10年前に歩いたコースの一部を再現してみました。品川みちとは府中大國魂神社のくらやみ祭りで禊に使われる品川沖の海水を運んだ道です。2011年11月から数回に分けて、大國魂神社から品川東海寺まで歩いたコースの一部が今回のコースです。用賀多摩川間はどの道が品川みちなのかはっきりせず、国分寺崖線沿いの古墳をめぐるコースとなっています。
延命地蔵尊
集合は用賀駅で、この地蔵尊近くの玉川台中広場をお借りしてストレッチしました。日差しが暑くて、ちょっと辛いウォーキングとなりそうです。
ムラサキシキブ
瀬田交差点
多摩美術大学
上野毛商店街
金三良地蔵
環八に出て南下。多摩美から環八の内側に入り、金三良地蔵は気になる存在だったけど、ネットでも情報を見つけることが出来ません。
姫之橋から姫の滝
姫之橋から谷沢川
この川の下流が等々力渓谷。仕切られて水門があるのは農業用水として利用されていたのでしょう。川底が赤くなっているのは鉄分を含む湧水が湧いているものと思われます。
ファミリー農園
カボチャ畑
植木屋さん
屋敷内の祠
大井町線等々力駅
ゴルフ橋から等々力渓谷
裏道をちょこちょこと歩いて等々力駅へ。
翼を持つ女
野毛大塚古墳
古墳上からの景色
鉄剣がおさめられていた
前回来た時には古墳であることなどお構いなく子供の遊び場になっていたように思いますが整備されたようです。子供たちにとって身近に歴史を学ぶ場になっているのでしょう。五世紀初頭に築造された古墳で、副葬品は東京国立博物館に収蔵されているそうです。
環八から等々力渓谷
石屋さんの看板?
等々力不動前交差点
神輿と山車
環八を右折して目黒通りへ。
御岳山古墳
こちらの古墳は入ることが出来ません。
平井保昌・和泉式部之碑
宇佐神社
八幡塚古墳
宇佐神社はあまり聞いたことがないし、古墳には入れないし、よくわからないことだらけです。
寮の坂
寮の坂の由来
松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和五年(一三一六)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人日は寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。
なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。
田園調布雙葉のあたり
このあたりが寮の坂の説明にあった「籠谷戸」と思われます。
この坂は上らずに済んだ
なるほど急坂だ
こちらは馬でも上れた?
アップダウンが激しくて疲れました。
多摩川台公園入口
多摩川台公園の古墳
多摩川台公園の景色
国指定史跡亀甲山(かめのこうやま)古墳
〆は古墳の宝庫多摩川台公園。こちらでストレッチをして解散となりました。前回十年前に歩いた会員はわずかだけど、十歳は歳をとっているわけで、きつかった記憶はなかっただけど今回はきつかった!暑かったからでしょうか?
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
延命地蔵尊
集合は用賀駅で、この地蔵尊近くの玉川台中広場をお借りしてストレッチしました。日差しが暑くて、ちょっと辛いウォーキングとなりそうです。
ムラサキシキブ
瀬田交差点
多摩美術大学
上野毛商店街
金三良地蔵
環八に出て南下。多摩美から環八の内側に入り、金三良地蔵は気になる存在だったけど、ネットでも情報を見つけることが出来ません。
姫之橋から姫の滝
姫之橋から谷沢川
この川の下流が等々力渓谷。仕切られて水門があるのは農業用水として利用されていたのでしょう。川底が赤くなっているのは鉄分を含む湧水が湧いているものと思われます。
ファミリー農園
カボチャ畑
植木屋さん
屋敷内の祠
大井町線等々力駅
ゴルフ橋から等々力渓谷
裏道をちょこちょこと歩いて等々力駅へ。
翼を持つ女
野毛大塚古墳
古墳上からの景色
鉄剣がおさめられていた
前回来た時には古墳であることなどお構いなく子供の遊び場になっていたように思いますが整備されたようです。子供たちにとって身近に歴史を学ぶ場になっているのでしょう。五世紀初頭に築造された古墳で、副葬品は東京国立博物館に収蔵されているそうです。
環八から等々力渓谷
石屋さんの看板?
等々力不動前交差点
神輿と山車
環八を右折して目黒通りへ。
御岳山古墳
こちらの古墳は入ることが出来ません。
平井保昌・和泉式部之碑
宇佐神社
八幡塚古墳
宇佐神社はあまり聞いたことがないし、古墳には入れないし、よくわからないことだらけです。
寮の坂
寮の坂の由来
松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和五年(一三一六)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人日は寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。
なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。
田園調布雙葉のあたり
このあたりが寮の坂の説明にあった「籠谷戸」と思われます。
この坂は上らずに済んだ
なるほど急坂だ
こちらは馬でも上れた?
アップダウンが激しくて疲れました。
多摩川台公園入口
多摩川台公園の古墳
多摩川台公園の景色
国指定史跡亀甲山(かめのこうやま)古墳
〆は古墳の宝庫多摩川台公園。こちらでストレッチをして解散となりました。前回十年前に歩いた会員はわずかだけど、十歳は歳をとっているわけで、きつかった記憶はなかっただけど今回はきつかった!暑かったからでしょうか?
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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