検索エンジンからこちらへ飛んできた方向けにタイトルの説明から始めます。「第十八回お鷹狩り」は2021年11月3日(水・祝)に目黒区の主催で行われる「第十八回めぐろウォーキングマーチ将軍お鷹狩りウォーク」を短くしたものです。目黒区では2000年に「目黒健康都市宣言」を行いました。区のサイトから引用します。
目黒区健康都市宣言
更新日:2008年2月16日
(平成12年10月20日、目黒区告示第349号)
健康
それは いきいきと生きるための いしずえ
健康
それは 日々のくらし方から 生まれるもの
健やかに生きていくまちは わたくしたちの願い
ともに手をたずさえ つくっていこう
わたくしたちは、すべての区民がそれぞれに健康で生きがいのある生活をおくることができる、健康なまちめぐろの実現を目指すことを宣言します。
スポーツ振興課の担当者はこの宣言を受け目黒体育協会に働きかけ、「目黒健康ウォーク」を実施し、その後区内五ヶ所(北部、東部、中央、南部、西部)にウォーキングクラブが発足しました。五つのウォーキングクラブは2001年に目黒ウォーキング協会を結成し各地区で週一度のウォーキングをはじめました。2004年、江戸開府400年のイベントが都内各地で行われる中、目黒ウォーキング協会は目黒区に働きかけ江戸城桜田門から、お鷹場があった目黒区まで歩く「将軍お鷹狩りウォーク」を実施します。第一回は参加者が地図を見て歩くフリーウォークでしたが、「協会員も一緒に歩いて歩く楽しみを共有したい」と第二回以降は協会員が参加者を誘導するマーチ形式で行われています。11月3日は晴の特異日ということで2019年の第17回まで連続して行われましたが、100年に一度の感染症には打ち勝つことが出来ず、2020年の大会は中止となりました。
感染症対策は感染しないことが一番であることは間違いありませんが、家に引きこもり心身の健康を失ってしまっては元も子もありません。我々は感染対策を行いながらもウォーキングで心身の健康を保つことが必要と考え、コロナ禍でも活動を行ってきました。今年のお鷹狩りは感染症対策のため規模を大幅に縮小することで何とか実現できることになりましたが、募集定員を上回るご応募をいただき残念ながら落選された応募者もいらっしゃるようです。来年以降徐々に規模拡大を図り、皆さんに楽しんでいただけるイベントにしてゆきます。
目黒健康ウォークは「めぐろウォーキング塾」とスタイルを改め2019年まで実施してきましたが、2020年は中止、2021年の実施は未定となっていますが、2022年5月には実施できるよう準備を進めております。
すこやか歩こう会は目黒区北部地区を拠点とする我々のウォーキングクラブの名称で、地区内の住区、菅刈の「す」駒場の「こ」東山の「や」烏森の「か」から命名しました。今年のお鷹狩りでは日比谷出発のロングコースでは赤と水色、神宮外苑絵画館前出発のショートコースでは赤班を誘導します。班分けは先着順で参加者が自由に選ぶことが出来ますので、よろしければすこやか歩こう会が担当する班へご参加ください。なおお鷹狩りではすべての班がゆっくり都内の景色を楽しみながら歩きますが、ロングコース赤班は特にゆっくり歩く班となります。
長くなりましたが、この日の活動はお鷹狩りのための研修という位置付けて実施。晴天で穏やかな天候の下ウォーキングを楽しみました。
日比谷交差点から皇居
伊達政宗終焉の地
私はロングコースの担当なので、集合場所の日比谷公園健康広場へ向かいます。日比谷公園には仙台伊達家の上屋敷がありました。現在では一等地と考えられますが、江戸初期の日比谷は一等地ではなかったようです。
リバティベル
健康広場の隣三笠山にアメリカから贈られた自由の鐘があります。日本各地で見られる平和の鐘とこの自由の鐘、日米の文化の違いを象徴しているようです。
お堀のヤナギ
