花期は6~9月頃で赤い花を咲かせる。また、鹿児島県の県木であり、アルゼンチン、ウルグアイの国花である。


北部すこやか歩こう会の地区活動、一回目二回目は北部地区(菅刈住区、駒場住区、東山住区、烏森住区)を歩きました。三回目となる今回は東部地区、南部地区、中央地区を歩きます。この住区というのは小学校の区割りに準拠しているように思います。集合場所は中目黒GTで上目黒二丁目1番地から4番地にあたり中目黒住区で東部地区となります。中目黒駅は上目黒三丁目4番地にありこちらも中目黒住区です。上目黒三丁目は4番地と5番地のみ中目黒住区で、それ以外の番地は烏森住区となります。
中目黒舟入場(中目黒住区)でストレッチをして目黒川右岸を歩き、解体工事中の清掃工場(田道住区)を通り、区民センター(下目黒住区)でトイレ休憩をとります。下目黒小学校が下目黒村に初めにできた小学校であることを説明し、大鳥神社(下目黒住区)は立ち止まれなかったので目黒区で一番古い神社であることは説明できませんでした。目黒区立大鳥中学校の前で、中学校の変遷を説明します。戦後のシステムである中等学校ですが、目黒区では昭和22年5月3日に目黒一中から目黒十一中までが一斉に開校します。昭和31年に一中の分校が開校し33年に東山中学となりました。平成18年に二中、五中、六中が統合した目黒区立目黒中央中学校が開校。平成27年に三中と四中が統合して大鳥中学が開校しました。この際目黒区東端の三田一丁目から遠くなりすぎないよう、三中校舎が大鳥中学になったとのこと。
目黒不動尊(下目黒住区)にお参りし、都立林試の森公園(不動住区)を気持ちよく散策しました。林試の森公園についてWikipediaから引用します。
概要
西ヶ原(現・東京都北区)にあった農商務省林野整理局樹木試験所(1878年(明治11年)設立)から、目黒川支流の羅漢寺川谷戸南側の北斜面の現在の地に植樹を移し、1900年(明治33年)6月に「目黒試験苗圃」を設置した。当時の広さは約45,000坪であった。
1905年(明治38年)に林野庁「林業試験所」、1910年(明治43年)に「林業試験場」と名称を変えた。また、この試験場の周辺に明治から大正にかけて多くの研究所が置かれた。戦後にかけても、北里研究所目黒支所、津村研究所、石炭綜合研究所、国立予防衛生研究所など、18の研究所が置かれていたことが見える。
試験場は1978年(昭和53年)につくば市に移転(現・独立行政法人森林総合研究所)し、跡地は東京都に払い下げられて公園として整備、1989年(平成元年)6月1日に「都立林試の森公園」として開園した。開園面積は120,762平米(約36,000坪)である。

園内
林業試験場当時の樹木がそのまま残されており、都内でも屈指のケヤキ、クスノキ、プラタナス、ポプラ、スズカケノキなどの巨木がある。その他、カイノキ、トチュウ、シナユリノキ、チンタオトゲナシニセアカシア、ベニカエデ、ヒマラヤゴヨウ、レバノンスギ等の外国産樹木やアベマキ、ハナガガシ、ニオイドロ、シマサルスベリ、ヨコグラノキ、ナナミノキ等の珍しい木などもあり解説のプレートもつけられている。
園内で最も太い木は幹周が3.82mのケヤキ。最も高い木は高さ35.5mのポプラ。
園内のアベマキの古木にはミズイロオナガシジミが発生する。都区内での自生は珍しい。
園内中央を南北に小さい谷地形が走る。これは、かつて小山台を流れていた品川用水(玉川上水の分水)を羅漢寺川に通水していた名残であり、当時を偲ばせる水車が復元されている。
大木の揃った森の他、芝生広場、デイキャンプ施設、夏期に子供が入れるじゃぶじゃぶ池、西側には野球やサッカーの練習(要申込で試合は不可)にも使用できるグラウンドも整備されている。
毎朝、朝早くからジョギング、ウォーキング、ラジオ体操など運動をする人が多い。



