秋彼岸も過ぎてウォーキングシーズン、距離の長いコースもちらほら登場します。
目黒川とアトラスタワー
木陰は爽やかですがこの青空の下、お日様はまだまだ暑いので日陰を選んで歩く日となりました。
裁判所
旧厚生省麻薬取締官事務所の跡地に裁判所関連の建物が完成しました。北側に通路が出来て東西に通り抜けが出来るようになり、安心安全なウォーキングコースとして使えそうです。
別所坂
別所坂上庚申塔群
私の感覚では区内一の急坂です。一般的には十七が坂が一番の急坂となっていますが、平均斜度だとそうなるのかな?登るにつれて傾斜が強くなる別所坂の方が最大斜度は急だと思います。調べてみると23区の坂の傾斜をランキングしているサイトがあり、四輪車が通れる部門で第五位タイでランキングされ、13度・23%で目黒区内の最大傾斜となっています。
恵比寿像
恵比寿駅前公衆トイレ
渋谷区では「おもてなしはトイレから」と有名建築家などが設計したユニークな公衆トイレが続々登場しており、こちらは佐藤可士和さんのデザインです。
服部南郭別邸跡
東二丁目10番
服部南郭は,江戸中期の儒学者。漢詩人で 幼名を勘助,のち元喬(もとたか)といい 字を子遷(しせん),書斎を 芙蓮館(ふきょかん)と称しました。
この場所は,南郭の別邸があったところで 邸前にある坂道は,昔から 南郭坂 あるいは 富士見坂 と呼ばれてきました。
南郭は,天和三年(1683)に京都に生まれ,十六歳の時に 和歌と絵画をもって 江戸の柳沢吉保に仕え,また,荻生徂徠の門人となって,古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時,柳沢家を辞し,ここの別邸で塾を開いて 在野の人となり,もっぱら漢詩文に親しみ,後継者の育成に努めました。宝暦九年(1759)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
渋谷区教育委員会
温故学会会館
塙保己一とヘレン・ケラーの逸話をWikipediaから引用します。
ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と母親より教育されていた。昭和12年(1937年)4月26日、ケラーは渋谷の温故学会を訪れ、人生の目標であった保己一の座像や保己一の机に触れている。ケラーは「先生(保己一)の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なこと」「先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わることでしょう」と語っている。
渋谷氷川神社
三島由紀夫の豊饒の海第二巻・奔馬でこちらの神社が舞台となっています。
國學院大學博物館
瀧川政次郎胸像
博物館は一度ゆっくり見てみたいと思っています。胸像は大学設立者ではないそうで、國學院大學の設立者はいないようです。
飲食店みたい
南青山七丁目交差点を左折して北へ向かい、根津美術館まえを通りさらに北へ。
青山霊園
霊園のキンモクセイ
外人墓地
日本近代スポーツの父
F.W.ストレンジ
1853年10月29日~1889年7月5日 享年35歳
1875年英国より来日し、東京英語学校(後の東京大学予備門、第一高等学校)の英語教師を務めながら、日本にスポーツを広めた。日本初のスポーツ紹介本を出版、体育会による「部活動」のシステムを作り上げ、スポーツマンシップを説き、陸上競技やボートなどを教え、運動会を普及させたスポーツの恩人。
海軍少将のお墓
青山霊園でトイレ休憩としました。
石屋さん
神宮外苑イチョウ並木
秩父宮ラグビー場
青山通りを少し歩いて神宮外苑に入ってゆきます。神宮外苑の再整備に当たり木を何本切るとか騒がれているけど、切っただけ植えれば若木の方が二酸化炭素を吸収するんじゃないかなぁ。そういう問題じゃない?