ヤナギの木は川原などでよく見かけるように水はけが悪く他の木が進出してこない場所に生えています。銀座のヤナギが有名ですが、もともと入江だったこのあたりでは松も桜も枯れてしまいヤナギの並木となりました。江戸城は傾斜地を利用して建てられており、日比谷から半蔵門へ向かってゆくと徐々にヤナギの植木が少なくなります。
国会議事堂
外務省上のイチョウ並木
国会前庭のハナミズキ
昭和11年竣工の国会議事堂は日本中の石材を取り寄せて作られ、令和のオリンピックスタジアムは日本中の木材を使って飾られている。この話題は本番でも使いたい。イチョウ並木もわずかながら色づいています。
国会前庭洋風庭園
憲政記念館時計塔
丸の内方面
高台にある国会前庭が永田町一丁目一番地です。井伊掃部頭の屋敷はこちらにありこのあたりに柳の木は見当たりません。つまり外様の伊達は屋敷を建てることもままならない湿地を与えられ、重臣井伊家はよい場所を与えられているということです。国会前庭には標高の基準となる日本水準点があり、その隣に電子基準点が設けられ衛星システムみちびきにより変動がモニタされています。時計塔は三面の時計が設置され日本の三権分立を象徴しています。
国立国会図書館交差点
永田町駅の出口がある交差点で「永田町」だと思っていました。古い地図を見ると、「参議院通用門前」でいつから今の表示変わったのやら。
砂防会館
赤坂プリンスホテル旧館
大久保公哀悼碑
自民党本部前を通過し平河町で青山通りを横断。砂防会館はロッキード事件の頃の建物ではありません。赤プリをぐるっと回って清水谷公園へ。大河ドラマ青天を衝けと西郷どんの大久保利通の描き方の違いが面白い。大河ドラマ徳川慶喜ではどのように描かれていたのか記憶にありません。
ホテルニューオータニ
1964年東京オリンピック開催時は東京で(たぶん日本でも)最多の客室数を誇りました。現在は1,479室で都内三位、日本では五位です。開業にあたっては工期短縮のため日本で初めてユニットバスを採用し、すべてにお客さんが富士山を見られるようにと作られた最上階の回転ラウンジには戦艦大和の技術が生かされています。
ガス燈
喰違木戸跡
先週の青天を衝けで岩倉具視が襲撃を受けた喰違の変がちょっとだけ出てきましたが、その現場になります。1874年のことで大久保利通が暗殺されたのはその四年後となります。
クサフジ
迎賓館
この時期にクサフジは珍しいと思って撮りました。図鑑では春の花に分類されています。迎賓館の瓦は皇室の紋章です。
神宮外苑
日本最古のアスファルト舗装
明治神宮外苑打撃練習場
警察の起動隊など別動隊の隊員がたくさんいました。行進の訓練をしているようです。日本最古のアスファルト舗装はオリンピックのためほとんどタイルで覆われてしまい、ごく一部を残すだけになりました。野球好きだった高校生の時だったらこのバッティングセンターに通っていたかな。
絵画館
オリンピックスタジアムサブフィールド跡
日の丸ポール
草野球場に設置されたサブフィールドが元に戻され、新国立競技場は陸上の大会を行える基準から外れました。これからも国際大会は長居で行われるのかな。日の丸ポールは格納式で夜間や雨天の時は下の箱に格納されています。今回のコースを歩く三回目にして、日の丸が掲げられているのを見ました。
勢揃坂
北青山三丁目児童遊園
青山師範学校の跡
和風同調
オリンピックミュージアムを過ぎると時代は千年さかのぼり後三年の役の勢揃坂。この道は鎌倉街道で南へ下ってゆくと目黒区立烏森小学校の正門前を通ります。青山師範学校は青山北町アパートになったのですね。小学校の担任の先生は青山師範出だったかな。怖かった印象が強い。現在の学芸大学駅は開業当時碑文谷駅。青山師範駅→第一師範駅と変遷し1952年に学芸大学駅へ。世田谷校地の学芸大学は1964年に廃止されたとのことですが、駅名はそのまま残っています。付属高校があるし、今更「碑文谷」や「鷹番」にしたいと思わないのでしょう。和風同調の碑は青山北町アパート建設時に設置されたようですが、詳しい経緯や意味などを見つけることが出来ません。ここにアパートが建設されることになったのは山の手空襲で学校の建物がすべて焼失してしまったことに起因するようです。