円融寺釈迦堂
林試の森公園を出て羅漢寺川緑道を歩き、補助26号線を渡り碑さくら通り。清水池公園(月光原住区、南部地区)を横目に見て、碑小学校(碑住区)で小学校の説明をします。明治7年衾村に八雲小学校が開校、明治8年上目黒村に菅刈小学校が開校、明治11年下目黒村に下目黒小学校が開校、明治12年碑文谷村に碑小学校が開校します。明治初期五年間でめぐろ六ヵ村(上目黒村、中目黒村、下目黒村、三田村、碑文谷村、衾村)の四ヵ村に一校ずつ小学校が開校しました。五番目は中目黒小学校が明治34年に高等小学校として開校しますが、明治22年上目黒村、中目黒村、下目黒村、三田村が合併し目黒村となっているので、中目黒村、三田村には小学校は開校しなかったことになります。三田村地域には現在に至るまで公立小学校はありません。
円融寺(碑住区)釈迦堂がかつて区内唯一の国指定重要文化財だったことを説明します。円融寺についてWikipediaから引用します。
歴史
かつては、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。寺伝では853年(仁寿3年)円仁(慈覚大師)が法服寺を建立したという。1283年(弘安6年)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。1630年(寛永7年)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、1698年(元禄11年)再び天台宗の寺院となった。1834年(天保5年)経王山円融寺と改称する。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の久遠寺と対立し、江戸幕府からも弾圧された。日源の法脈は、当寺の改宗をもって完全に途絶えていった。当寺の尊像など、祖師像は妙法寺、三宝尊像は立源寺、釈迦如来涅槃之図は常円寺、法華門は妙法寺、摩耶夫人像は摩耶寺など、所縁寺院に引取られていった。

文化財
重要文化財(国指定)
釈迦堂 - 室町時代の建立。入母屋造、銅板葺き。
東京都指定有形文化財
木造金剛力士(仁王)像 - 永禄2年(1559年)の作
目黒区指定文化財
仁王門
日源上人五重石塔
その他
梵鐘 - 寛永20年(1643年)鋳造(重要美術品)



碑文谷八幡宮
立会川緑道を通り、碑文谷八幡宮(大岡山東住区)にお参りします。神社についてWikipediaから引用します。
碑文谷八幡宮
碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんぐう)は、東京都目黒区碑文谷三丁目にある神社(八幡宮)。かつての碑文谷村の鎮守として知られる。

由緒
創建年代は不詳であるが、鎌倉時代に源頼朝の家臣、畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われている。現在の社殿は延宝2年(1674年)に造替したものを明治5年(1872年)に再建し、同20年(1887年)に改築したもの。神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。 また神社には畠山重忠の家臣榛沢六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている。そのほかにも勝海舟直筆の「八幡大神」の額なども保存されている。また、桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。

境内社
稲荷社

碑文石
この碑文石は高さは約75cm、横は最大で約45cm、厚さは約10cmで現在は暗渠化されているが付近を流れていた呑川の川床の石を材料にしている。石には中央に大日如来を示す梵字が、左には勢至菩薩を示す梵字が、右には観音菩薩を示す梵字がそれぞれ刻まれている。室町時代の頃の作と言われているが、その趣旨等は伝わっていない。一説にはこの碑文を彫った石がある里(谷)ということから、当地の地名「碑文谷」が生まれたとも言われている。この碑文石は当時の人々の信仰を知る上での貴重な資料として現在でも境内に祀られている。



すずめのお宿公園の竹林



若竹


アジサイ

モミジの翼果

旧栗山家住宅
すずめのお宿公園(大岡山東住区)でトイレ休憩をして、旧栗山家住宅の縁側に座りました。
サレジオ教会(碑住区)を見て、目黒通りを渡り碑文谷公園(鷹番住区、中央地区)を抜けて、碑文谷体育館前でストレッチをして解散としました。


ユリ
帰り道に見事なユリがあったので写真に撮りました。ユリの季節となりましたねぇ!


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
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