川口鋳物の聖火台
相撲の神様
ギリシャの勝利の女神
TOKYO2020大会の聖火台
パラリンピックのメダリスト
木をふんだんに使っています
戦後19年で丹下さんの代々木体育館が建設されたとき、人々は誇りに思ったのだと想像します。今が眺めてもすごいものを作ったなぁと思います。体育館は明治神宮拝殿の真南にあり、つり屋根を支える日本の柱は丹下の鳥居と言われています。
戦後75年の二度目の東京オリンピックでは隈研吾設計の木を多用したオリンピックスタジアム。持続可能な社会や、二酸化炭素排出削減必要性を感じる今にマッチしていると思います。以前のように柵で囲われず競技場に触れることが出来ることもいいですね。
競技場前のちょっと色づいた紅葉
競技場の外観
競技場のまわりを歩くだけでもいい景色がありました。
津田塾大千駄ヶ谷キャンパス
国立能楽堂
津田塾の名称が変わったかなと思ったら英語表記がTSUDA UNIVERSITYなのですね。
明治神宮北参道
七五三
拝殿
拝殿の柱のこちら側には小さな傷がたくさんついていますが、参拝者が投げたお賽銭によりできた傷です。昭和二十年五月の青山空襲で神宮の拝殿も焼けてしまい、昭和三十三年に再建されます。柱の傷は初日だけでついたもので、明治神宮の再建が都民にどれだけ熱狂的に迎えられたのかが分かる逸話だと思います。昭和三十三年はほかに浅草寺の本堂が再建され、東京タワーが完成しています。昭和三十四年に夏季オリンピックが東京で開かれることが決定しており、日本人にとってはまさに「もはや戦後ではない」という雰囲気だったのでしょうか。
神前結婚式
もう一組
新郎新婦が拝殿前を通りそうだったのでしばらく待ってみていました。新郎は外国人のようです。
二の鳥居
先代二の鳥居が落雷で火災被害に遭い、台湾から輸入した檜で再建されたこと。被害に遭った鳥居は加工され大宮氷川神社の鳥居になっていることなどを説明しました。現在使われている檜は樹齢1,500年だそうです。
表参道を歩き一の鳥居の脇で場所をお借りしストレッチをして解散しました。しばらくガイドをしていないので創建百周年記念で一の鳥居が架け替えられたことは忘れていたし、吉野の杉が使われていることなど情報をアップデートできていませんでした。こちらの杉は樹齢280年と260年とのことです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
目黒川とアトラスタワー
木陰は爽やかですがこの青空の下、お日様はまだまだ暑いので日陰を選んで歩く日となりました。
裁判所
旧厚生省麻薬取締官事務所の跡地に裁判所関連の建物が完成しました。北側に通路が出来て東西に通り抜けが出来るようになり、安心安全なウォーキングコースとして使えそうです。
別所坂
別所坂上庚申塔群
私の感覚では区内一の急坂です。一般的には十七が坂が一番の急坂となっていますが、平均斜度だとそうなるのかな?登るにつれて傾斜が強くなる別所坂の方が最大斜度は急だと思います。調べてみると23区の坂の傾斜をランキングしているサイトがあり、四輪車が通れる部門で第五位タイでランキングされ、13度・23%で目黒区内の最大傾斜となっています。
恵比寿像
恵比寿駅前公衆トイレ
渋谷区では「おもてなしはトイレから」と有名建築家などが設計したユニークな公衆トイレが続々登場しており、こちらは佐藤可士和さんのデザインです。
服部南郭別邸跡
東二丁目10番
服部南郭は,江戸中期の儒学者。漢詩人で 幼名を勘助,のち元喬(もとたか)といい 字を子遷(しせん),書斎を 芙蓮館(ふきょかん)と称しました。
この場所は,南郭の別邸があったところで 邸前にある坂道は,昔から 南郭坂 あるいは 富士見坂 と呼ばれてきました。
南郭は,天和三年(1683)に京都に生まれ,十六歳の時に 和歌と絵画をもって 江戸の柳沢吉保に仕え,また,荻生徂徠の門人となって,古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時,柳沢家を辞し,ここの別邸で塾を開いて 在野の人となり,もっぱら漢詩文に親しみ,後継者の育成に努めました。宝暦九年(1759)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
渋谷区教育委員会
温故学会会館
塙保己一とヘレン・ケラーの逸話をWikipediaから引用します。
ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と母親より教育されていた。昭和12年(1937年)4月26日、ケラーは渋谷の温故学会を訪れ、人生の目標であった保己一の座像や保己一の机に触れている。ケラーは「先生(保己一)の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なこと」「先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わることでしょう」と語っている。
渋谷氷川神社
三島由紀夫の豊饒の海第二巻・奔馬でこちらの神社が舞台となっています。
國學院大學博物館
瀧川政次郎胸像
博物館は一度ゆっくり見てみたいと思っています。胸像は大学設立者ではないそうで、國學院大學の設立者はいないようです。
飲食店みたい
南青山七丁目交差点を左折して北へ向かい、根津美術館まえを通りさらに北へ。
青山霊園
霊園のキンモクセイ
外人墓地
日本近代スポーツの父
F.W.ストレンジ
1853年10月29日~1889年7月5日 享年35歳
1875年英国より来日し、東京英語学校(後の東京大学予備門、第一高等学校)の英語教師を務めながら、日本にスポーツを広めた。日本初のスポーツ紹介本を出版、体育会による「部活動」のシステムを作り上げ、スポーツマンシップを説き、陸上競技やボートなどを教え、運動会を普及させたスポーツの恩人。
海軍少将のお墓
青山霊園でトイレ休憩としました。
石屋さん
神宮外苑イチョウ並木
秩父宮ラグビー場
青山通りを少し歩いて神宮外苑に入ってゆきます。神宮外苑の再整備に当たり木を何本切るとか騒がれているけど、切っただけ植えれば若木の方が二酸化炭素を吸収するんじゃないかなぁ。そういう問題じゃない?
川口鋳物の聖火台
相撲の神様
ギリシャの勝利の女神
TOKYO2020大会の聖火台
パラリンピックのメダリスト
木をふんだんに使っています
戦後19年で丹下さんの代々木体育館が建設されたとき、人々は誇りに思ったのだと想像します。今が眺めてもすごいものを作ったなぁと思います。体育館は明治神宮拝殿の真南にあり、つり屋根を支える日本の柱は丹下の鳥居と言われています。
戦後75年の二度目の東京オリンピックでは隈研吾設計の木を多用したオリンピックスタジアム。持続可能な社会や、二酸化炭素排出削減必要性を感じる今にマッチしていると思います。以前のように柵で囲われず競技場に触れることが出来ることもいいですね。
競技場前のちょっと色づいた紅葉
競技場の外観
競技場のまわりを歩くだけでもいい景色がありました。
津田塾大千駄ヶ谷キャンパス
国立能楽堂
津田塾の名称が変わったかなと思ったら英語表記がTSUDA UNIVERSITYなのですね。
明治神宮北参道
七五三
拝殿
拝殿の柱のこちら側には小さな傷がたくさんついていますが、参拝者が投げたお賽銭によりできた傷です。昭和二十年五月の青山空襲で神宮の拝殿も焼けてしまい、昭和三十三年に再建されます。柱の傷は初日だけでついたもので、明治神宮の再建が都民にどれだけ熱狂的に迎えられたのかが分かる逸話だと思います。昭和三十三年はほかに浅草寺の本堂が再建され、東京タワーが完成しています。昭和三十四年に夏季オリンピックが東京で開かれることが決定しており、日本人にとってはまさに「もはや戦後ではない」という雰囲気だったのでしょうか。
神前結婚式
もう一組
新郎新婦が拝殿前を通りそうだったのでしばらく待ってみていました。新郎は外国人のようです。
二の鳥居
先代二の鳥居が落雷で火災被害に遭い、台湾から輸入した檜で再建されたこと。被害に遭った鳥居は加工され大宮氷川神社の鳥居になっていることなどを説明しました。現在使われている檜は樹齢1,500年だそうです。
表参道を歩き一の鳥居の脇で場所をお借りしストレッチをして解散しました。しばらくガイドをしていないので創建百周年記念で一の鳥居が架け替えられたことは忘れていたし、吉野の杉が使われていることなど情報をアップデートできていませんでした。こちらの杉は樹齢280年と260年とのことです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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