表参道山陽堂
この絵を見ると「週刊新潮は明日発売されます」のコマーシャルが頭に浮かびます。絵の作者である谷内六郎さんは週刊新潮創刊時から表紙絵を担当していたけど、1981年に急逝されたのですね。お鷹狩り本番時にどこまで話をするかだけど、1945年5月の空襲の時にこの建物の地下でどれだけの人が命を救われたのだろう。
クロスタワー(旧東邦生命ビル)
尾崎豊夕日の丘
かつて渋谷で一番高いビルでしたが、他に高いビルがたくさんできちゃいましたね。
リバーストリート
かつての東横線高架の跡地です。数字は高架を支える柱があった場所。
並木橋
鎌倉街道
並木橋は渋谷寄りの小さな橋で、八幡通りは新並木橋となっていました。勢揃坂での鎌倉街道の説明は振りだけにして、こちらの看板前で信号待ちの時に話をした方がいいと思っています。
埼京線を走る相鉄車両
この日は山手線内回り電車を二日間運休にして渋谷駅の改良工事を行っていました。外回りも大幅に少なくなっていて、一編成とすれ違っただけでした。JRで「臨時」のサインを出した埼京線が通ったのですが撮り逃しました。「まぁ、相鉄車両で我慢しておくか」といったところですがよく見ると池袋行き。普段は新宿行きだと思うのですが、渋谷駅工事のため池袋まで伸びているのかもしれません。ただ新宿より北に行く通常運転もあるようで、最遠は川越線川越駅まで。
ハチ公バス
「ハチ公バスだワンワンワン」と渋谷を出発するときに音楽が流れ、路線バスでは珍しい。他のコミュニティバスでも音楽が流れるのでしょうか?
宇宙の構成
レモン
ススキ
恵比寿駅を通過しガーデンプレイスを一周します。このオブジェは宇宙の構成というそうです。逆光のススキがきれいですね。ロングコースは田道住区三田分室でトイレ休憩を取り、茶屋坂を下りゴールの田道広場公園で完歩証と参加賞をお渡しし解散します。
11月3日の本番は天気に恵まれ、楽しく歩けることを願っています。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
目黒区健康都市宣言
更新日:2008年2月16日
(平成12年10月20日、目黒区告示第349号)
健康
それは いきいきと生きるための いしずえ
健康
それは 日々のくらし方から 生まれるもの
健やかに生きていくまちは わたくしたちの願い
ともに手をたずさえ つくっていこう
わたくしたちは、すべての区民がそれぞれに健康で生きがいのある生活をおくることができる、健康なまちめぐろの実現を目指すことを宣言します。
スポーツ振興課の担当者はこの宣言を受け目黒体育協会に働きかけ、「目黒健康ウォーク」を実施し、その後区内五ヶ所(北部、東部、中央、南部、西部)にウォーキングクラブが発足しました。五つのウォーキングクラブは2001年に目黒ウォーキング協会を結成し各地区で週一度のウォーキングをはじめました。2004年、江戸開府400年のイベントが都内各地で行われる中、目黒ウォーキング協会は目黒区に働きかけ江戸城桜田門から、お鷹場があった目黒区まで歩く「将軍お鷹狩りウォーク」を実施します。第一回は参加者が地図を見て歩くフリーウォークでしたが、「協会員も一緒に歩いて歩く楽しみを共有したい」と第二回以降は協会員が参加者を誘導するマーチ形式で行われています。11月3日は晴の特異日ということで2019年の第17回まで連続して行われましたが、100年に一度の感染症には打ち勝つことが出来ず、2020年の大会は中止となりました。
感染症対策は感染しないことが一番であることは間違いありませんが、家に引きこもり心身の健康を失ってしまっては元も子もありません。我々は感染対策を行いながらもウォーキングで心身の健康を保つことが必要と考え、コロナ禍でも活動を行ってきました。今年のお鷹狩りは感染症対策のため規模を大幅に縮小することで何とか実現できることになりましたが、募集定員を上回るご応募をいただき残念ながら落選された応募者もいらっしゃるようです。来年以降徐々に規模拡大を図り、皆さんに楽しんでいただけるイベントにしてゆきます。
