地元でも知っているようで知らないことがたくさんあるのですから、お隣の渋谷区となれば言わずもがなです。そんなときには「渋谷区 ウォーキング」と検索すると、様々なウォーキングコースが紹介されており、このコースもそのような経緯で設定されました。渋谷区のホームページには「エキサイティングでおしゃれな原宿とその界隈コース」として紹介されています。ウォーキングマップはこちら。
また原宿はすこやか歩こう会会長が子供の頃から住んでいた場所でもあるので、「ふるさと探訪シリーズ」の一環でもあるのです。
写真:代々木公園原宿門
写真:五輪橋
写真:明治神宮
写真:神宮橋
集合は代々木公園原宿門で、この場所を借りてストレッチを行います。かつては「竹の子族」が占拠していた(かなり古い)場所も、今は落ち着いた広場です。神宮橋もかつてヲタクの情報交換場所として様々な人が集まっていたと聞きますが、そんな風景はあまり記憶にありません。今は多くの外国人観光客が行き来しています。
写真:原宿駅
写真:竹下通り
原宿駅を過ぎると日本人も加わり、人込みでさらににぎやかに。お盆ということもあり、地方から来ている中高生も多いのでしょうね。平日だと、修学旅行でグループ行動している高校生をよく見かけます。
写真:一本北側の道
この日は人混みを避けて一本北側の道を通りました。こちらはすいていて歩きやすいです。
写真:東郷神社
「勝利の神様」東郷神社をお参りします。何かお祭か儀式のような準備が進んでいましたが、神社のホームページを見てもよくわかりません。
写真:ノースキャットストリート
渋谷川暗渠は表参道を境に、ノースキャットストリートとサウスキャットストリートという名前が付けられています。単なるキャットストリートの方が、親しみがあるかもしれません。しかし「村長」や「変態」と書かれたTシャツ、日本人は買わないでしょうね。「風神雷神」と漢字が書いてあるだけのTシャツが9,800円。つい買ってしまう外国人がいるのでしょうか。
9月になると穏田神社の祭礼があるようです。
写真:表参道
明治神宮の社殿は南向きに建てられており、お参りをするときに原宿駅から利用するのが「南参道」。二の鳥居から先が「正参道」となっています。一の鳥居から外側の表参道は、南東向きの大きな通りで冬至の頃原宿駅側から見ると、表参道の先に朝陽が昇ってきます。
写真:さんだうばし
表参道坂を下りきって上りに変わるところに渋谷川にかかっていた橋の親柱が残っています。
写真:サウスキャットストリート
穏田をWikipediaから引用から引用してみましょう。
江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川(穏田川)に水車がかけられ、稲作が行われる田園地帯であった。ただし渋谷川は沼のある低地を流れているために水田の灌漑には使うことが出来ず、村人は現在の明治神宮境内にある南池の水を山手線の下を東流させて水田に引き入れていた。川筋には、米の賃つきをする水車稼業の小屋が点在していた。
一方で東寄りの台地上には松平安芸守(浅野)、戸田長門守、水野石見守などの武家屋敷もおかれていた。明治以降には特に軍人が屋敷をかまえたことで知られ、帝国陸軍大将も務めた元勲・大山巌の邸宅もこの地にあった。
稲作も行われていた穏田であるが明治時代以降には急速に市街化が進行、この地の水田は、明治42年頃には姿を消した。
穏田の地名は1965年(昭和40年)の住居表示の施行によって消滅したが、商店街の名称「穏田商店会」や、渋谷区の施設「神宮前穏田区民会館」などにその名を残している。
このコースを歩いて見るまでは、穏田も穏田神社も知りませんでした。リンゴが植えられたキャットストリートをよく見てみれば、「穏田」の文字をあちらこちらで見ることが出来ます。知らないと北斎が描いた富嶽三十六景の「穏田の水車」が原宿の風景とは気が付きません。
写真:穏田の水車
写真:穏田神社
神社の拝殿は渋谷川を背にして南東向きに建っています。本殿脇の階段を上ってお参りをして、末社の稲荷神社にもお参りしました。陶器の狐がかわいいですね。穏田神社についてWikipediaから引用してみましょう。
穏田神社は、旧穏田村の産土神である。もともとは日蓮宗の寺で、第六天社と呼ばれていたものが明治維新で廃寺となり、穏田神社と改められた。
1885年(明治18年)5月6日、同じ穏田村に鎮座していた熊野神社を合祀。現在は「縁結び」をはじめ「技術や芸の上達」「美容」のご利益があるとされる。
お寺が廃寺になって神社になるなんてことがあるのですね。
正面参道から出て表参道方面へ向かい、ネッコ坂を登ります。
写真:大山巌住居跡
大山元帥は公爵で、西郷元帥は侯爵。この違いに初めて気づきました。
写真:アップルストア
写真:蕎麦屋
写真:なに屋?
