目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】手賀沼・大堀川コース

2018-10-12 13:47:31 | ウォーキング
かつて松戸へ向かい、ゴール後お蕎麦を食べるコースがあり好評だったのですが、お蕎麦屋さんがやめてしまったので松戸へ向かうコースは廃止となりました。水戸街道方面のコースを復活させたいと思い流山などにも下見に行ったのですが、そちらは採用になりません。
この夏美味しい枝豆を求めて柏市の農産物直売所「かしわで」に行った際、大学時代の友人が案内してくれた「さんち家」の野菜料理バイキングが期待していたよりおいしくて、「ここをゴールとするコースを作ろう」と思い立ち、夏の暑い日に下見に行ってきました。友人は見たことがないとのことでしたが、大堀川ではサケの遡上がみられるとのこと。栃木の那珂川に遡上する鮭にびっくりしていたくらいなのに、千葉の柏で鮭の遡上がみられるとは、なんとお手軽!と言ってもまだ目撃したわけではないのですが。。。
さんち家について柏市のページから引用します。
柏産の朝採り新鮮野菜が並び、ほぼ午前中でなくなってしまうほどのにぎわいをみせている農産物直売所「かしわで」。
平成16年6月の直売所オープンから12年、柏の農産物のおいしさをもっと多くの人に伝えたいと、今年6月11日に農家レストラン「さんち家(さんちや)」をオープンさせました。
店名には「産地」と「○○さんの家」の意味が込められています。
野菜を知り尽くした地元農家の主婦がシェフを務める「野菜だけ」のこだわりのレストランとなっていて、直売所直営とあって、それぞれの野菜のおいしさを最大限に引き出したメニューを提供。約50種類の料理がビュッフェ形式で楽しめます。
体も心も大満足!ぜひお試しください。



スタートは我孫子駅
人生で初めて降り立った我孫子駅。千代田線の行き先表示でよく見るので「あびこ」と読めますが、難読地名の一つだと思います。


我孫子市ゆかりの文化人

手賀沼公園付近の案内板
「我孫子市ゆかりの文化人」パネルの中央の写真の説明に「大正6年春、武者小路邸(市内船戸)にて白樺派の三人。後列左3人目から武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉。」とあります。左右に紹介されている六名は柳田國男、岡田武松、中野治房、嘉納治五郎、杉村楚人冠、バーナードリーチで、なるほど我孫子市が誇りたくなる文化人です。駅前を南下しながら坂を下ってゆくと、手賀沼が大きく開けます。
お勉強を兼ねて、Wikipediaから手賀沼の歴史の一部を引用します。
享保12年(1727年)、江戸幕府(八代将軍徳川吉宗)は勘定吟味役であった井沢弥惣兵衛為永の建議で沼全体の干拓を計画し、江戸町人の高田茂右衛門友清に工事を着手させたが、その後工事計画を変更。沼を上・下に分け、中央に千間堤(浅間堤)を築き、下部のみを干拓した。これにより、約200町歩の新田が拓かれたが、上部沿岸の村々は排水不良となり、毎年のように洪水の被害を受けた。元文3年(1738年)に千間堤は決壊し、新田は水没。その後、老中田沼意次や水野忠邦の時にも干拓の努力は続けられたが、洪水と老中失脚とにより成功しなかった。
当時の手賀沼はカモなどの水鳥やコイ、ウナギなどの魚介類に恵まれ、特に水鳥とウナギは江戸の人々に美味として珍重されていた。現在でも我孫子市内には江戸時代から続くウナギ屋や、コイやフナ料理の店が多い。

中略

大正時代、湖畔には志賀直哉や武者小路実篤らの別荘もあり、手賀沼は白樺派ゆかりの地であった。
干拓事業の2年前の1944年(昭和19年)11月22日に、我孫子中央国民学校の教諭・生徒をはじめとした、44名が手賀沼を渡船で横断中、大風に煽られて転覆し、17名の死者を出すという水難事故が発生した(手賀沼の悲劇)。市内には「手賀沼殉教教育者の碑」として、記念碑が建てられている。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)農水省の直轄事業として大規模な干拓事業が再び着手され、1968年(昭和43年)に完成。約500ヘクタールの水田が造成され、沼の面積は著しく減少している。沼では競艇場建設、1964年東京オリンピックボート競技の誘致、手賀沼ディズニーランドの建設などの開発計画が持ち上がったが、いずれも失敗している。



手賀沼

オオバン




ヒマワリ
あまりの暑さにヒマワリが下を向いているのかと思ったら、一部上をむいているヒマワリもあります。手賀沼周辺の道路は広々していて気持ちがいいです。





北柏ふるさと公園のハイビスカス

白鳥
大堀川が手賀沼に流れ込むところに北柏ふるさと公園があります。白鳥も人慣れして逃げる気配もなし。



北柏ふるさと公園

フウロ

コマツヨイグサ

柏ふるさと大橋
ここから大堀川が始まる感じです。大堀川は手賀沼に注ぎ、手賀川となって利根川に注ぐものと思っていましたが、地図で見ると利根川とつながっていません。下流で六軒川と弁天川に分かれ、利根川との結節点には「手賀排水機場」があります。この施設について千葉県のページから引用します。
本施設は、国営手賀沼干拓事業により昭和31年に完成した排水機場です。降雨時には流域約160km2※1(柏市、印西市、我孫子市、鎌ケ谷市、白井市、流山市及び松戸市)から手賀沼に流入する洪水を手賀川の流末にて毎秒40m3※2で利根川へ強制排水することで、受益地1,905haを保全しており、近年では、流域の都市開発や道路等の浸水対策にも効果を発揮し、農地以外の社会共通資本の防災対策上も重要な施設となっています。
しかしながら、築後50余年経過し、老朽化が目立ち、平成21年10月にポンプ1台が損傷し、排水機能の低下を来しています。このため、当事務所では本施設の維持管理を行うとともに、基幹水利施設ストックマネジメント事業として、ポンプの復旧と他のポンプの老朽箇所、不良箇所の補修、交換整備を行い、本施設の機能を保全することで、農地や地域社会の防災対策に寄与するとともに、長期的な維持修繕コストの低減を図っています。

手賀沼の水を排水することにより陸地を確保しているということのようですね。「新田」がつく地名が多いことの理由がわかりました。ここで素朴な疑問、「鮭はどこから来るのでしょう?」


セミの抜け殻

水戸街道の呼塚橋から大堀川
途中常磐線をくぐり、水戸街道をくぐるところのルートが難しかったです。下見とは違った道を本番のコースとして設定しました。Googleマップなどで確認したけど、思ったとおりに道があるかどうかちょっと不安です。


カラスウリの花



高田小近くの大堀川
友人宅の畑を横目で見ながら、大堀川沿いに上流へと歩いてきました。鮭の遡上の頃にはカラスウリの実を見ることができるでしょう。鮭の遡上について柏市のページから2012年11月15日の記事を引用します。
毎年恒例となった「大堀川の鮭の遡上」。今年も鮭が遡上してきました。
11月14日(水曜日)の午後は、天気が良く、高田小学校付近を散歩していた多くの市民のかたたちが鮭の遡上に見入っていました。
例年、12月ごろまでは見ることができるそう。
水産法令で、市民のかたが鮭を捕獲することは禁止されていますので、温かく見守ってあげてください。また、住宅街の中にあるため、駐車場等はございませんのでご了承ください。


このコースは11月17日に実施予定です。楽しいウォーキングとなることを期待しています。

すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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