目黒健康ウォークは「めぐろウォーキング塾」とスタイルを改め2019年まで実施してきましたが、2020年は中止、2021年の実施は未定となっていますが、2022年5月には実施できるよう準備を進めております。
すこやか歩こう会は目黒区北部地区を拠点とする我々のウォーキングクラブの名称で、地区内の住区、菅刈の「す」駒場の「こ」東山の「や」烏森の「か」から命名しました。今年のお鷹狩りでは日比谷出発のロングコースでは赤と水色、神宮外苑絵画館前出発のショートコースでは赤班を誘導します。班分けは先着順で参加者が自由に選ぶことが出来ますので、よろしければすこやか歩こう会が担当する班へご参加ください。なおお鷹狩りではすべての班がゆっくり都内の景色を楽しみながら歩きますが、ロングコース赤班は特にゆっくり歩く班となります。
長くなりましたが、この日の活動はお鷹狩りのための研修という位置付けて実施。晴天で穏やかな天候の下ウォーキングを楽しみました。
日比谷交差点から皇居
伊達政宗終焉の地
私はロングコースの担当なので、集合場所の日比谷公園健康広場へ向かいます。日比谷公園には仙台伊達家の上屋敷がありました。現在では一等地と考えられますが、江戸初期の日比谷は一等地ではなかったようです。
リバティベル
健康広場の隣三笠山にアメリカから贈られた自由の鐘があります。日本各地で見られる平和の鐘とこの自由の鐘、日米の文化の違いを象徴しているようです。
お堀のヤナギ
ヤナギの木は川原などでよく見かけるように水はけが悪く他の木が進出してこない場所に生えています。銀座のヤナギが有名ですが、もともと入江だったこのあたりでは松も桜も枯れてしまいヤナギの並木となりました。江戸城は傾斜地を利用して建てられており、日比谷から半蔵門へ向かってゆくと徐々にヤナギの植木が少なくなります。
国会議事堂
外務省上のイチョウ並木
国会前庭のハナミズキ
昭和11年竣工の国会議事堂は日本中の石材を取り寄せて作られ、令和のオリンピックスタジアムは日本中の木材を使って飾られている。この話題は本番でも使いたい。イチョウ並木もわずかながら色づいています。
国会前庭洋風庭園
憲政記念館時計塔
丸の内方面
高台にある国会前庭が永田町一丁目一番地です。井伊掃部頭の屋敷はこちらにありこのあたりに柳の木は見当たりません。つまり外様の伊達は屋敷を建てることもままならない湿地を与えられ、重臣井伊家はよい場所を与えられているということです。国会前庭には標高の基準となる日本水準点があり、その隣に電子基準点が設けられ衛星システムみちびきにより変動がモニタされています。時計塔は三面の時計が設置され日本の三権分立を象徴しています。
国立国会図書館交差点
永田町駅の出口がある交差点で「永田町」だと思っていました。古い地図を見ると、「参議院通用門前」でいつから今の表示変わったのやら。
砂防会館
赤坂プリンスホテル旧館
大久保公哀悼碑
自民党本部前を通過し平河町で青山通りを横断。砂防会館はロッキード事件の頃の建物ではありません。赤プリをぐるっと回って清水谷公園へ。大河ドラマ青天を衝けと西郷どんの大久保利通の描き方の違いが面白い。大河ドラマ徳川慶喜ではどのように描かれていたのか記憶にありません。
ホテルニューオータニ
1964年東京オリンピック開催時は東京で(たぶん日本でも)最多の客室数を誇りました。現在は1,479室で都内三位、日本では五位です。開業にあたっては工期短縮のため日本で初めてユニットバスを採用し、すべてにお客さんが富士山を見られるようにと作られた最上階の回転ラウンジには戦艦大和の技術が生かされています。
ガス燈
喰違木戸跡
先週の青天を衝けで岩倉具視が襲撃を受けた喰違の変がちょっとだけ出てきましたが、その現場になります。1874年のことで大久保利通が暗殺されたのはその四年後となります。