写真:まい泉
表参道を渡り再び北側へ。伊藤病院の脇を抜け、まい泉の通りを北へ向かいキラー通りの手前で左に曲がります。
写真:妙円寺
今回写真には撮りませんでしたがこちらには「原宿発祥の地」の石碑があります。
写真:ボーネルンド
こちらが本店のようです。
ウォーキングは原宿警察署の前で明治通りを渡り、千駄谷小の交差点を左折して原宿駅方面へ戻ってきます。
写真:原宿外苑中
敷地にこんな井戸が残っていました。
この後スタート地点でもあった代々木公園原宿門へ戻り、ストレッチをして解散しました。
写真:NHK前のアメリカデイゴ
渋谷のリーズナブルな中華で昼食かと思ったら、皆さん帰られたので有志三名で宇田川交番近くのキリンシティへ。やっぱりビールはうまい!何杯飲んでもうまい!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
また原宿はすこやか歩こう会会長が子供の頃から住んでいた場所でもあるので、「ふるさと探訪シリーズ」の一環でもあるのです。
写真:代々木公園原宿門
写真:五輪橋
写真:明治神宮
写真:神宮橋
集合は代々木公園原宿門で、この場所を借りてストレッチを行います。かつては「竹の子族」が占拠していた(かなり古い)場所も、今は落ち着いた広場です。神宮橋もかつてヲタクの情報交換場所として様々な人が集まっていたと聞きますが、そんな風景はあまり記憶にありません。今は多くの外国人観光客が行き来しています。
写真:原宿駅
写真:竹下通り
原宿駅を過ぎると日本人も加わり、人込みでさらににぎやかに。お盆ということもあり、地方から来ている中高生も多いのでしょうね。平日だと、修学旅行でグループ行動している高校生をよく見かけます。
写真:一本北側の道
この日は人混みを避けて一本北側の道を通りました。こちらはすいていて歩きやすいです。
写真:東郷神社
「勝利の神様」東郷神社をお参りします。何かお祭か儀式のような準備が進んでいましたが、神社のホームページを見てもよくわかりません。
写真:ノースキャットストリート
渋谷川暗渠は表参道を境に、ノースキャットストリートとサウスキャットストリートという名前が付けられています。単なるキャットストリートの方が、親しみがあるかもしれません。しかし「村長」や「変態」と書かれたTシャツ、日本人は買わないでしょうね。「風神雷神」と漢字が書いてあるだけのTシャツが9,800円。つい買ってしまう外国人がいるのでしょうか。
9月になると穏田神社の祭礼があるようです。
写真:表参道
明治神宮の社殿は南向きに建てられており、お参りをするときに原宿駅から利用するのが「南参道」。二の鳥居から先が「正参道」となっています。一の鳥居から外側の表参道は、南東向きの大きな通りで冬至の頃原宿駅側から見ると、表参道の先に朝陽が昇ってきます。
写真:さんだうばし
表参道坂を下りきって上りに変わるところに渋谷川にかかっていた橋の親柱が残っています。
写真:サウスキャットストリート
穏田をWikipediaから引用から引用してみましょう。
江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川(穏田川)に水車がかけられ、稲作が行われる田園地帯であった。ただし渋谷川は沼のある低地を流れているために水田の灌漑には使うことが出来ず、村人は現在の明治神宮境内にある南池の水を山手線の下を東流させて水田に引き入れていた。川筋には、米の賃つきをする水車稼業の小屋が点在していた。
一方で東寄りの台地上には松平安芸守(浅野)、戸田長門守、水野石見守などの武家屋敷もおかれていた。明治以降には特に軍人が屋敷をかまえたことで知られ、帝国陸軍大将も務めた元勲・大山巌の邸宅もこの地にあった。
稲作も行われていた穏田であるが明治時代以降には急速に市街化が進行、この地の水田は、明治42年頃には姿を消した。
穏田の地名は1965年(昭和40年)の住居表示の施行によって消滅したが、商店街の名称「穏田商店会」や、渋谷区の施設「神宮前穏田区民会館」などにその名を残している。
このコースを歩いて見るまでは、穏田も穏田神社も知りませんでした。リンゴが植えられたキャットストリートをよく見てみれば、「穏田」の文字をあちらこちらで見ることが出来ます。知らないと北斎が描いた富嶽三十六景の「穏田の水車」が原宿の風景とは気が付きません。
写真:穏田の水車
写真:穏田神社
神社の拝殿は渋谷川を背にして南東向きに建っています。本殿脇の階段を上ってお参りをして、末社の稲荷神社にもお参りしました。陶器の狐がかわいいですね。穏田神社についてWikipediaから引用してみましょう。
穏田神社は、旧穏田村の産土神である。もともとは日蓮宗の寺で、第六天社と呼ばれていたものが明治維新で廃寺となり、穏田神社と改められた。
1885年(明治18年)5月6日、同じ穏田村に鎮座していた熊野神社を合祀。現在は「縁結び」をはじめ「技術や芸の上達」「美容」のご利益があるとされる。
お寺が廃寺になって神社になるなんてことがあるのですね。
正面参道から出て表参道方面へ向かい、ネッコ坂を登ります。
写真:大山巌住居跡
大山元帥は公爵で、西郷元帥は侯爵。この違いに初めて気づきました。
写真:アップルストア
写真:蕎麦屋
写真:なに屋?
写真:まい泉
表参道を渡り再び北側へ。伊藤病院の脇を抜け、まい泉の通りを北へ向かいキラー通りの手前で左に曲がります。
写真:妙円寺
今回写真には撮りませんでしたがこちらには「原宿発祥の地」の石碑があります。
写真:ボーネルンド
こちらが本店のようです。
ウォーキングは原宿警察署の前で明治通りを渡り、千駄谷小の交差点を左折して原宿駅方面へ戻ってきます。
写真:原宿外苑中
敷地にこんな井戸が残っていました。
この後スタート地点でもあった代々木公園原宿門へ戻り、ストレッチをして解散しました。
写真:NHK前のアメリカデイゴ
渋谷のリーズナブルな中華で昼食かと思ったら、皆さん帰られたので有志三名で宇田川交番近くのキリンシティへ。やっぱりビールはうまい!何杯飲んでもうまい!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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