クサフジ
迎賓館
この時期にクサフジは珍しいと思って撮りました。図鑑では春の花に分類されています。迎賓館の瓦は皇室の紋章です。
神宮外苑
日本最古のアスファルト舗装
明治神宮外苑打撃練習場
警察の起動隊など別動隊の隊員がたくさんいました。行進の訓練をしているようです。日本最古のアスファルト舗装はオリンピックのためほとんどタイルで覆われてしまい、ごく一部を残すだけになりました。野球好きだった高校生の時だったらこのバッティングセンターに通っていたかな。
絵画館
オリンピックスタジアムサブフィールド跡
日の丸ポール
草野球場に設置されたサブフィールドが元に戻され、新国立競技場は陸上の大会を行える基準から外れました。これからも国際大会は長居で行われるのかな。日の丸ポールは格納式で夜間や雨天の時は下の箱に格納されています。今回のコースを歩く三回目にして、日の丸が掲げられているのを見ました。
勢揃坂
北青山三丁目児童遊園
青山師範学校の跡
和風同調
オリンピックミュージアムを過ぎると時代は千年さかのぼり後三年の役の勢揃坂。この道は鎌倉街道で南へ下ってゆくと目黒区立烏森小学校の正門前を通ります。青山師範学校は青山北町アパートになったのですね。小学校の担任の先生は青山師範出だったかな。怖かった印象が強い。現在の学芸大学駅は開業当時碑文谷駅。青山師範駅→第一師範駅と変遷し1952年に学芸大学駅へ。世田谷校地の学芸大学は1964年に廃止されたとのことですが、駅名はそのまま残っています。付属高校があるし、今更「碑文谷」や「鷹番」にしたいと思わないのでしょう。和風同調の碑は青山北町アパート建設時に設置されたようですが、詳しい経緯や意味などを見つけることが出来ません。ここにアパートが建設されることになったのは山の手空襲で学校の建物がすべて焼失してしまったことに起因するようです。
表参道山陽堂
この絵を見ると「週刊新潮は明日発売されます」のコマーシャルが頭に浮かびます。絵の作者である谷内六郎さんは週刊新潮創刊時から表紙絵を担当していたけど、1981年に急逝されたのですね。お鷹狩り本番時にどこまで話をするかだけど、1945年5月の空襲の時にこの建物の地下でどれだけの人が命を救われたのだろう。
クロスタワー(旧東邦生命ビル)
尾崎豊夕日の丘
かつて渋谷で一番高いビルでしたが、他に高いビルがたくさんできちゃいましたね。
リバーストリート
かつての東横線高架の跡地です。数字は高架を支える柱があった場所。
並木橋
鎌倉街道
並木橋は渋谷寄りの小さな橋で、八幡通りは新並木橋となっていました。勢揃坂での鎌倉街道の説明は振りだけにして、こちらの看板前で信号待ちの時に話をした方がいいと思っています。
埼京線を走る相鉄車両
この日は山手線内回り電車を二日間運休にして渋谷駅の改良工事を行っていました。外回りも大幅に少なくなっていて、一編成とすれ違っただけでした。JRで「臨時」のサインを出した埼京線が通ったのですが撮り逃しました。「まぁ、相鉄車両で我慢しておくか」といったところですがよく見ると池袋行き。普段は新宿行きだと思うのですが、渋谷駅工事のため池袋まで伸びているのかもしれません。ただ新宿より北に行く通常運転もあるようで、最遠は川越線川越駅まで。
ハチ公バス
「ハチ公バスだワンワンワン」と渋谷を出発するときに音楽が流れ、路線バスでは珍しい。他のコミュニティバスでも音楽が流れるのでしょうか?
宇宙の構成
レモン
ススキ
恵比寿駅を通過しガーデンプレイスを一周します。このオブジェは宇宙の構成というそうです。逆光のススキがきれいですね。ロングコースは田道住区三田分室でトイレ休憩を取り、茶屋坂を下りゴールの田道広場公園で完歩証と参加賞をお渡しし解散します。
11月3日の本番は天気に恵まれ、楽しく歩けることを願っています。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール